近代社会における学歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 03:14 UTC 版)
近代以前の社会においては、人々の社会的地位や職業はその身分・家柄・財産によって定められ、世襲や血縁、地縁などを加味して人材の選抜・配置が行われていた。 ところが、18世紀から19世紀ごろにかけて、近代的な官僚制度が生じ、官僚たちが試験によって任用されるようになり、また同じころ、専門的知識・技術が必要とされる職業についても試験制度が取り入れられ、学歴もそれらの職業につくための基礎資格として徐々に重要性を増していった。 産業革命と市民社会が進展したイギリスにおいて、1853年に東インド会社によってインド高等文官の任用が会社理事による推薦から公開競争試験に移行し、1870年にはイギリス本国高等文官にも同様の試験が導入され、試験による人材の選抜・登用が官僚のみならず各種専門職などでも行われるようになった。このような人事制度は、「人々の能力・業績を公平かつ客観的に図る方法」などと謳われつつ導入され、「身分制社会から社会を解放して社会問題を解決する手段」として各国に普及した。ノーバート・ウィーナーは学歴社会を「統治者は永久に統治者であり、兵士は永久に兵士であり、労働者は労働者に運命づけられている」と定義づけている。
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