森田一義アワー 笑っていいとも!
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『森田一義アワー 笑っていいとも!』(もりたかずよしアワー わらっていいとも)は、フジテレビ系列で1982年(昭和57年)10月4日から2014年(平成26年)3月31日まで、毎週平日(月曜日から金曜日まで)の12:00 - 13:00[注 1](JST)に生放送されていた帯バラエティ番組。
注釈
- ^ 番組生放送終了の正確な時刻は12:58:30。
- ^ 放送開始当初の『笑っていいとも!』とほぼ同時(同じ週の金曜日)に放送開始
- ^ 2005年5月に、トーク番組『スター千一夜』の22年6か月の記録を塗り替えている
- ^ 例:年齢当てクイズ、身内自慢コンテスト、若見えコンテスト、美男子・美少女コンテスト、ギャップコンテスト、夫婦コンテスト、そっくりさんカーニバル、年齢ギャップコンテスト、木曜なんでもコンテスト、腹筋イケメンコンテスト、似顔絵コンテスト、オネメンコンテスト。
- ^ 年末の時点で一番勝利数の多かったチームが年間優勝となる。
- ^ 1991年以前は13:00 - 13:30に同じスタジオアルタで生番組『ライオンのいただきます』(後の『ライオンのいただきますII』→『ライオンのごきげんよう』)が引き続き放送されており、基本的に『いいとも!』とセットで観覧することとなっていた(観覧募集も一括して行っていたため、宛先は「いいとも!」「いただきます」の両番組名となっていた)。
- ^ 祝日の時などは多く出演(登場)する。
- ^ 金曜日は「それじゃあまた、来週も見てくれるかな?」、特大号の翌日以降に年内最後の放送がある場合は「それじゃあまた、来年も見てくれるかな?」
- ^ タモリを含む全曜日レギュラー陣が登場。オープニングからは全員が変装をして登場した。
- ^ 後に『アッコにおまかせ!』(TBS)も、2020年9月の35周年時に同じような記録を認定されているが、こちらは「生放送バラエティ番組で同一司会者による放送年数の最多記録」であり、「回数」と「年数」で大きく異なっている。
- ^ スタッフはこのために2週間前から準備を進め、当日の観客にも前もってこのことを知らせて協力を呼び掛けるという用意周到ぶりだった。また、これに関してさんまは「ええ加減にしぃや!」とキレており、タモリから「さんまちゃんを騙す企画ですので、私が入ってきても静かにして下さい」と観客に事前の説明がされていたことを聞かされると「君らも知っとったん?」と観客に尋ねていた。また、観客に配布された説明書には『みんなでさんまちゃんを騙そう』と『さんまちゃんを騙そう友の会スタッフ一同』という一文が記載されていた
- ^ この日のテレフォンゲストは美保純であった。
- ^ 1990年10月以降はフジテレビ系列フルネット局。
- ^ テレビ朝日系列の新潟テレビ21開局に伴う。1983年9月30日までは、テレビ朝日系のワイドショー『アフタヌーンショー』を同時ネット。
- ^ TBS系列のテレビユー福島(TUF)の開局に伴う。1983年9月30日まで『スーパーダイスQ』『悪友親友』『ポーラテレビ小説』を放送。1983年10月1日にTUFが開局する予定であったが、12月4日開局に順延、前述の番組は2ヶ月弱中断。
- ^ 1987年10月以降はTBS系列フルネット局。
- ^ 因みに変更初日は意外なことにフジテレビの日の制定日でもあった。
- ^ 9日は1984年、10日は1985年、11日は1987年、12日は1986年、13日は1982年・1983年に放送した分から一部を放送した。
- ^ この2日間はアルタ自体が正月休業だったためか、後続の『いただきます』も谷川岳天神平スキー場から生放送された。
- ^ タモリは、1996年1月3日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋20周年記念スペシャル』に出演した際に、「多忙で髪を洗う時間がなくなり抜けてしまったため髪型を変えた」と話している。他の番組でもほぼ同時期にオールバックに変えている。
- ^ これに先駆けて『ミュージックステーション』では、1990年4月20日から、それまで着用していた銀縁の黒色系サングラスから、上縁の黒色系サングラスに変更した。また、1992年頃まで他のタモリ出演番組ではこのサングラスを着用。
- ^ 黒色系レンズのサングラスは、夏休み中だった1987年8月21日放送の当番組内コーナー「日本一の最低男」(明石家さんまと関根勤の代理)にタモリが飛び入り出演した際や、1988年1月8日放送の『ミュージックステーション』で、C-C-Bにインタビュー収録した際にも着用している。
- ^ 『笑っていいとも! イブ特大号「テレフォンショッキング`90」』1990年12月24日放送分。なお、1990年11月28日の『テレフォンショッキング』は、森公美子が出演。
- ^ 大分朝日放送が開局したため。
- ^ 当初は氏名は石井太丸ゴシック(写研)
- ^ 手書きあるいは写植文字が描かれたテロップカードを機械で投影して字幕スーパーを出す仕組みから、コンピュータで電子的に字幕スーパーを出す装置へ変更したため、後にJTCウィンRに切り替わる。
- ^ 『増刊号』もオープニング演出が変更され、それまで歌うタモリ・青年隊とともに番組冒頭に流れていたスタッフロールが、この週の日曜日の3月5日放送分からエンディングに変更された
- ^ タモリは歌わなくなった理由について、この日のオープニングでは「恥ずかしいぜ?世界中でいきなり司会者が出てきて歌う番組なんて」と言い、この日のレギュラーだった東野幸治に「でも本番前、ちょっと寂しいなって言ってじゃないですか」と突っ込まれていた。その後、同年3月12日放送の『増刊号』で、「長年不思議に思ってたんだけど、司会者がオープニングからいきなり歌って出てくるっていうのはどう考えてもおかしいと思ってたんだ。それでプロデューサーにやめさせてくれって頼んだんだよ。まあ最初はね横澤さんのあれ(番組最高責任者の意見)もあるし、まあいいかって感じだったんだけど、だんだんだんだん、考えてみたら変だよな、と」と語っている。
- ^ 番組第1回放送日当日の新聞ラテ欄によると、「タモリのフランス料理教室」というサブタイトルで、「即興エンタテイナー・タモリ」という紹介文があった。
- ^ 2011年3月21日から25日まではテレビ山口での放送が最終週、仙台放送での放送が休止(21日は福島テレビでも放送休止)となったほか、また3月11日に青森テレビでの放送が報道特別番組で休止となったため、30局ネットは実質上3月10日を以て最後となった。
- ^ テレビ山口における本番組終了と同時に、山口県は1993年4月 - 1997年3月までの山形県以来となるフジテレビ系帯番組が一切放送されない唯一の県となった(フジテレビ系列局が所在しない山梨県と徳島県では本番組は非ネットだが、本番組の直後番組である『ごきげんよう』は時差ネットしていた)。
- ^ この日の正午に特別に作られた『デジタルウォッチング』が、AD隊(クルット&ハリー)、ナインティナインの岡村隆史、タモリで歌われる。
- ^ なお、テレビ大分はNNS加盟局であるものの、FNSとのクロスネット局という事情から「おもいッきり」シリーズはネットせず、当番組をネットしていた。またテレビ宮崎はNNS非加盟かつFNS主体でANN系列とのトリプルネット局であるため、こちらも当番組をネットしていた。なお大分県では直接受信やケーブルテレビ局を通じて、隣接する福岡放送・山口放送・南海放送などが、宮崎県ではケーブルテレビ局を通じて、隣接するくまもと県民テレビや鹿児島讀賣テレビなどで、それぞれリアルタイムでの視聴が可能だった。
- ^ 通常は宮根が司会を務める『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系列)が大阪・読売テレビから生放送を行っている関係で出演できないが、この日は高校サッカーの決勝が中継される関係で番組が放送休止だったため出演できた。なお翌日の『ミヤネ屋』で「テレフォンショッキング」出演時のネームプレートを披露した。
- ^ なお、翌週となる次回2月17日のテレフォンゲストは羽鳥慎一(フリーアナウンサー、日本テレビ出身)が紹介された。
- ^ ナイナイとは『めちゃ×2イケてるッ!』担当時から関わりがあり、頻繁に顔出しもしていた。
- ^ これは後継番組『バイキング』はフジテレビ本社6階・V7スタジオからの生放送となるから。
- ^ スタジオアルタ閉鎖後の2016年11月3日より、多目的劇場「アルタシアター」としてオープンしている。
- ^ 2017年は22:18まで放送された。
- ^ 『とんねるずのみなさんシリーズ』の冠レギュラーであり、当番組の最末期にスペシャルレギュラーとして出演。
- ^ タモリが同コーナーのゲストとして出演したのは2004年のFNS27時間テレビ以来、13年ぶりであった。また、当日は放送当時の「森田一義」ではなく「タモリ」名義だった。
- ^ 2011年10月3日から2012年11月2日まで担当。
- ^ 後者は景山民夫との対談集『極楽テレビ』より。
- ^ この日はオープニングの「ウキウキWATCHING」の歌唱は無く、エンディング用のアレンジ版をBGMにアルタ前の映像とタイトルCG表示した後、既にステージ上にタモリ・レギュラー全員がスタンバイしている状態でスタート。タモリから時間繰り下げの説明と共に「1日も早い復興をお祈り致します。」という挨拶が行われた。
- ^ NNSには非加盟
- ^ なお、半年後の1991年4月1日に日本テレビ系列局の長崎国際テレビが開局した。
- ^ 2014年3月31日の最終回は1時間前倒しの15:45 - 16:45に放送された。(この日から番販ネットが開始された『Nスタ・第1部』のネット開始に伴う改編のため。)
- ^ EPG上の番組名には「!」が付されなかった。
- ^ フジ系新局岩手めんこいテレビ(mit)の1991年4月1日開局内定に伴う系列番組移行準備のため。
- ^ フジ系新局高知さんさんテレビ(KSS)の1997年4月1日開局内定に伴う系列番組移行準備のため。
- ^ 山形テレビのネットチェンジ直後の当該枠の番組は『人間探検!もっと知りたい!!』になったものの、皮肉にも山形テレビにおける本番組終了の2日後に終了したため、当該週の番組に(終)マークが2回もつく事態となった(『おはよう!ナイスデイ』 → 『モーニングショー』も同様)。
- ^ 正式にはニュース系列(NNN系列)のみ(一般番組供給協定はFNS単独(NNS非加盟))。
- ^ なお、テレビ大分は『ザ・ニュースキャスター』(テレビ朝日系列)からの移行である。
- ^ 1994年3月31日まで日本テレビ系列とのクロスネット局だった鹿児島テレビ放送もNNSに加盟していた。なお、テレビ宮崎はNNS非加盟(一般番組供給協定は現在もFNS単独)だった。
- ^ ただし、ネットチェンジによる打ち切り後も、ケーブルテレビなどで近隣のフジテレビ系列局(新潟総合テレビ・福島テレビ・秋田テレビ・仙台放送)を受信できた場合は引き続き視聴可能だった。
- ^ 2008年4月から実施
- ^ 日本テレビ系列・フジテレビ系列のクロスネット局
- ^ 全てクレジット表記なし。
- ^ 上り線当SAにフジテレビショップが設置されているのは、施設運営がフジ・メディア・ホールディングスの持分法適用関連会社であるフジランドによって行われているためである。一方の下り線海老名SAは、フジサンケイグループが施設運営に一切関与していないため、フジテレビショップは設置されていない。
出典
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- ^ 俗に「チャッ、チャッチャッチャッ」と言われる柏手を1回打った後に3回手をたたくもの。2007年頃からはタモリによる「ホッ、ヤー!」の掛け声が入る。かつてレギュラーであったナインティナインが『ナインティナインのオールナイトニッポン』(2022年9月22日 ニッポン放送)で話したところによれば、この原型は『めちゃ2イケてるッ!』の総合演出をつとめた片岡飛鳥が『いいとも』のADをつとめた頃に前説で生み出したもので、それをタモリとさんまが気に入ったことからであるという。ナイナイはこれを「テレビ界の大発明」と表現した。これをレギュラーで使用しだしたのはこの頃からであるが、93年頃から時折使用していた。明石家さんまがネタとして使うことがある。なお、片岡はこの他にも『テレフォンショッキング』の「そうですね」のレスポンスも前説で生み出している。ナイナイが明かす 『いいとも!』でお馴染みの「チャッ、チャッチャッチャッ!」の『生みの親』 - ニッポン放送 NEWS ON LINE 2022.9.23
- ^ 初回はいいとも青年隊が「そろそろCMいってもよろしいでしょうか」と話しかけ、タモリが「いいとも〜!」と返した。
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- ^ レターボックス化に伴い表示テロップは2011年4月1日放送分までオープニングのロゴアニメーションを除き、従来のアナログ放送と同様の画角で縁取りを濃くした表示であった。2011年4月4日からはテレフォンショッキングのテロップとエンディングのスタッフロールを除いて字体変更、同年7月4日に上記残りを字体変更した。
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笑っていいとも!
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『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」コーナーに何度かゲスト出演していたが、さまざまなハプニングを起こしている。1986年3月3日の出演時、「お友達紹介」の際に次回出演の宍戸錠の自宅の電話番号を声に出して言ってしまった。その直後から宍戸宅にいたずら電話が殺到、しばらく電話が繋がらない状態となった。宍戸はその後、自宅の電話番号を変更せざるを得なくなったという。 1988年12月16日にも出演予定だったが、滞在先の金沢市が大雪により、飛行機が大幅に遅れて離陸のため同番組に登場出来なかった(急遽本番当日は長門裕之が代理出演)。無線電話で司会のタモリと連絡が繋がったが、パニックになっていたために思わず「今、飛行機の上〜!」と叫んでしまい、タモリは「早く飛行機の中に入って下さい!『かんれーじぇんしぇん』が…」(正しくは「寒冷前線」。気象解説者・福井敏雄の独特な言葉で話題となった)とギャグを飛ばし、会場は大いにウケていた。
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笑っていいとも!
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『笑っていいとも!』において、2010年10月4日よりテレフォンアナウンサーとして出演。2011年4月7日から9月29日まで半年間木曜日担当テレフォンアナウンサーを務めていた。
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笑っていいとも!
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初出演は1984年2月13日の「テレフォンショッキング」のテレフォンゲスト。この時に翌日のテレフォンゲストとして、総合司会のタモリがかねてから「嫌い」と公言していた小田和正を紹介した。 初出演から2ヶ月後の4月6日から、金曜レギュラーとして加入。タモリと2人で雑談を繰り広げるフリートークコーナー「タモリ・さんまの雑談コーナー」が人気を博した。コーナー名は何度も変更されたものの(「笑っていいとも!過去のコーナー一覧#金曜日」)、人気から降板まで全期間続けられた。番組では同じ内容のコーナーではテレフォンショッキングに続く2位の長さだった(11年半)。 1990年4月に始まった曜日対抗のコーナー「爆笑!オールスター・タモリンピック」について「お笑い芸人が真面目にゲームをしても面白くない」という自身のポリシーの元、ゲーム内でボケをかまし続けたところ、当時のディレクター から「真面目にやって下さい!」と注意された。1992年の特大号の中でもこの不満を爆発させ、翌1993年と1994年は特大号自体を欠席している。1993年10月で「タモリンピック」のコーナーは終了し、プロデューサーだった佐藤義和との協議・相談の結果、苦肉の策としてゲームではない形の後続曜日横断コーナー(「今日の反省会」→「いいとも!ひと言人生相談」→「勝手にハッピーバースデー!!」)が立ち上げられたものの、さんまは他レギュラー陣とのコーナーに関しては参加をボイコットするなど番組サイドとの溝は最後まで埋まらず、1995年9月29日をもってレギュラーを降板した。 レギュラー降板後は断続的に数年に1回程度の割合で、計6回ゲスト出演した。1995年12月22日金曜日に翌年年明け放送・自身が司会の年末年始特番「明石家福禄寿の史上最大のプレゼントショー "正月なのに…"編」の番宣で、降板以来3ヶ月ぶりにゲスト出演。ナインティナインがコーナー司会を務めていた「ジジィびんびん物語」のコーナーにも出演する。ゲストとしては珍しい後説のコーナー(増刊号の「放送終了後」のコーナー)出演も行い、タモリ・金曜レギュラー後任のナイナイ・勝俣州和・田原俊彦とフリートークを繰り広げた。 1997年12月11日木曜日に「テレフォンショッキング」に、前妻である大竹しのぶの紹介でゲスト出演。前日の電話の際には大竹に対し「俺、お前の友達ちゃうやろ!」と発言した。以後同番組への出演はなかったが、自身が総合司会を務めた2008年7月の『FNS27時間テレビ』内の「増刊号生スペシャル」にて行われた「テレフォンショッキング」にビビる大木の紹介で登場、タモリと約47分間のフリートークを繰り広げた。当日の新聞のラテ欄には「タモリとテレフォンショッキングで最長記録樹立か」と書かれていたが、その言葉通り「増刊号生スペシャル」も含めた全てのテレフォンショッキングの中で最長記録を樹立した。 2008年7月27日日曜日には自身が総合司会を担当した「FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!」内コーナー・さんま in 笑っていいとも!「テレフォンショッキング」にビビる大木の紹介で出演。その他のコーナーには参加しなかったが、いいとも!としての出演は11年ぶりのこととなった。CM明けに先述のレギュラー時代のコーナー「最低男」のジングルが流された。後輩のFUJIWARAを紹介した。 2009年7月24日金曜日の「テレフォンショッキング」にもしずちゃんの紹介で出演。この時さんまは友達として次回のテレフォンゲストに同年の第23回FNSの日『FNSの日26時間テレビ2009 超笑顔パレード 爆笑!お台場合宿!!』総合司会の島田紳助を紹介した。 2012年11月30日金曜日には「いい(11月)さんま(30日)」の日に因んでゲスト出演。「タモリ・さんまの日本一の最低男」のコーナーを降板以来17年ぶりに復活させ、タモリとフリートークを繰り広げた。 2014年3月31日の番組最終回にも昼と夜の両番組に出演。昼のレギュラー放送には「テレフォンショッキング」の最後のテレフォンゲストであるビートたけしが(ネタで)「お友達紹介」としてさんまに電話をかけ、さんまが電話出演。夜の『グランドフィナーレ 感謝の超特大号』では1年半ぶりに「タモリ・さんまの日本一の最低男」のコーナーを行い、タモリと1時間程フリートークを繰り広げた。
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笑っていいとも!
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フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! :世界にひろげよう友だちの輪ッ. part 1』、サンケイ出版、1983年。(ISBN 4-383-02256-1)
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