近代的百科事典の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 05:50 UTC 版)
ルネサンス以後、あまたある知識や語彙を集積した書物が各国において徐々に発行されるようになった。17世紀初頭には、それまで分野別になっていた各項目の配列がアルファベット順に並べられるようになった。これにより、百科事典は編集者の価値観に秩序付けられる概念の関係によらず、アルファベットによる機械的で一律な構成となった。1695年から1697年にはピエール・ベールによって「歴史批評辞典」が書かれた。またイギリスのイーフレイム・チェンバーズが1728年に『サイクロペディア、または諸芸諸学の百科事典』を出版している。サイクロペディアにおいては各項目間の相互参照が初めて導入されており、のちの百科事典に大きな影響を与えた。また、サイクロペディアはそれまでの事典が人文系に片寄っていたのに対し、科学や技術系の記述を大幅に増やしたのも特徴である。 しかし、一般に世界最初の百科事典と呼ばれているのは、フランス革命前夜の1751年に開始された、フランス啓蒙思想運動の一環としてダランベール、ディドロ、ヴォルテール、ルソーらが企画した分冊の『百科全書』 (L'Encyclopédie) である。彼らは予約購読者を募り、分冊販売としてそれを刊行した(販売形態は今日よく見られる「月刊○○百科」のようにあるテーマで定期刊行される分冊百科を思わせる)。この企てにより彼らは「百科全書派」と呼ばれている。ただし、それぞれの項目の執筆姿勢などで意見の食い違いが生じ、内紛から離脱者が絶えなかった。 この百科全書の特徴は、「美」、「愛」、「音楽」といった大項目の他に、近代に登場した新しい技術を断面図などを含む絵入りの図解で分かりやすく解説、新知識を広く一般の共有財産にしようとしたことにある。良く知られる項目では、「農機具」、「石炭の露天掘り」、「洗濯船」、「廻り舞台」などがある。これ以後、百科事典という語は知の一切を叙述する企ての異称としても用いられる。代表的な例としてヘーゲルの『エンチクロペディー』(ドイツ語で「百科事典」の意)が挙げられる。また、それまでの百科事典が編集者個人の著作、あるいはその傾向が濃いものであったのに対し、百科全書は名高い一流の学者たちがそれぞれ専門分野において寄稿を行い、それを集積して一つの巨大な事典を作るという方向性を明確に示し、以後百科事典はこのスタイルによって作成されていくようになった。
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