近代相撲以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 04:10 UTC 版)
講談などでは、寛政時代雷電と小野川の取組で、雷電の寄りを土俵際こらえた小野川が必死に残すも軍配は雷電、しかし小野川を抱える久留米藩の藩士が小野川がうっちゃったであろうと刀に手をかけ、土俵に駆け上って物言い、行司は委細構わず凛然と「雷電ン~!」と勝ち名乗りをあげ、観客の喝采を得るという話があった。これ自体は全くの創作だが、こうした強引な物言いは当時決して少なくなく、江戸の庶民も腹に据えかねていた。 1789年(寛政元年)11月場所6日目、角界史上初の横綱(番付上は大関)披露を翌日に控えた関脇小野川は前頭2枚目関ノ戸と対戦。小野川がちょっとしたはずみで左膝をつき、関ノ戸の勝ちとなるところを強引な物言いがついて勝負預りとなった。関ノ戸にとっては不運であったが、小野川の横綱披露に差し障りがあるため、無理難題な物言いだったとされている。
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