神智学
(近代神智学 から転送)
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神智学(しんちがく、英: theosophy)[† 1]とは、神秘的直観や思弁、幻視、瞑想、啓示などを通じて、神と結びついた神聖な知識の獲得や高度な認識に達しようとするものである[1]。神知学、神知論、接神論とも。
注釈
- ^
独: Theosophie ()、仏: théosophie ()、英: theosophy ()。 - ^ フランスのイスラーム思想研究者アンリ・コルバンは、中世イランのシーア派やイスマーイール派の秘教思想についても神智学という用語を使用した。かれの学術的かつ神智学的な考察はキリスト教神智学を理解するうえでも示唆的であった[3](神谷幹夫「アンリ・コルバンの「創造的想像力」について」『エラノス叢書I 時の現象学I』270頁も参照)。
- ^ 秘教史家グドリック=クラークは、ベーメらのキリスト教神智学 (Christian theosophy) と区別して、頭大文字の「神智学」 (Theosophy) あるいは「近代神智学」 (Modern Theosophy) という用語を使用している[8](とはいえ、アントワーヌ・フェーヴルはキリスト教神智学の影響を受けた20世紀の思想家たちの名を挙げており[9]、近現代にキリスト教神智学の命脈が絶たれていたとは必ずしも言えない)。以下、本項では神智学協会系の「神智学」については、キリスト教神智学等との表記上の区別のため、〈 〉で括る。
- ^ 横山茂雄は『秘奥の教義』、神智学協会ニッポン・ロッジは『秘密教義(シークレット・ドクトリン)』と表記している。
- ^ ここでいう諸団体には、神智学協会アディヤール [1]、神智学協会パサディナ [2]、神智学ユナイテッド・ロッジ [3] が含まれるが、それだけではない。
- ^ たとえば、ベーメに『神智学の六つの要点』 Von sechs Theosophischen Puncten; Sex puncta theosophica という表題の小著がある[35]。
- ^ フランスのエゾテリスム史家アントワーヌ・フェーヴルは北西ヨーロッパ(ドイツ含む)の17世紀の神智家としておおよそ10名を挙げている。
- ^ フェーヴルはヘンリー・モアを留保付きでリストに加えている。
- ^ ディドロはフェーヴルの言及する例外である。
- ^ 1783年の神智学協会への言及については Odhner, Carl T., ed (1898). Annals of the New Church. Philadelphia: Academy of the New Church. pp. 119–120, 122–123, 125, 127, 140, 219, 297, 314, 330, 405. OCLC 680808382を参照。
- ^ 杉本は、ここに神智学協会と、宗教研究にはじめて「比較」という方法を取り入れ近代宗教学の祖となったマックス・ミュラーとの、インドを介した深い関係が見てとれると指摘している[57]。
- ^ ロブサン・ランパによるラマの自伝(を装った偽書)『第三の眼』(1957年)や、これに着想を得た多くの書籍、ベルギーの漫画家エルジェの『タンタン、チベットを行く』(1960年)などが読まれ、チベットへの幻想と憧れをかき立てていた。
- ^ 『イシス開帳』『顕現せるイシス』『ヴェールを脱いだイシス』とも。第1巻が『ベールをとったイシス』の表題で日本語訳されている。
- ^ ユダヤ教の伝統に基づいた神秘思想。
- ^ ローマ時代のプロティノス(3世紀)に始まる。プラトン哲学を継承し、万物は一者から流出したものと捉える。
- ^ "Dzyan"を横山茂雄はヅヤーン、吉村正和はジアン、高橋巖はドジアンまたドジャンと表記している。
- ^ 19世紀半ばのフランスで起こったオカルト復興の頂点をなすロマン派詩人・隠秘学者。
- ^ ただし強制ではない[77]。
- ^ 折衷的神智学は、初期神智学協会のメンバーであった医学者アレクサンダー・ワイルダーの用語。草創期のブラヴァツキー神智学は、古代の新プラトン主義を折衷的神智学として位置づけ、古代アレクサンドリアに象徴される新プラトン派の後継者を標榜した[18]。
- ^ 高次の自己は、ニューエイジでハイヤーセルフ(Higher self)と呼ばれるようになった。
- ^ 極楽(サンスクリットではスカーヴァティー)を意味するチベット語デワチェンに由来。
- ^ 正しくはマハートマー。マハット(大)とアートマン(霊)の複合語。
- ^ 当時インドで活動していたキリスト教宣教師たちは神智学協会の活動について苦々しく思っていた。吉村正和は、イエスが神智学協会のマハトマとされたこともその一因ではなかったかと述べている[75]。
- ^ マハトマのひとり。
- ^ 心霊現象研究協会のヴァーノン・ハリソンは、1986年に同レポートの正確性を研究し、ホジソンの調査には認知バイアスがかかっており、科学的調査とは言えないと指摘している[135]。
- ^ 原著は『Life and Teaching of the Masters of the Far East』、日本語版は仲里誠桔と成瀬雅春による翻訳がある。
- ^ アメリカ西海岸の書店で使用されている社会的にも認知された用語に「メタフィジカル宗教」があり、これは〈神智学〉を思想的柱とする大衆的オカルティズムを意味する。
- ^ ハイパーボリア (Hyperborea) とは「北風の彼方の地」の意[155]。古代ギリシアの文献に登場する伝説上の極北人ヒュペルボレオイの住む土地を意味する。かれらは北の果ての常昼の理想郷で暮らし[156]、太陽神アポロンを熱心に崇拝するという[157]。山林や湖、河川、氷山のある自己完結的な世界には、黒い太陽から青白い光が放たれている。生物は巨大で老いることがなかったとされる[158]。
- ^ ここにいうアーリア人とは、インド・ヨーロッパ語族の諸言語を使う全ての民族を、共通の祖先アーリア人から発生したものとする学説の拡大解釈されたアーリア人である[160]。
- ^ 自伝によれば、ガンディーは高校卒業後、英国に留学し弁護士になるべく法律を学んでいたが、その時に接神論(神智学)に近づいている。その頃ロンドンでは神智学協会のロッジが開設されており、ブラヴァツキー夫人や、のちにインド独立運動で縁が深くなるアニー・ベサントにも会っている[168]。また、ネルーは13歳で神智学協会の会員になっている[169]。
- ^ アラン・レオは、1915年に神智学協会内に「占星術ロッジ」を開設し、このロッジはその後も発展を続け、やがて神智学協会の常設部門にまでなった。
- ^ Walter Richard Old、のちWalter Gorn Old。ペンネームはセファリアル。
- ^ バレエに範をとってインド古典舞踊の改革に力を注いだ。
- ^ ライマン・フランク・ボームは、科学的な自然と妖精の世界を認める原理として〈神智学〉を受け入れ、1892年に神智学協会に入会している。
- ^ 鎌田東二によれば、霊学と霊術には、当時はそれほど明確な区別はなかったという。
- ^ 鎌田東二は、鞍馬弘教初代管長の信楽香雲は、神智学者の三浦関造と親交があり、そこでつかんだ知見から、教義と儀軌を体系づけたと述べている。
- ^ ストーム, 高橋・小杉訳 (1993) は、神智学協会の全世界の会員は最も多い時で数百万人いたとしているが、その典拠は不明である。
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近代神智学
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詳細は「神智学」および「ヘレナ・P・ブラヴァツキー」を参照 心霊主義の影響を受けたものに近代神智学があり、これは心霊主義の一種であるとされる。フリーメイソンや薔薇十字団、インドやエジプトの思想を取り入れ、古代の霊知を復興し真の霊性(オカルト能力)を養うこと、ドグマ化したキリスト教と唯物論化した自然科学の弊害を取り除くことを掲げ、科学の研究に耐えうる新しい宗教として登場した。マクロコスモスとミクロコスモス(宇宙と人間)との照応というヨーロッパの伝統思想が理論的基礎にあり、西洋と東洋の智の融合・統一を企図していたといえる。創始者のヘレナ・P・ブラヴァツキー(1831年 – 1891年)、通称ブラヴァツキー夫人は、1877年に『ヴェールを脱いだイシス神』を著した。もともと心霊主義の霊媒であったが、霊媒として活動した経験からか、心霊主義の単純な霊魂論に異議を唱え、心霊主義と交霊会を厳しく非難していた。霊媒が交信する霊は真我ではなく「アストラル体の殻」であり、ブッディ=アートマ(インド哲学の用語)と結びついて霊界に入った真我とは交信できないとした。これにより心霊主義者は神智学協会から離反し、キリスト教を捨てきれない人たちも離れていった。 神智学協会は起死回生を狙ってインドに進出した。イギリスはインドで、土着の文化を尊重しながら先住民を内面から支配するという巧妙な政策をとり、『バガヴァッド・ギーター』の英訳なども行われていた。しかしキリスト教はその特殊性から他の宗教との融和ができないため、現地で軋轢を生んでいた。近代神智学はインド思想を教義の中核に取り込んでいたこともあり、ヴェーダを中心とする宗教改革運動「アーリヤ・サマージ」などから歓迎を受けた。インド人の神智学協会会員などの協力で、ヒンドゥー教や仏教の教えが取り入れられたが、理解には限界があり、カバラや新プラトン主義で補うという方法がとられた。 近代神智学では、フリーメイソンやイギリス薔薇十字団から、古代から伝えられた霊知を選ばれた人間に伝える「未知の上位者」という発想を借用している。これは、ウィリアム・ステイントン・モーゼスの指導霊インペレーターを除くと、当時の心霊主義ではほとんど見られない発想である(ブラヴァツキーはモーゼスを例外的に高く評価していた。)近代神智学では「マハトマ」と呼ばれ、キリストもマハトマのひとりであるとされ、人格神も否定した。この思想はキリスト教に衝撃を与え、近代神智学は宣教師の嫌悪の対象となった。 近代神智学は従来の心霊主義に代わって、新しい心霊学としてインド思想を取り入れ、西洋秘教伝統とインド思想のカルマの法則と再生の原理を取り入れた。高次の自我(真我、霊我)の覚醒を目的とし、人間の自我を高次と低次に分け、心霊主義を低次の自我に関わるものにすぎないとして退けた。マハトマとの交信は霊媒たちによっても別に進められたが、これはのちのチャネリングと共通する発想である。 1884年には、マハトマからの手紙(マハトマ書簡)が突然「聖容器」に現われたように見せるトリックが身内によって暴露され、ロンドンの心霊現象研究協会により調査が行われ、1885年にはブラヴァツキーは詐欺師・ペテン師であるとする報告が公表された。心霊現象研究協会の信頼は絶大であり、近代神智学の根幹であるマハトマの存在に疑問を呈したこともあり、衝撃は大きかった。ブラヴァツキーはこれを克服するために、第2の著作を執筆し、ロンドンに上級会員に奥義を教えるための秘教部門を開設した。詩人のW・B・イェイツは詩作の原理を探求するために秘教部門に属したが、目的を達することができず退会し、黄金の夜明け団に所属し魔術の観点から研究を行っている。 近代神智学では、ダーウィンの進化論は人間の霊魂には適用できないと考えた(これはダーウィンと並ぶ進化論の最初の提唱者である科学者アルフレッド・ウォレスも同じであり、彼は心霊主義が霊的進化を傍証するものだと考えていた。)ブラヴァツキーは進化論をカルマの法則と再生の原理で解釈し、最終局面として人間の霊的な完成を想定し、自助努力で神に近い存在に近づくことができる、つまり自分で自分を完成させ、救うことができると考えた。これは神が天地創造の際に人間を神の似姿として作ったという神話の逆であり、また人類は肉体を持たない霊的な存在(第一根源人種)であったが、徐々に退化して物質世界に埋没し、猿人になったとした。近代神智学における霊的進化論は、ダーウィンの進化論の逆であるといえる。 このように心霊主義は、近代神智学を経由してカルト的な自己宗教に変容していった。
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