近代社会政策思想とは? わかりやすく解説

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近代社会政策思想(ドイツ自由貿易学派と講壇社会主義)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:20 UTC 版)

政治学史」の記事における「近代社会政策思想(ドイツ自由貿易学派講壇社会主義)」の解説

19世紀に入ると社会政策も本格的に学問対象とされ、主に経済学影響受けて社会政策思想成立した。まず1858年イギリスの功利主義自由貿易主義影響されて、ドイツ自由主義者が「ドイツ経済会議」(Kongress deutscher Volkswirte)を結成、それを根拠として「ドイツ・マンチェスター学派」(das deutsche Manchestertum)が形成された。彼らは貿易自由政策重視するよう主張する一派で「ドイツ自由貿易学派」とも呼ばれ、その中心人物はプリンス・スミスである。当時ドイツ中心とする中央ヨーロッパ諸国ドイツ関税同盟形成していたが、この時期北東ドイツ農業地帯及び北海沿岸港湾都市経済イギリスとの結びつき強く、彼らはその経済的利害代表していた。具体的には、ドイツ関税同盟代表される保護関税政策拡大することに反対し、むしろ不必要な高率保護関税廃止すべしと論じた一方でドイツ国内急速な工業化先進化はとくに労働問題先鋭化させ、労使関係調整が必要とされていることは明らかであった講壇社会主義は主にアカデミックな立場から、国民経済を、その崩壊招きかねない労働問題社会問題激化から救出することを第一目的としていた。この学派は「社会政策学会」という機関持ち代表する論者シュモラー及びブレンターノワグナーであった。彼らはまず、経済的な自由主義道徳的価値絶対であるとする自由貿易学派主張対し社会政策に関する学問科学的なければならず、したがってそれはあらゆる道徳的価値排した、客観的な学問にされるべきだとして批判した。彼らは労働者保護すべきだ論じたが、それは倫理的な理由によるのではなく産業社会進展必要不可欠負担であると論じた。したがって講壇社会主義労働条件改善などの社会改良主張しながらも、一方で労働運動にはむしろ否定的であった

※この「近代社会政策思想(ドイツ自由貿易学派と講壇社会主義)」の解説は、「政治学史」の解説の一部です。
「近代社会政策思想(ドイツ自由貿易学派と講壇社会主義)」を含む「政治学史」の記事については、「政治学史」の概要を参照ください。

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