近代的用法とは? わかりやすく解説

近代的用法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 00:34 UTC 版)

中国」の記事における「近代的用法」の解説

清代後半になると、近代化果たした欧米列強圧倒的国力中国周辺にも波及し中国諸外国対等な国際社会一員として自己を再定義する必要に迫られた。「中国」という用語の近代的な主権国家概念での使用は、1842年阿片戦争敗北清朝イギリス結んだ南京条約で、漢文の「中国」が使われ近代的な国際条約最初であると知られている。 1689年調印されネルチンスク条約では、清朝外交使臣が自らの身分称する時に中国」という用語を満州語使ったここでいう中国とは、満洲人故郷である満洲と旧明領を皇帝直轄地として統治したことから、この領域を「真ん中の国」という意味として中国満洲語:.mw-parser-output .font-mong{font-family:"Menk Hawang Tig","Menk Qagan Tig","Menk Garqag Tig","Menk Har_a Tig","Menk Scnin Tig","Oyun Gurban Ulus Tig","Oyun Qagan Tig","Oyun Garqag Tig","Oyun Har_a Tig","Oyun Scnin Tig","Oyun Agula Tig","Mongolian BT","Mongolian Baiti","Mongolian Universal White","Noto Sans Mongolian","Mongol Usug","Mongolian White","MongolianScript","Code2000","Menksoft Qagan"}.mw-parser-output .font-mong-mnc,.mw-parser-output .font-mong:lang(mnc-Mong),.mw-parser-output .font-mong:lang(dta-Mong),.mw-parser-output .font-mong:lang(sjo-Mong){font-family:"Abkai Xanyan","Abkai Xanyan LA","Abkai Xanyan VT","Abkai Xanyan XX","Abkai Xanyan SC","Abkai Buleku","Daicing White","Mongolian BT","Mongolian Baiti","Mongolian Universal White","Noto Sans Mongolian"}ᡩᡠᠯᡳᠮᠪᠠᡳᡤᡠᡵᡠᠨ ドゥリンバイ・グルン、dulimbai gurun)と呼んだのである清朝政府主権国家体制国籍条例重要性認識し国籍法国名は「中国」を定めている。20世紀初期梁啓超は『中国史叙論』において、自国主権国家国名どうする悩み、「支那」は外国人呼んだもので自ら命名したものではなく、「中華」「中国」は自尊自大非難される、といずれも欠点があるとした上で、その中から便宜的に中国」の国名使用提案した。 「中国」や「中国人」の範囲どのように設定するかについては20世紀入って議論続いた。たとえば共和革命イデオローグ章炳麟は「中華民国解」で中国範囲を「先漢の郡県が設置され領域」、中国人を「黄帝の子孫」と定義、朝鮮漢代楽浪郡帯方郡置かれた)やベトナムを「中華民国絶対回復すべき領域」、ビルマを「ややこれに次ぐ領域」とする一方モンゴル蒙古)やチベット西蔵)、東トルキスタン回部)は、漢代に郡県は置かれず、「三荒服の地」であったことから、中華民国参加するのも自立するのも、彼ら自身任せるべき、としている。孫文革命派は、清の他族は既に漢民族同化しており、満洲蒙古服属すると主張した一方梁啓超立憲派は、各民族一つにすることで、清の現在の領土維持すべきと反論した双方論争の中で主張接近し、清の現行領土保ったうえで各エスニックグループ融合して中華民族」という一つ民族作り上げる構想ができた。 歴史学においては清を中国とするかについても議論がある。新清史1990年代半ばに始まる歴史学傾向であり、清王朝満洲人王朝としての性質強調している。以前の歴史観では中国中華人民共和国)の歴史家中心に漢人の力を強調し、清は中華王朝として満洲人漢人同化したこと、つまり「漢化」が大きな役割果たしたとされていた。しかし1980年代から1990年代初頭にかけて、日本アメリカの学者たちは満洲語モンゴル語チベット語ロシア語等の漢字文献以外の文献実地研究重視し満洲人満洲語伝統である騎射保ちそれぞれの地域異なった体制統治していたため長期的支配が行えたとし、中華王朝よりも中央ユーラシア的な体制強調している。満洲人母語アルタイ系言語である満洲語であったこと、広大な領域有した領土の4分の3が非漢字圏であったことなど「清朝秦・漢以来中国王朝伝統引き継ぐ最後中華王朝である」という一般に流布している視点は正確ではないとしており、中華王朝という意味の中国はあくまで清の一部であり清は中国ではないとしている。 中国国内では「新清史」の学術的成果認められつつあるものの、「漢化」を否定する主張については反対根強くある。2016年においても劉文が「内陸亜洲視野下的“新清史研究」で「『新清史』は内陸アジアという地理的文化的概念政治的概念置き換えたことにより中国の多民族的国家正統性批判している」としていることからも、現在の中国において新清史学術的価値認められつつも、その主張には依然として反対する流れ変化は無いようである。(New Qing History参照) 辛亥革命では、「支那共和国」と呼称されていたが、共和勢力による政権獲得現実のものとなっていくのに伴い支那独立という理想論影を潜め清朝1912年段階まで連合していた「支那満洲・モンゴル・チベット・東トルキスタン」の範囲そのまま枠組みとする「中国」で、近代的な国民国家の形成目指されることとなった。しかし、そのような議論モンゴルチベット東トルキスタン人々意思とは無関係に決められており、実際に漢民族との連携重視し始めた清朝対す反発諸外国影響受けて支那地域以外では自立動きがみられ、これらの地域再統合中華人民共和国成立後持ち越される事になる。 「中国」「中華」は中華民国および中華人民共和国において、それぞれの国号となった。「中国」「中華」という用語が持っていた「漢民族アイデンティティ」という要素は、「多民族仲直り統一」という要素として再構成され、多民族の構成員が主体となって建設した中国文化優越性」だけが共通分母として落ち着くようになった。そしてその持ち主という意味の「華人」「華僑」という呼称生まれた今日中国では、漢民族以外の数多く少数民族居住しており、その数は中華人民共和国政府が公式に認定しているものだけでも55数える。なお、中華人民共和国憲法では漢民族を含む全ての民族を「中華民族」と規定している。

※この「近代的用法」の解説は、「中国」の解説の一部です。
「近代的用法」を含む「中国」の記事については、「中国」の概要を参照ください。

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