ドイツ地政学の祖・ヒトラーとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:21 UTC 版)
「カール・ハウスホーファー」の記事における「ドイツ地政学の祖・ヒトラーとの出会い」の解説
戦後はミュンヘン大学にて大学教授資格を取得し、1921年に同大学の地理学教授となる。ハウスホーファーは、自然地理的環境と政治との相互関連を強調し、スウェーデンのルドルフ・チェーレンが提唱した地政学を継承して大成させた。 1919年にハウスホーファーは教え子としてルドルフ・ヘスと知り合い、1921年にはアドルフ・ヒトラーと出会った。1923年のミュンヘン一揆の際には逃亡するヘスを一時匿い、ランツベルク刑務所に収監されていたヒトラーと面会した。ヒトラーはハウスホーファーの生存圏の理論に興味を覚え、「生存圏を有しない民族であるドイツ人は、生存するために軍事的な拡張政策を進めねばならない」として、ナチス党の政策に取り入れた。しかしハウスホーファーは「(ヒトラーが)それら(地政学)の概念を理解していないし、理解するための正しい展望も持ち合わせていないという印象を受けたし、そう確信した」と見てとり、フリードリヒ・ラッツェルなどの地政学基礎の講義をしようとしたが、ヒトラーは拒絶した。ハウスホーファーはこれをヒトラーが「正規の教育を受けた者に対して、半独学者特有の不信感を抱いている」事によるものであるとみていた。
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