近代的視点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 16:06 UTC 版)
アル・マアッリーはアラブ世界の主流宗教であるイスラムに懐疑的だったため、今日においても批判の的になっている。2013年すでに彼の死から千年後であるが、アルカーイダの分派であるヌスラ前線がシリア内戦の間にアル・マアッリーの像を斬首した。この像は彫刻家ファティ・ムハンマドによって作られた。斬首の動機は議論されており、その説は、彼が異端者であるという事実から彼がアサド家と関係のある幾人かに信じられているという事実までを範囲とした。それでも、アル・マアッリーは最も偉大なる古典アラブ詩人として言及されることがある。ある者たちは彼とローマの詩人ルクレティウスとの関係で描写し、彼らを時代の最先端と称した。 彼の最初の詩集は『火打ち石のひらめき(Saqṭ al-zand; سقط الزند)』であった。詩集にはアレッポの高名な人たちを称えたものや、ハムダーン朝の指導者サアド・アッダウラをたたえたものがある。この詩集は彼の知名度を上げ、詩人としての評判を打ち立てた。この詩集はわずかではあるが武具に関するものもあった。二作目として、さらに独創的な詩集が『肝要ではない重要事( Luzūm mā lam yalzam لزوم ما لا يلزم أو اللزوميات)』という、タイトルで出された。これは単に『ルズーミーヤート』または『肝要事』とも称される。このタイトルはアル・マアッリーが生きることをどう見ていたかに言及し、また用いられている押韻の重要でない複雑さに言及している。彼の三番目の作品は散文であり『許しの書(Resalat Al-Ghufran رسالة الغفران )』として知られている作品である。この作品はアラブ詩人、イブン・アル・カーリーフに対する返信として書かれたものであり、アル・マアッリーは彼の宗教観を嘲笑している。この作品で詩人は天国を訪れ、イスラムの教えは神を信じるものだけが救われるということを保持しているが、その教えとは反対に、無明時代のアラブ詩人に会うのである。この世を去った人たちと会話を交わすという点から見て、『許しの書』は数百年後に出されたダンテの神曲と比較される。 この作品はまた、イブン・シュハイドの『Risala al-tawabi' wa al-zawabi』と似ているとも言われるが、アル・マアッリーがイイブン・シュハイドに影響を受けた確証はなく、ダンテがアル・マアッリーに影響を受けた確証もない。アルジェリアは報道によれば2007年に同国で行われた国際ブックフェアから「許しの手紙」を出すことを禁止した。『段落と時代(Al-Fuṣūl wa al-ghāyāt)』は説教集である。この作品はまたコーランのパロディとも言われてきた。
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