近代的散文作品の発達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 18:51 UTC 版)
前述とやや時代が前後するが散文の発達はラーマ1世時代に、官吏のビルマ・コンバウン王朝の侵略に備えて志気を高めるためにチャオプラヤー・プラクランを編集長とする翻訳グループによって書かれた『サームコック』(三国志演義)、『ラーチャーティラート』などの忠誠の家来を描いた翻訳作品が挙げられる。これがタイの近代的な散文文学の曙となった。とくに『サームコック』は文体の格調の高さと、その文体の平易さから現代タイ語の書き言葉の模範となっている。『ラーチャティーラート』は散文であるが、古語を多用している。 一方でタイの近代的な文学の発展・普及を促進した印刷技術は1836年に宣教師によって『モーゼの十戒』や賛美歌などが印刷されたことに始まる。1865年には宣教師であり医師であったブラッドレーが本格的な印刷所を設置し、ロンドンに外交員と共に通訳として滞在したモーム・ラーチョータイのロンドン滞在日記、『ニラート・ロンドン』の版権を400バーツで買収し印刷を開始した。これはタイにおける文学作品の最初の商業出版であり、最初に著作権が主張された作品であった。1870年には前述の『プラ・アパイマニー』が印刷されタイ最初のベストセラーとなった。 一方新聞が中流階級を中心に普及すると前述サームコックが連載され好評を得たため、新聞業界では中国の唐、清代の散文小説が競って翻訳された。
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