加藤博一
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加藤 博一(かとう ひろかず、1951年10月9日 - 2008年1月21日)は、佐賀県多久市[1](旧・小城郡)出身のプロ野球選手(外野手、右投両打)、野球解説者、タレント。
注釈
- ^ 入団時から75番という(首脳陣が着けるような)大きい背番号を背負ったことや、入団時に「背番号8をつけるまで辞めない」と語った経緯もあり、阪神時代に一桁の背番号8を着けたことには感激したという。前任の島野育夫コーチからは「(阪神の背番号8は)故障に泣かされる番号だから(やめた方がいい)」と言われ、加藤と親交の深かった掛布雅之からは、「32番で結果が出たんですから、加藤さんにとって32番が良い番号なんじゃないですか?変えない方が良いと思いますよ」と忠告されたが、8番を着けたいという夢を諦めきれず、加藤は8番に変更してしまった。しかしその後、やはりケガに見舞われてしまったため、「あの時、掛布の言うことを聞いておけばよかった」と語っている[9]。
出典
- ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、151ページ
- ^ “「右手でカレー、左手でラーメン」……若き加藤博一の“首の皮一枚”/プロ野球20世紀・不屈の物語【1969〜75年】 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年7月10日閲覧。
- ^ 山口寛之. “横浜大洋ホエールズとともに生きていく 【其の四・さようならホエールズ&こんにちはベイスターズ】”. 2021年7月11日閲覧。
- ^ “野球解説者の加藤博一さんが肺がんで死去、病床でもコラム執筆。”. www.narinari.com. 2021年7月10日閲覧。
- ^ a b “野球解説者、加藤博一氏が肺がんで死去”. www.nikkansports.com. 2021年7月10日閲覧。
- ^ 創, 黒田. “改めて「親父、すげえな」って思った…“56歳で他界”元大洋・加藤博一さんと最愛の息子の物語”. 文春オンライン. p. 2. 2021年7月10日閲覧。
- ^ “スーパーカートリオVS八重樫幸雄。ダントツNo.1で俊足だったのは?”. 集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva. 2021年7月30日閲覧。
- ^ a b “加藤博一 ひょうきんで職人肌、スーパーカー・トリオの“2号車”/プロ野球1980年代の名選手 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年7月10日閲覧。
- ^ 『ベースボールマガジン』1993年夏号「背番号は生きている」、ベースボール・マガジン社、1993年。関本四十四との対談より。
- ^ 『スーパーファミコン パーフェクトカタログ』、ジーウォーク、2019年9月28日、91頁、ISBN 9784862979131。
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