東部ソロモン海戦とは? わかりやすく解説

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第二次ソロモン海戦

(東部ソロモン海戦 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 13:52 UTC 版)

第二次ソロモン海戦(だいにじソロモンかいせん)は、第二次世界大戦太平洋戦争)中、1942年8月24日にソロモン諸島の北で戦われた日本軍アメリカ軍との間の海戦。連合軍側の呼称は東部ソロモン海戦(Battle of the Eastern Solomons)[1]。日本海軍は空母1隻を喪失、ガダルカナル島への兵員輸送にも失敗して敗北した。


  1. ^ #モリソンの太平洋海戦史169頁
  2. ^ #戦藻録(九版)165-167頁、#草鹿回想162頁
  3. ^ a b c 戦史叢書49 1971, p. 534.
  4. ^ a b #モリソンの太平洋海戦史170頁
  5. ^ #戦藻録(九版)167-168頁
  6. ^ #S1708外南洋増援部隊(1)p.13「(11)八月二十日1420外南洋部隊電令作第四〇號ニ依リ江風ハ陽炎ト交代ノ爲『ガダルカナル』方面ニ進出ス」
  7. ^ #戦藻録(九版)168頁
  8. ^ #叢書49南東方面547-548頁「連合軍の作戦」
  9. ^ #日本空母戦史318頁
  10. ^ #戦藻録(九版)169頁
  11. ^ #S1708外南洋増援部隊(1)pp.13-14「(13)江風ハ八月二十一日夜『ガダルカナル』『ツラギ』泊地襲撃ノ爲急速南下八月二十二日0100『ルンガ』泊地ニ侵入0200敵驅逐艦二隻ヲ砲雷撃内一隻ヲ轟沈セリ」
  12. ^ 戦史叢書49 1971, p. 552「『江風』のガダルカナル泊地攻撃」.
  13. ^ #S1708外南洋増援部隊(3)p.24「江風驅艦長|二十二日〇九三一|二十二日〇九三一 8F.11AF各司令長官 2sd司令官 24dg司令〔5AB指揮官 夕凪駆艦長〕|一.〇一〇〇哨戒艦ノ警戒ヲ排除シ西方ヨリ湾内ニ侵入視界狭少ニシテ「ルンガ」岬距岸一.五浬ニ至ルモ輸送船ヲ發見スルニ至ラズ湾内ヲ捜索〇二〇〇 二隻編隊ノ駆逐艦ヲ發見發射砲撃ヲ加ヘ一隻ヲ轟沈セシム我被害ナシ 發射魚雷數六本弾數六發 敵航空兵力ヲ考慮〇二三〇反轉北方ニ避退ス/二.陸戰隊トノ連絡ニ努メタルモ應答ナク11Aタナ第二六四番電ハ放送四回實施ス/三.一二〇〇燃料四割トナル見込ナリ」
  14. ^ #草鹿回想155-156頁
  15. ^ #草鹿回想169頁
  16. ^ #続海軍くろしお214-215頁
  17. ^ a b c 戦史叢書49 1971, p. 545.
  18. ^ #草鹿回想161頁
  19. ^ #空母瑞鳳生涯91頁
  20. ^ a b c d #モリソンの太平洋海戦史172頁
  21. ^ #草鹿回想163頁
  22. ^ #戦藻録(九版)170頁
  23. ^ a b #戦藻録(九版)171頁
  24. ^ #S1707七戦隊日誌(4)p.34「23日0455機動部隊指揮官→機動部隊/機動部隊信令第3号」
  25. ^ #連合艦隊参謀長の回想163-164頁「敵機動部隊発見に勇躍」
  26. ^ #戦藻録(九版)172頁
  27. ^ #吉田比叡142頁
  28. ^ 戦史叢書49 1971, p. 572.
  29. ^ #吉田比叡147頁
  30. ^ #吉田比叡149-150頁
  31. ^ #S1708二水戦日誌(3)p.48、#S1707七戦隊日誌(4)p.41「前進部隊指揮官24日1715/前進豚本隊(陸奥 2dg欠)ハ機動部隊ノ攻撃ニ策応今夜残敵ヲ捕捉下撃滅セントス(前進部隊本隊1500地点『ケリテ33』針路170度速力28節)」
  32. ^ 戦史叢書49 1971, p. 577.
  33. ^ #吉田比叡143頁
  34. ^ #モリソンの太平洋海戦史174頁
  35. ^ #モリソンの太平洋海戦史175頁
  36. ^ #草鹿回想166頁
  37. ^ #海軍功罪88頁、奥宮正武談。
  38. ^ #日本空母戦史338頁
  39. ^ #戦藻録(九版)174頁
  40. ^ #空母瑞鳳生涯95頁
  41. ^ #戦藻録(九版)175頁
  42. ^ 戦史叢書28 1969, p. 332.
  43. ^ #モリソンの太平洋海戦史176頁
  44. ^ a b #草鹿回想165頁
  45. ^ #戦藻録(九版)177-178頁、#大和と日本人105頁


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東部ソロモン海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 16:35 UTC 版)

エンタープライズ (CV-6)」の記事における「東部ソロモン海戦」の解説

先のミッドウェー海戦一挙に日本空母4隻を撃沈しサラトガ修理終了したのに加え大西洋からワスプ回航してきたため日米空母戦力互角になりつつあった。アメリカ海軍はこの機を逃さず反攻転じた8月7日から始まるソロモン諸島方面での反攻作戦支援するため、エンタープライズ7月15日出撃した。エンタープライズは第61任務部隊所属の第16任務旗艦となった7月25日トンガのヌクアロフに入港しワスプ以下の第18任務群と輸送船団合流した翌日フィジー南東サラトガの第11任務群と合流30日から31日にかけてフィジーコロ島沖で上陸演習行った8月7日サラトガ座乗ターナー少将より各艦に「本日8月7日我が部隊は現在敵の手にあるツラギガダルカナル奪還する」という電文伝えられた。5時35分にガダルカナル島へ向け、F4F16機とSBD9機からなる攻撃隊が発艦した。6時13分に重巡クインシー8インチ砲の砲撃開始し攻撃始まったエンタープライズサラトガワスプ攻撃隊は繰り返し発艦し、反復攻撃行った。これら攻撃隊はワスプ航空指揮官ビークリー少佐TBFによる空中管制受けて攻撃行った7時から上陸開始された。正午頃から日本軍機が襲来し始め、これらの迎撃任務にも追われた。この迎撃F4F3機を失った。この1日だけで236回の発艦229回の着艦行い、艦の記録更新された。8日同様に航空支援行った夕方フレッチャー中将より南東への退避命令下され空母部隊後退。その晩に第一次ソロモン海戦アメリカ軍での呼称サボ島沖海戦)が生起しアメリカ海軍大敗しソロモン諸島制海権失ったワスプなどは反転して日本艦隊追撃求めたが、空母の安全を取ったフレッチャー中将そのまま空母部隊後退させた。8月9日から2週間ソロモン諸島南方哨戒行った日本軍圧力強まりつつあったため、アメリカ海軍8月17日ホーネット真珠湾より出港させた。8月2223日に、日本軍輸送船団発見され日本軍攻撃が近い事が明らかになった。8月24日日本海軍空母部隊ソロモン諸島北方から襲来し第二次ソロモン海戦アメリカ軍での呼称は東部ソロモン海戦)が生起するワスプ以下の第18任務群は燃料補給のため後退しており、日本軍大型空母2隻、小型空母1隻を、大型空母1隻、中型空母1隻で相手取るになった。この海戦ではエンタープライズ索敵を、十数キロ離れた位置にいるサラトガ攻撃担当したまた、エンタープライズの第16任務群には、開戦以来初めての戦艦であるノースカロライナ護衛付いた6時30分頃にSBD23機の偵察隊発艦10時頃にガダルカナルカタリナ偵察機龍驤発見した1345分に更にTBF7機とSBD16機の偵察隊発艦させ、15時15分頃にTBF2機が龍驤発見し水平爆撃したが命中せず反対にTBF1機が撃墜された。更にSBD2機が摩耶攻撃した命中しなかった。15時30分に龍驤以下の部隊よりも後方SBD2機が翔鶴発見通報し15分後翔鶴奇襲爆撃至近弾を与えたアメリカ海軍龍驤を囮と判断し慌てて攻撃目標翔鶴型航空母艦2隻に変更しようとしたが、既にサラトガ攻撃隊の集中攻撃受けた龍驤沈没しつつあった。日本軍攻撃隊は既に発艦しており、翔鶴瑞鶴の2隻から、九九式艦上爆撃機27機、零式艦上戦闘機10機の攻撃隊が米艦隊接近していた。16時32分にエンタープライズ対空レーダー方位320度、距離140kmで敵編隊発見サラトガ合わせて54機が迎撃上がったが、実際に戦闘参加できた戦闘機多くなかった17時5分から、迎撃機日本軍機との空戦開始し17時8分までにSBD12機、TBF7機が攻撃のため発艦したが日本艦隊発見できなかった。17時12分から、第16任務群は対空射撃開始17時14分に第3エレベーター右舷前方250キロ爆弾被弾。これは徹甲弾エレベーター縦穴12メートル通り抜けた後、兵員居住区まで貫通して炸裂右舷後部喫水船下に破孔ができ、浸水発生した。数秒後に1発目の後方5メートル以内に2発目を被弾。これは触発信管飛行甲板上で炸裂右舷後部第3グループ)ガンギャラリーを爆発襲い多数兵員殺傷し備砲4分の1壊滅飛行甲板にも大きな損傷発生した15分に第2エレベーター右舷後方に3発目を被弾した。これも触発信管であったが、幸運に不良爆弾だったようで、爆発威力低く弾殻はいくつかの大きな破片別れた。それでも飛行甲板には3メートルの穴が空いた。更に左舷艦尾至近弾を被弾した。至近弾の衝撃後部いたものは60cm~90cm体が持ち上げられた。船殻がへこみ、左舷後部飛行甲板一部盛り上がった17分に攻撃終了74名が戦死したエンタープライズは、大火災発生、第2、第3エレベーター損傷飛行甲板損傷右舷水線に2メートル破孔右舷3度傾斜、という甚大な被害受けた引き換え日本軍艦爆17機、艦戦3機が撃墜され艦爆1機不時着という大損害を受けたエンタープライズではダメージコントロールにより火災消火され甲板修復左舷への注水傾斜回復し1時間以内艦載機発着艦が可能となった18時50分までに25機が着艦したが、舵が故障し操舵不能に陥った駆逐艦バルチ衝突しそうになったが、バルチ前進一杯エンタープライズ後進一杯行い辛うじて回避した。両舷の機関出力調整でも艦をコントロールすることが出来ず、やむ無くエンタープライズ停止した操舵区画内は約80度の高温であった懸命修理により、1928分に修理完了した。この修理中の動けない間に日本軍第2次攻撃隊が接近しレーダーが「方位270度、距離80km」という至近距離で敵をとらえたが、幸運に日本軍機はエンタープライズ発見できなかった。その後8月26日トンガタプ島応急修理行いポートランドと共に後退した艦載機大半は他空母や、ガダルカナルヘンダーソン飛行場分配しており、F4F6機とSBD6機のみしか搭載していなかった。9月10日真珠湾入港し本格的な修理が行われた。開戦から一貫してエンタープライズ航空隊として活躍してきた第6航空群は一連の戦いで消耗していた上に、ガダルカナル防衛のため空母ワスプヘンダーソン飛行場派遣され半壊していた。そのためエンタープライズには新設の第10航空群が搭載された。その戦闘機隊はヨークタウン活躍したジミー・フラットレー少佐率いられ"グリム・リーパーズ"の呼び名と共に名を馳せることとなるが、この時は航空群の搭乗員のほとんどが新兵であり、練度日本軍のそれに比べかなり劣っていた。修理平行して改装が行われ、28mm4連装機銃4基16門を撤去し艦首の1基は残された)、ボフォース40mm4連装機関砲4基16門が搭載され、20mm機銃12増設された。ダメージコントロール面でも改善があった。真珠湾エンタープライズ修理改装行っていたが、ソロモン諸島では米海軍苦戦していた。8月31日サラトガ伊26雷撃大破したフレッチャー提督負傷しサラトガ9月21日から真珠湾修理入った9月15日には、ワスプ伊19雷撃沈没した。これにより、太平洋における米海軍稼働空母ホーネット1隻のみになっていた。エンタープライズ修理急き立てられ10月16日には真珠湾出港した

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