近代的水道の水源として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 23:42 UTC 版)
函館は1887年(明治20年)の横浜に続いて1889年(明治22年)に全国で2番目に近代的水道を導入したとされている(ただ1888年(明治21年)、市来知(いちきしり、現・北海道三笠市、空知集治監の囚人の手によるものが2番目との説がある。三笠市#名所・旧跡も参照)。1923年(大正12年)に支流の笹流川に日本初のバットレスダム、笹流ダムが造られた(水道専用ダム、管理者は函館市水道局(現・函館市企業局上下水道部))。通称・赤川水源地と呼ぶ。これは「土木学会選奨土木遺産2001」に選定されている。さらに本流の上流には1960年(昭和35年)9月21日に建設された函館市水道局(現・函館市企業局上下水道部)の水道専用ダム「中野ダム」を元に1984年(昭和59年)にかさ上げされた補助治水ダムの新中野ダムがあり、こちらも水源となっている。取水された水は赤川低区浄水場と赤川高区浄水場で浄水されている。
※この「近代的水道の水源として」の解説は、「亀田川」の解説の一部です。
「近代的水道の水源として」を含む「亀田川」の記事については、「亀田川」の概要を参照ください。
- 近代的水道の水源としてのページへのリンク