ニューギニアの戦い
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ニューギニアの戦い(ニューギニアのたたかい, New Guinea Campaign)は、第二次世界大戦中期以降、ニューギニア戦線において、日本軍と連合国軍との間で行われた一連の戦闘である。戦闘が非常に悲惨だったことでも知られ「ジャワは天国、ビルマは地獄、死んでも帰れぬニューギニア」とまで言われた[1]。
注釈
- ^ アイタペの戦いの目的が「口減らし」であったとは当時この戦いに参加した第18軍将兵の間でも噂になっていた(尾川正二『野哭―ニューギニア戦記』)。だが5万4,000名の自活が不可能であったかどうかに関しては議論がある。ラバウルでは10万名が自活できた。ラバウルよりはるかに広大なウェワクで自活が全く不可能であったとは考えにくい(森山康平『米軍が記録したニューギニアの戦い』)。
出典
- ^ “太平洋戦線 傷痕今も 「ビルマは地獄 死んでも帰れぬニューギニア」”. 西日本新聞 (2014年9月23日). 2022年10月19日閲覧。
- ^ 戦史叢書 14 p.54
- ^ Fenner, F., "Malaria control in Papua New Guinea in the Second World War: from disaster to successful prophylaxis and the dawn of DDT", Parassitologia, 1998 Jun, 40(1-2), pp.55-63
- ^ 戦史叢書 14 P.189
- ^ 戦史叢書 7 P.109
- ^ 戦史叢書 40 P.10, P.14
- ^ 戦史叢書 28 P.385
- ^ 戦史叢書 7 P.233
- ^ 戦史叢書 40 P.69, P.94, P.220 戦史叢書 22 P.28
- ^ 戦史叢書 23 P.327
- ^ 戦史叢書 84 P.29
- ^ 戦史叢書 23 P.494
- ^ ニミッツ、ポッター P.255
- ^ 戦史叢書 22 P.502
- ^ 戦史叢書 54 P.433, P.598
- ^ 戦史叢書 7 P.284, P.407, P.473, P.536, P.541, P.678 戦史叢書 22 P.535, P.685
- ^ 戦史叢書 7 P.675 戦史叢書 22 P.682
固有名詞の分類
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