ドイツ実験心理学の登場とは? わかりやすく解説

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ドイツ実験心理学の登場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 06:16 UTC 版)

心理学の歴史」の記事における「ドイツ実験心理学の登場」の解説

19世紀中頃までは、心理学概して哲学一分野として扱われていた。例えば、イマヌエル・カント1724年-1804年)は著書自然科学形而上学的基礎』(1786年)で、様々な理由中でも心理学的現象数学的形式表現できないという理由為に心理学は「厳密」科学となりえないと述べている。しかし、『実用的見地における人間学』(1798年)においてカントは、近代的視点からは経験的心理学に非常に近く見えるものを提議している。 ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルト1776年1841年)はカント出した結論対立した意見持ち科学的心理学数学的基礎発展させた。彼は自身心理学用語を経験主義的に表すことはできなかったが、彼の努力によってエルンスト・ハインリヒ・ヴェーバー1795年-1878年)やグスタフ・テオドール・フェヒナー1801年-1887年)が外的刺激物理的大きさとそれによって生じ感覚の精神的強度との数学的関係を計ることになったフェヒナー1860年)が初め精神物理学という言葉使った。 そのころ、天文学において反応時間個人差が「個人誤差」の名の下に重大な問題となっていた。フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル1784年-1846年)によるケーニヒスベルクでの、あるいはアドルフ・ヒルシュによる、初期の研究によってマティアス・ヒップの非常に精確なクロノグラフ発明促進され、これが、砲弾速度計測する装置というチャールズ・ホイートストンデザインに基づくようになった。他の計時器は生理学から借用され例えキモグラフ)、ユトレヒト眼科医フランキスクス・コルネリス・ドンデルス1818年-1899年)や彼の弟子ヨハン・ヤコブ・デ・ヤーガーによって単純な心理的決定持続期間を計る際に利用された。 19世紀神経生理学などの生理学専門化した時代でもあり、生理学史上の最も重要な発見いくつかなされている。その主導者としては、それぞれ独立脊椎内での知覚神経運動神経分離発見したチャールズ・ベル(1774年-1843年)およびフランソワ・マジャンディー1783年-1855年)、特殊神経エネルギー説唱えたヨハネス・ペーター・ミュラー1801年-1855年)、筋収縮電気学的基礎研究したエミール・デュ・ボア=レーモン1818年-1896年)、それぞれ異な言語機能つかさどる領域明らかにしたピエール・ポール・ブローカ1824年-1880年)とカール・ヴェルニッケ(1848年-1905年)、脳の運動野知覚野を特定したグスタフ・テオドール・フリッチュ(1837年-1927年)、エドゥアルト・ヒッツィヒ(1839年1907年)、デイヴィッド・フェリア(1843年-1924年)らがいる。経験的生理学第一創始者一人であるヘルマン・フォン・ヘルムホルツ1821年-1894年)は、後に心理学者関心惹くことになる議題神経伝達速度音と色実体、音や色の認識本性等々―の広範な研究行った1860年代には、彼はハイデルベルク大学で職を得ていたが、そこでヴィルヘルム・ヴントという名の若い医学博士助手として雇ったヴント生理学研究室器材―クロノスコープ、キモグラフ様々な周辺的道具―を用いてそれまで経験的に研究されていたよりも複雑な心理学的な問題説明したとりわけ、彼は統覚認識明確な意識中心的な関心占め領域―の実体に関心抱いたヴント1874年チューリヒ教授となり、画期となる教科書生理学的心理学綱要』を発表した1875年により名声高いライプツィヒ教授職に就くと、ヴント1879年専ら経験的心理学独自の研究を行う研究室創立したが、これは世界初のその種の研究室である。1883年には、自身弟子研究発表する雑誌哲学研究』(独:Philosophische Studien)を立ち上げたヴントドイツのみならず外国からも非常に多く学生引き付けた彼の最も影響力の高いアメリカ人弟子にはグランヴィル・スタンレー・ホールウィリアム・ジェームズ監督下で既にハーヴァードから博士号得ていた)、ジェームズ・キャッテルヴント最初助手)、フランク・アンゲルらがいる。最も影響力の高いイギリス人弟子エドワード・ティチェナー(後にコーネル大学教授となる)である。 実験心理学教室カール・シュトゥンプ1848年-1936年)によってベルリンで、ゲオルク・エリアス・ミュラー1850年-1934年)によってゲッティンゲン設立された。同時期のもう一人ドイツ著名な実験心理学者は、自身研究室管理したことはないものの、ヘルマン・エビングハウス1850年-1909年)である。 このころドイツ語圏で心理学対すアプローチとして実験だけが行われているわけではなかった。1890年代始まって事例研究用いてウィーン医師ジークムント・フロイトが、自身患者の「ヒステリー」の背後横たわる原因だと説いた無意識の信念欲望推定的に明らかにするために催眠療法自由連想夢解釈発展・応用した。彼はこの手法を精神分析称したフロイト精神分析病因において個々性的発展過程重点を置くことで特に著しい。精神分析概念西洋文化、特に芸術に対して今も強い影響残している。その科学的功績には今も議論があるものの、フロイト心理学ユング心理学は、いくつかの行動思考意識から隠されているような―しかし人間の完全な一部として活動してはいる―分離され思考存在明らかにした。隠れた動機やましい心、あるいは罪の意識は、個人人格その結果としての行動いくつかの様相理解欠如選択通じた個人意識していない心理作用存在実例である。 精神分析自我作用する心的作用考察する。これらの理解によって、神経症時には精神病リヒャルト・フォン・クラフト=エビングはこの両者人格の病と定義した)に対す治療効果とともに個人大きな選択自意識理論的に可能になるカール・ユングフロイト同僚であったが、フロイトが性を強調することに端を発して彼と袂を分かった1800年代に(ジョン・ステュアート・ミルクラフト=エビング、ピエール・ジャネ、テオドール・フルールノワによって)初め述べられ無意識の概念用いて研究することで、ユングは、自我関係して自我規定する四つ精神機能定義した感覚意識に何かの存在伝える)、感情価値判断からなり感覚したもの対す反応動機づけを行う)、思考(今起こっている出来事知っている全ての出来事比較し、今起こっている出来事種類範疇付与して歴史的公的個人的過程の中で理解できるようにする分析的機能)、直感(深い行動パターン触れ心的機能であり、ユングいわく「間近に見たかのように予期せざる結論提起した思いがけない結果予言したりする機能を持つ)の四つがそれである。理論心理学者心的投影期待基づかず事実基づいている経験心理学ユング提唱した

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