近代的指揮法の創始
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「ハンス・フォン・ビューロー」の記事における「近代的指揮法の創始」の解説
ビューロー以前の指揮は、単純に拍子をとって曲を進行させるというものが一般的だった。ワーグナーは、曲を解釈し、それに基づいた表現を重視する指揮法を提唱し、ビューローが受け継いでこれを広めた。 ビューローは、並外れた記憶力を持ち、1850年にロッシーニのオペラ『セビリアの理髪師』の指揮でデビューしたときには、総譜をすべて覚えて練習に臨んだ。オーケストラの楽員にも暗譜で、しかも立ったまま演奏するように強要し、納得のいく演奏になるまでリハーサルを何度も繰り返したという。リストによると、『ファウスト交響曲』演奏の際にも総譜を完璧に暗譜しており、リハーサルの段階でも総譜を使わず、全て練習番号で正確にオーケストラへ指示を与えていたという。 ビューローの指揮は、録音が残っておらず(ボストン交響楽団を指揮してベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」を蝋管に録音したという説もある)、どのようなものであったか確認する術はないが、テンポが自在でニュアンス豊かなものだったらしい。批評家エドゥアルト・ハンスリックは「ビューローは、まるで手の中の小さな鈴を振るかようにオーケストラを振った。ここぞというところで、まるでピアノを弾くようにニュアンスを添えていくのがわかる」と書いている。一方、ブラームスのピアノの弟子であり友人でもあったエリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクは、1881年にブラームスに宛てた手紙に「(ビューローの指揮は)わずかな休止、新しいフレーズの前、和声が変わるところで気取る」と批判的に書いている。 また、ビューローは、聴衆を啓発しなければならないという使命感を持っており、演奏前に聴衆に向かって講義するのが常だった。ベートーヴェンの交響曲第9番を演奏した際には、全曲をもう一度繰り返し、聴衆が途中で逃げ出せないように、会場の扉に鍵を掛けさせたという。この事をブラームスは『ベートーヴェンの第18』と揶揄し、ビューローの指揮を見て指揮者になろうと決意したブルーノ・ワルターも自伝の中で『疑問に思った』と綴っている。
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