宮城滝太
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横浜DeNAベイスターズ #65 | |
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2023年3月7日、横須賀スタジアムにて
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基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 沖縄県中頭郡嘉手納町 |
生年月日 | 2000年7月15日(24歳) |
身長 体重 |
181 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2018年 育成選手ドラフト1位 |
初出場 | 2023年8月13日 |
年俸 | 640万円(2025年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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派遣歴
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この表について
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宮城 滝太(みやぎ だいた、2000年7月15日 - )は、沖縄県中頭郡嘉手納町出身[2]のプロ野球選手(投手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。
経歴
プロ入り前
小学1年生から「島袋ホエールズ」において軟式野球を始め、2年生のときに転校して「嘉手納ライオンズ」でプレーする[4]。嘉手納町立嘉手納中学校時代は、硬式野球の「読谷ボーイズ」に所属し、3年生で県大会優勝を果たす[4]。
滋賀県東近江市の滋賀学園高等学校に進学後、2年生時に春の第89回選抜高等学校野球大会に出場を果たし、先発登板した2回戦の対福岡大付属大濠高校戦では、のちにチームメイトとなる三浦銀二と延長15回、1対1で引き分けの熱戦を演じる[5]。再試合では2番手として登板するも、2点本塁打を打たれて3対5で敗れた[6]。3年生の夏の第100回選手権滋賀大会は、初戦の対安曇川高校戦において、5回1安打9奪三振、滋賀大会記録タイの7連続奪三振の好投で注目される[7]。準決勝の対綾羽高校戦は、延長11回、7対8のサヨナラゲームで夏の甲子園出場はならなかった[8]。9月には横浜DeNAベイスターズの入団テストを受ける[9]。
2018年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議において、横浜DeNAベイスターズから育成ドラフト1巡目指名される[10]。11月13日、京都市内で入団交渉を行い、支度金280万円、年俸340万円(金額は推定)で契約合意に達し[11]、11月22日、横浜市内のホテルで新入団選手記者発表会が行われた[12]。背番号は100[13]。
横浜DeNA時代
2019年、二軍で16試合に登板して防御率6.10という成績だった。
2020年、6月18日に田中健二朗を除く3名の育成選手とともにBCリーグ・神奈川フューチャードリームスへの派遣が両球団から発表された[14][15]。7月31日、派遣期間が終了しDeNAに復帰[16]。9月16日、再び神奈川フューチャードリームスへの派遣が発表された[17]。DeNAに復帰している間に二軍で5勝を挙げ、同リーグの最多勝利賞に選出されている[18]。
2021年、二軍で14試合に登板し、2勝2敗1セーブ、防御率2.81という成績を残したが、支配下選手登録とはならなかった。11月25日には横浜市内の病院で右肘クリーニング手術を受けたことが発表された[19]。育成選手として3年目を迎えたため、12月1日には自由契約として公示されたが、同9日には翌年の育成再契約が発表された[20]。
2022年、7月30日、同じく育成登録となっていた平良拳太郎と共に支配下選手として登録され、背番号も92となることが球団から発表された[21]。9月7日に新型コロナウイルスの陽性判定を受け一時離脱[22]。一軍での登板は無かったが、二軍では27試合に登板し、2勝0敗1セーブ、防御率2.48という成績を残した[23]。
2023年、春季キャンプで初めて一軍メンバーに抜擢されるが[24]、オープン戦で結果が残せず、3月11日に二軍に合流した[25]。その後、イースタン・リーグで防御率2.17と安定した投球を続け、8月13日に一軍初昇格[26]。同日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)でプロ初登板を果たし、2回を投げて無失点、3奪三振の好投を見せた[27]。クライマックスシリーズ進出がかかった9月29日の阪神タイガース戦では1点リードの5回一死満塁のピンチで大山悠輔を迎える場面でワンポイントで登板すると見逃し三振で抑え、バトンタッチした左リリーフの石川達也も次の打者を抑えてこの回を無失点で凌ぎチームの勝利に貢献。同じく育成出身の石川と共に初めてのお立ち台に上がった[28]。最終的に11試合に登板し、防御率3.86、3ホールドを記録。16回1/3を投げて16奪三振と高い奪三振能力も見せた[29]。シーズンが終わり10月下旬からはメキシコのウインターリーグ、ヤキス・デ・オブレゴンに派遣された[30]。7試合に登板して防御率は7点台という成績で、11月下旬までに帰国している。12月2日には背番号を65に変更することが球団から発表された[31]。
2024年、6月7日に一軍登録された[32]が、同日の福岡ソフトバンクホークス戦で2回3失点を喫し、この1登板のみで9日に登録抹消となった[33]。8月14日に再度一軍登録された[34]が、登板機会のないまま編成上の問題で23日に登録を抹消された[35]。開幕から中継ぎ登板を続けていたが、二軍ではシーズン終盤から先発に回り[36]、その後は一軍昇格は無くシーズンを終えた。
2025年、自身初の開幕一軍入りを果たす[37]。ビハインドの場面での救援登板が中心ながら、回またぎもこなしつつ、無失点投球を続けると、4月29日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では勝ちパターンで起用された[38]。5月16日のヤクルト戦(明治神宮野球場)では1点ビハインドの場面に2番手で登板し、1回を無失点に抑えると直後にチームが逆転し、プロ初勝利を挙げた[39][40]。この登板まで開幕から12試合連続無失点だったが、翌日のヤクルト戦では同点の場面で4番手として登板すると、勝ち越しを許して初失点を喫しただけでなく、プロ初勝利の翌日にプロ初敗戦を喫してしまった[41][注 1]。
選手としての特徴
プロ入り当時はストレートの最速が142km/hだったが、育成段階で力を付けて球速を伸ばし、2023年の一軍初登板で最速154km/hを計測している[43][44]。先発時代は勢いのあるストレートを武器に、カーブ、スライダー、カットボール、シュート、スプリットと多彩な変化球を投げていた[45]が、ストレートの成分に影響が出てしまっていたため、リリーフ転向後は影響の出にくいカーブ、フォーク、スライダーに球種を絞っている[46]。
変化球のうち、フォークが武器と言われることもあるが[47]、宮城自身が語る一番の武器は、空振りも取れるブレーキの利いた落差のあるカーブであり[37][46][47]、独自に考えた握りで「かける」感覚でリリースすることからスピンが効いており、好調時は2950回転を計測する[37][47]。一般にカーブは打者のタイミングを外すカウント球のイメージの強い球種であるが、宮城自身は空振りの取れるボールを目指しており[46]、2025年時点ではカウント球にも決め球にも使えると豪語する[37]。元々宮城自身は横の変化球が得意だったが、プロ入り後に手術した肘への負担を踏まえてカーブを磨くようになった[48]。投げ始めたのは幼少期にテレビで見た桑田真澄の投球がきっかけであり[37]、投げ始めた頃は桑田の軌道をイメージしていた[48]。DeNA入団後はファーム生活中に甚く好んだ宮川哲のパワーカーブを参考にしており[46]、宮川は他球団の現役選手であったが、様々な協力により直接アドバイスを受けることもできた[46]。2025年時点では山下舜平大のカーブが一番好きだと語っている[48]。一番の武器であるこのカーブは、DeNAで先輩投手である山﨑康晃から教えてほしいと請われたこともある[49]。
人物・エピソード
名前である「滝太」は「だいた」と読み、珍読み人名としても話題になることが多い[要出典]。
DeNAの二軍のキャンプ地である嘉手納町出身で、小学生の頃に野球教室で後にチームメイトとなる田中健二朗から野球を教えてもらったことがある[43]。更にDeNA入団後にリハビリに取り組む田中の姿勢などを間近に見ていたこともあり、「尊敬や憧れている投手」を訊かれた際には田中の名前を挙げている[46]。また、嘉手納町出身の初のプロ野球選手でもある[4]。
小学校低学年の頃から母子家庭で育ち、高校進学時に沖縄から離れ、野球留学も後押ししてくれた母には「妹、弟もいて苦労したと思う」「一軍で勝って喜ばせたい」と思いを明かしている[4][43]。当時について「まわりの家庭と比べてうちは貧しい」と振り返っており、中学生時代は中学校のクラブ活動ではなく家庭の負担額の大きいボーイズリーグでプレーしたが、「将来お母さんを楽させたい。今は野球代を負担してもらうかもしれない。でも、その分、絶対(野球で)有名になってお母さんを楽させるんだ」と決断したという[50]。2025年5月に一軍初勝利を挙げた際には、記念球は「親に感謝の気持ちを込めてお母さんに渡したい」と語った[39]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2023 | DeNA | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | ---- | 66 | 16.1 | 14 | 2 | 2 | 0 | 1 | 16 | 0 | 0 | 7 | 7 | 3.86 | 0.98 |
2024 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 12 | 2.0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 3 | 3 | 13.50 | 3.00 | |
通算:2年 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | ---- | 78 | 18.1 | 17 | 2 | 5 | 0 | 1 | 20 | 0 | 0 | 10 | 10 | 4.91 | 1.20 |
- 2024年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
||
2023 | DeNA | 11 | 1 | 2 | 1 | 0 | .750 |
2024 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 12 | 1 | 3 | 1 | 0 | .800 |
- 2024年度シーズン終了時
記録
NPB
- 初記録
- 投手記録
- 初登板:2023年8月13日、対読売ジャイアンツ18回戦(東京ドーム)、6回表に3番手で救援登板、2回無失点[27]
- 初奪三振:同上、6回表にヨアンデル・メンデスから見逃し三振[27]
- 初ホールド:2023年9月3日、対読売ジャイアンツ21回戦(横浜スタジアム)、3回表から2番手で救援登板、3回2失点
- 初勝利:2025年5月16日、対東京ヤクルトスワローズ5回戦(明治神宮野球場)、7回裏に2番手で救援登板、1回無失点[39][40]
- 打撃記録
- 初打席:2023年9月3日、対読売ジャイアンツ戦21回戦(横浜スタジアム)、3回裏に松井颯から見逃し三振
独立リーグでの投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2020 | 神奈川 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 51 | 10.2 | 10 | 0 | 4 | - | 3 | 14 | 0 | 0 | 9 | 1 | 0.84 | 1.31 |
通算:1年 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 51 | 10.2 | 10 | 0 | 4 | - | 3 | 14 | 0 | 0 | 9 | 1 | 0.84 | 1.31 |
背番号
- 100(2019年[13] - 2022年7月29日)
- 46(2020年) ※神奈川フューチャードリームスでの背番号
- 92(2022年7月30日[21] - 2023年)
- 65(2024年[31] - )
脚注
注釈
出典
- ^ 「DeNA - 契約更改 - プロ野球」『日刊スポーツ』。2024年11月11日閲覧。
- ^ 「プロ野球ドラフト:故郷沖縄を離れ、腕磨く 「早く1軍に」ベイ育成1位・宮城滝太」『沖縄タイムス』2018年10月26日。2019年4月19日閲覧。
- ^ 「沖縄プロ野球・琉球ブルーオーシャンズ 2年目のキャンプイン」『HUB沖縄』2021年2月9日。2022年10月6日閲覧。
- ^ a b c d 「[大弦小弦]嘉手納町の実家に集まった親戚が諦めかけたとき、ふいに・・・」『沖縄タイムス』2018年10月27日。2019年4月19日閲覧。
- ^ 「第89回選抜高校野球大会 福岡大大濠―滋賀学園(2回戦)」『朝日新聞デジタル バーチャル高校野球』2017年3月26日。2019年4月19日閲覧。
- ^ 「第89回選抜高校野球大会 福岡大大濠―滋賀学園(2回戦)」『朝日新聞デジタル バーチャル高校野球』2017年3月28日。2019年4月19日閲覧。
- ^ 「【滋賀】滋賀学園 プロ注目右腕・宮城が快投 7連続含む5回9K零封」『スポニチ Sponichi Annex』2018年7月8日。2019年4月19日閲覧。
- ^ 「第100回全国高校野球選手権滋賀大会 綾羽―滋賀学園(準決勝)」『朝日新聞デジタル バーチャル高校野球』2018年7月27日。2019年4月19日閲覧。
- ^ 「70年目のルーキー(6)宮城滝太 育成1位、荒削り右腕」『カナロコ』2019年2月1日。2022年12月11日閲覧。
- ^ 「宮城滝太投手はDeNA育成1位 嘉手納中出身・滋賀学園」『沖縄タイムス』2018年10月25日。2019年4月19日閲覧。
- ^ 「DeNA、育成ドラフト1位・宮城と合意」『SANSPO.COM』2018年11月13日。2019年4月19日閲覧。
- ^ 「選手・チームのニュース 2018/11/22 2019年度 新入団選手 記者発表会を実施」『横浜DeNAベイスターズ公式ウェブサイト』2018年11月22日。2019年4月19日閲覧。
- ^ a b 「2019年度 新入団選手 記者発表会を実施」『横浜DeNAベイスターズ』2018年11月22日。2025年3月22日閲覧。
- ^ 「横浜DeNAベイスターズから選手派遣について」『神奈川フューチャードリームス』2020年6月18日。2020年6月18日閲覧。
- ^ 「4選手の神奈川フューチャードリームス派遣について」『横浜DeNAベイスターズ』2020年6月18日。2020年6月18日閲覧。
- ^ 「選手派遣終了のお知らせ」『神奈川フューチャードリームス』2020年7月31日。2020年7月31日閲覧。
- ^ 「選手派遣再開及び終了のお知らせ」『神奈川フューチャードリームス』2020年9月16日。2020年9月16日閲覧。
- ^ 「宮城大6勝、宮城滝5勝で2軍公式戦最多勝 リチャードが最多本塁打12本 プロ野球」『琉球新報』2020年11月3日。2020年11月25日閲覧。
- ^ 「DeNAの育成・宮城滝太が右肘クリーニング手術 「今後はしっかりリハビリに…」」『Full-Count』2021年11月25日。2022年2月21日閲覧。
- ^ 「DeNAが平良拳太郎、宮城滝太と育成契約 勝又温史は野手転向で育成選手、球団発表」『Full-Count』2021年12月9日。2022年2月21日閲覧。
- ^ a b 「平良拳太郎選手、宮城滝太選手 支配下選手として契約」『横浜DeNAベイスターズ』2022年7月30日。2022年7月30日閲覧。
- ^ 「【DeNA】小園健太、深沢鳳介、宮城滝太、小深田大地、田部隼人が新型コロナ陽性」『日刊スポーツ』2022年9月7日。2022年10月6日閲覧。
- ^ 「2022年度 横浜DeNAベイスターズ」『NPB.jp 日本野球機構』。2022年10月6日閲覧。
- ^ 「“育成再出発”から1年でレギュラー候補に 1軍抜擢で助っ人不在の右翼狙うDeNAの22歳」『Full-Count』2023年1月30日。2023年8月13日閲覧。
- ^ 「【DeNA】藤田一也、宮城滝太ら2軍4選手、11日からの中日とのオープン戦に参加」『日刊スポーツ』2023年3月10日。2023年8月13日閲覧。
- ^ 「【DeNA】宮城滝太が初の1軍昇格 18年育成ドラ1右腕 平良拳太郎が登録抹消」『スポーツ報知』2023年8月13日。2023年8月13日閲覧。
- ^ a b c 「【DeNA】宮城滝太がプロ初登板 最速152キロで2回3K無失点デビュー」『スポーツ報知』2023年8月13日。2023年8月13日閲覧。
- ^ 「DeNA・三浦監督 執念の継投で2年連続CS決定! 5回満塁ピンチで育成出身宮城&石川が三振斬り」『スポニチアネックス』2023年9月30日。2023年10月31日閲覧。
- ^ 「DeNA・宮城滝太が年俸740万円でサイン「評価してもらえた」 今オフはメキシコのウインターリーグ参戦」『サンスポ』2023年10月21日。2023年10月31日閲覧。
- ^ 「【DeNA】浜口遥大がプエルトリコ、大田泰示はメキシコ…6選手を海外派遣/コメント一覧」『日刊スポーツ』2023年10月7日。2023年10月31日閲覧。
- ^ a b 「【DeNA】背番号変更 石川達也「46」、宮城滝太「65」、森原康平が「45」に」『日刊スポーツ』2023年12月2日。2023年12月2日閲覧。
- ^ 「DeNAが6選手入れ替え 前夜決勝打浴びた山崎康晃が登録抹消 宮崎敏郎、左肩違和感の石田健大も」『Sponichi Annex』2024年6月7日。2024年6月7日閲覧。
- ^ 「【DeNA】ルーキー石田裕太郎が1軍初昇格 初先発へ 宮城滝太は登録3日目で抹消」『日テレNEWS NNN』2024年6月9日。2024年6月9日閲覧。
- ^ 「【DeNA】宮城滝太、2カ月ぶり1軍合流「状態がいいということで」三浦監督 京山将弥が抹消」『日刊スポーツ』2024年8月14日。2024年8月26日閲覧。
- ^ 「【DeNA】宮城滝太、登板無しで出場選手登録抹消、吉野光樹が昇格 三浦監督「編成上の問題」」『日刊スポーツ』2024年8月23日。2024年8月26日閲覧。
- ^ 「【イースタン】DeNA、度会隆輝が4安打と大暴れ! 森敬斗は3安打、勝又温史が4打点と若手躍動」『BASEBALL KING』2024年9月3日。2024年12月8日閲覧。
- ^ a b c d e 鈴木智紘「DeNA救援陣に新星!! 宮城滝太4戦連続無失点、育成出身7年目で開花」『サンスポ』2025年4月9日。2025年4月13日閲覧。
- ^ 「DeNA・宮城滝太が8試合連続無失点 勝ちパターンでの登板に「緊張しました」」『サンスポ』2025年4月29日。2025年5月1日閲覧。
- ^ a b c 「【DeNA】宮城滝太が7年目でうれしいプロ初勝利 記念球は母へ「感謝の気持ちをこめて渡したい」」『スポーツ報知』2025年5月16日。2025年5月16日閲覧。
- ^ a b 阿部慎「DeNA・宮城滝太「やっと来た」プロ7年目の初勝利 沖縄出身で支配下4年目の中継ぎ右腕」『サンスポ』2025年5月17日。2025年5月17日閲覧。
- ^ 「DeNA・宮城滝太が珍記録 7年目でプロ初白星→翌日にプロ初黒星 過去には比嘉幹貴、西垣雅矢も」『Sponichi Annex』2025年5月17日。2025年5月17日閲覧。
- ^ 「【DeNA】宮城滝太がプロ初黒星 初勝利挙げた翌日に初黒星喫したのは球団史上初」『日刊スポーツ』2025年5月17日。2025年5月19日閲覧。
- ^ a b c 「DeNAの宮城滝太 育成3年目右腕、背水イヤーに誓う母への恩返し」『スポニチ Sponichi Annex』2021年6月1日。2022年2月21日閲覧。
- ^ 「【球界ここだけの話(3156)】DeNA・宮城滝太が最速154キロ右腕に進化中 退路断った育成入団から5年」『サンスポ』2023年8月30日。2023年9月4日閲覧。
- ^ 「【DeNA】「いい手応え」宮城滝太、念願の1軍キャンプ参加 武器のストレート磨く」『沖縄タイムス+』2023年2月16日。2023年8月13日閲覧。
- ^ a b c d e f 石塚隆「育成から一軍昇格も「悔しい思いの方が大きかった」…苦節5年、DeNA宮城滝太23歳が“初の一軍”を大喜びしなかったワケ」『Number Web』2023年9月25日、4頁。2025年4月13日閲覧。
- ^ a b c 大木穂高「DeNA4時間28分の激闘。記者がみた「負けなかった戦い」 ベスト球は24歳の投じたあの王道の変化球」『Sponichi Annex』2025年4月4日。2025年4月13日閲覧。
- ^ a b c 「PLAYER'S VOICE: DeNA・宮城滝太「一番自信のある変化球はカーブです。高校生のころから投げ始めました」/変化球」『週刊ベースボールONLINE』2025年4月27日。2025年5月17日閲覧。
- ^ 「【DeNA】宮城滝太が師匠の山崎康晃にカーブ伝授「会話をしながらちょこっと言いました」」『スポーツ報知』2025年1月12日。2025年4月13日閲覧。
- ^ 大木穂高「DeNA・宮城 小学6年で「大人の決断」した男が母に恩返しのうれしいプロ初勝利」『Sponichi Annex』2025年5月17日。2025年5月17日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 宮城滝太 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
- 選手名鑑 - 横浜DeNAベイスターズ公式サイト
- 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE
- 宮城 滝太 (@daita__miyagi) - Instagram
- 宮城滝太のページへのリンク