藤村の板前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 09:48 UTC 版)
「藤村」は東京新宿に店を構える料亭。京都「吉川」で修行した熊野信吉が花板として腕を振るい、主人公・伊橋悟が働く店で、本作の主な舞台となる。世間的にも名の通った一流料亭で、模倣店も出る程の格を持つが、超一流の料亭の板前には見下す者もいる。第1話では横川が立板を努め、栗原、川島、そして肩書きは不明だが「増田」という板前と、老人(熊野曰く「じっつぁん」)が一人、追い回し三年目の谷沢、そして入ったばかりの伊橋というメンバー構成だったが、「増田」は2話冒頭で伊橋達に別れを告げて「藤村」を去り、入れ替わりでボンさんが入る。「じっつぁん」は直後のコマを最後に姿を消し、さらに第3話で横川が「藤村」を去り、第4話で坂巻が立板として加入。ここでようやく、栗原が抜けて長友が加入するまでの期間はメンバーが固定される事になった。 伊橋 悟(いはし さとる) 最初は連載当時の藤井フミヤばりに前髪を垂らし、料理学校首席卒業の自分に「何もさせてもらえない」と不満ばかり口にし、仕事を真面目にやらない男だったが、同い年で追い回し3年目の谷沢と得意の剥き物で勝負して完敗するなどして気持ちを入れ替えたことで、自分が『アヒル(追い回し)』である事を自認して修行に励む事になる。性格はお調子者。花板(本作での呼称は基本的に「親父さん」)の熊野をはじめ、横川、坂巻といった立板、その他先輩に時には殴られ、叱咤され時には誉められ、更には鬼怒川、京都等の遠方へ「助」に行かされたりしながら追い回しからどんどん成長していく。熊野の薦めで(というより全く聞かされないまま)京都の料亭『登美幸』で一年間修行したことがあり、この経験により自分の目指す味は京料理が基本だと気づく。連載が進むにつれ板前としての技量は確実に身についているが、料理学校の同期や藤村で板前修業を始めてから知り合った同世代と比較すると昇進するのが遅く、あろうことか焼方に一度は昇進しながら、後輩の長友が辞めたために一時的とはいえ追い回し に逆戻り、登美幸で修行する事になった際に追い回しから1年以上やり直す羽目にもなっている。これは伊橋自身も気にして落ち込んだ事があるが、熊野の、彼を(料理に例えれば煮浸しのように)じっくり育てたいという意向からではないかと『花家』の煮方、清が推測している。料理に対する情熱は本物であり、自分の部屋には数々の郷土料理の資料、数々の料理のVTRがある。 前述のように「藤村」の熊野や兄弟子、「助」や修行に行った先での板前からも多くの事を学んでいるが、現役の板前のみならず、余命幾ばくもない老人ホームの老婆(雷干し)、焼き鳥屋台の店主(火の扱いやタレの重要性)、既に亡くなった名人板前の亡霊(焼き魚といくつかの鮎料理)等からも大事な事を教わっている。 連載初期はひったくりを捕まえた縁で香里という女子大生と付き合っていたが、香里がパリへ留学することになったことで半ば別れたようになってしまった。しかし伊橋が煮方になる頃には三遊亭円鶴の弟子である三遊亭小つるとも付き合いがあった(恋愛関係ではなく、あくまで友人として。伊橋の方はそれなりに想いを寄せているが、小つるの方は「まんざらでもない」という程度)。 『新・味いちもんめ』からは、熊野が昔世話になった西新橋の老舗料亭「桜花楼」より、腕の良い板前を貸してほしいと頼まれ、藤村を出て桜花楼へ出向する。藤村では煮方だった伊橋もここでは1番下っ端の追い回しから再スタートとなり(これは熊野の意向によるもの)、会社組織のようなシステム化された板場や、社長を始め変わったキャラクターが多い中で、藤村とのあまりの違いに最初は戸惑い上の者との衝突を繰り返す。だが、持ち前のガッツと人柄で徐々に回りを変えて行き、伊橋を慕う者も徐々に増え1年ほど経ったところで煮方に戻った。その後新設された「SAKURA」(桜花楼1階フロアで営業)という店舗に回される。その後「SAKURA」の支店を出す話では伊橋の店長への抜擢が内定するも、紆余曲折を経て自分の顔つきをした料理を出したいと決意し、以前修行した店や知人を頼らないことを条件に、研修の名目で単身京都出向くことになる。京都では新たに出会った「湯葉辰」や、割烹「さんたか」で新たな修行を始める。 『~独立編』では、雇われではあるが、料亭「楽庵」の店長・花板となった。『~にっぽん食紀行』では、「楽庵」の店長である事は変わりないが、オーナーの拝島の指示で前半は北陸を回ってその土地の料亭を体験取材していたが、後半に入ると「楽庵」に戻った。 『~世界の中の和食』では冒頭で拝島に「楽庵」の閉店を告げられ、また一板前に戻り、銀座の一流料亭に入るが、さすがに今度は初めから煮方としての入店であり、新たに花板となった板前には「自分の方が経験不足なのに申し訳ない」と初対面の際に謝罪を受けるなど、一目置かれ、かつ頼りにされている。 若手の頃はお調子者の一方で頭に血が上りやすく、喧嘩の場面で一方に加勢して暴れたり、黒田、渡辺、東といった後輩達を怒鳴りつけたり手を上げる事もあった。連載の長期化に伴い、作中でもそれなりに時間も経過しており、若手だった彼も「新」以降になると後輩から影で「オヤジ」扱いされたりするようになる。『新』の終盤で舞い込んだ独立話で料亭「楽庵」の店長となった後は、従業員達からは「大将」と呼ばれるようになり、若い頃とは打って変わり上に立つ人間としての風格や成長も見られるようになった。 父親(大学教授)とは折り合いが悪く、「藤村」への入店以降は実家にも全く帰っておらず、両親の近況は基本的に兄からの連絡を通じて知る。しかし、父親との「雪解け」を匂わせるエピソードを最後に、あべ善太作の『味いちもんめ』は幕を閉じる(偶然とはいえ、最終回でもおかしくないようなエピソードであった)。後の独立編では、伊橋の店の楽庵に夫婦で訪れ伊橋の料理を食べるエピソードがあり、帰り際には伊橋が「また来てくれよ」と言い、ここでようやく父親との和解が実現した。 一方で女性関係の方は、ボンさんと共にソープに行く描写はあるものの、時とともに回りの先輩や後輩が次々と結婚していく中で、前述の女子大生香里と一時付き合う、第一作後半で円鶴の弟子の小つるとの交流などがあったが、「世界の中の和食」編終了に至るまで何度か出会いがあったり、それを匂わす展開や合コン等に参加したりするものの、特定の彼女はおらず独身であった。『~継ぎ味』で、シングルマザーとなった香里と10年ぶりに再会。交流が始まり、彼女の息子も懐いているが、復縁を望む元夫の存在(香里の気持ちは元夫から既に離れている)があり、よりを戻すまでには至っていない。 連載当初は趣味として、太平洋戦争以前の軍服を収集し、休みの日等はそれを着て街を歩く等サバイバルゲームに興じていたが、戦争を経験した老人達から戦中の悲惨さを聞いてからはその趣味を止めている。また、若手の頃は喫煙者であるシーンも見られたが、原作者が変った「新」以降ではそういった描写はあまり見られなくなった。 『~継ぎ味』の第1話で店の常連客よりまた独立話が舞い込むが、直後「藤村」を訪れた時に「藤村」の現状(熊野が体調を崩している事、渡辺と東が辞めて追い回しが一人という状況である事など)を目の当たりにし、下の者が育って花板もそれにふさわしくなり、自分がいる意味がなくなった料亭に事情を話して辞めて、固辞する熊野や谷沢を押し切って「藤村」に戻ってきた。 ボンさん 第1巻・第2話「ボンさん」から登場しているキャラクター。元僧侶。伊橋の同僚であり、ソープ仲間でもある。当初は伊橋の先輩格であったが、途中から伊橋の成長につれて立場が変わったようで、伊橋はボンさんに対してはタメ口をきくようになっている(まじめな話をする時には敬語になる時も)。登場初期は標準語だったが、程なく関西弁で話すようになった。伊橋とお互い冗談や軽口を言い合ってヒジを『ガシガシ』とぶつけ合い、それを周囲が困惑した表情で見つめているシーンは本作の定番(勝敗が描かれる場合は大抵ボンさんが負ける)。瞳が互い違いになっている事が多い。 もともとは京都の寺にいた僧侶であったが、戦争中はビルマ戦線に出征していた。終戦後は戦前と価値観が全く変わってしまった事で自暴自棄になり、芸者遊び等をしてばかりで、京都の寺を追放され、丹波・二本松(JR園部駅からJRバスに乗って篠山方面に向かった所のようである)のある寺に追いやられるも、そこでは仏像を売り払ってしまい逃げ出してしまう(これは「藤村」に来た時の熊野との面接でも正直に話している)。その後の経歴については謎であるが、ひょんなことから料亭「藤村」にやってくる。そして揚げ物担当の「油場」となる。彼の経歴については非常に謎が多く、京大出と自称していたこともある。真偽のほどは不明ではある(自ら「ウソや」「(勉強は)出来んかった…戦争やったから…」と伊橋に言っていたこともある)が、作品中でみせる博識ぶりからは、まんざら嘘でもないように描写されている。 大のギャンブル好きであり、「藤村」に来た当初は伊橋達相手に「花札」や「チンチロリン」等のサイコロ遊びで金を巻き上げており、特に競馬は戦前の日本ダービーからやっており、主人公伊橋には「50年損し続けている」と言われている。ギャンブルの対象としてだけではなく、好きだった馬カブトオーが殺処分される運命にあるのを聞き、伊橋たちと共に競馬で稼いだ100万(カブトオーの子供であるカブトハナに一発勝負を賭けた)を出して助けたこともある。 また落語にも造詣が深く、円鶴がストーリー上初めて登場した時は「最近の円鶴は感心せん」と批判している。なおボンさんの本名は吉川広海(よしかわ こうかい、芸者衆には「ひろみ」と名乗っていた)となっている。 最初から油場を任されたのではなく、元々前述の「増田」が藤村を辞めたあとに出された求人広告を見て「藤村」を訪ね、熊野に今までの経験を聞かれて「ボウズしてました」と話す(ボウズとは、板前の世界では追いまわし の事)が、ボンさんの言っていたボウズとは、本当のお坊さんのことで、熊野が油場を任せた理由は、藤村の元立板横川をサラ金の取立てから救ってその横川からの勧めという理由と「元坊主なら衣をつけるのは上手そうだ」という熊野のシャレから。しかし、揚げ物に関しては実際にかなりの腕前で、熊野は「長い人生経験が、作るものに深みを与えている」と評価し、後に萩原との会話で「ボンさんにそれだけの腕がなければ使いません。歳は関係ないのです」と言い切っている。初期に出てきた若い頃の容姿は幾分写実的に描かれているが、後期になると現在の姿をそのまま若くしたような容姿で描かれている。 熊野 信吉(くまの しんきち) 「藤村」の花板。「親父さん」と呼ばれる。東京の浅草出身で、落語家・三遊亭円鶴とは幼馴染。中学卒業とともに京都の料亭「吉川」の修行に出た。そこで富田、田辺と知り合い、寝食を共にした(京言葉はこの当時自然に身に付いた)。修行時代悔しいことがあると、鴨川の橋の下でよく泣き、鴨川の水につかり自分を戒めていたという(「吉川」の親父さんが亡くなった時も、葬儀の夜に同所で泣いていた)。その後「吉川」での修行を終えると、帝都ホテルからの花板の誘いを断り、幼い頃からの知り合いだった主人が亡くなった事で店が傾きかけていた「藤村」の花板となった。基本的には温厚で懐の広い性格だが、怒った時には凄い剣幕でみんなを震え上がらせ、鉄拳も容赦なく出る。味についても厳しく、煮方になった伊橋も熊野に味を見てもらい、ダメ出しされた事がよくある。かと思えば、時々オヤジギャグを飛ばし、板場のみんなを固まらせる(もっとも、それほど寒いギャグでない場合も、板場一同が固まる)、もしくはずっこけさせる。手が空いている時や客と談笑している時、首からぶら下げた手拭いの両端をそれぞれの側の手で持って立っているシーンがよくある。『~独立編』では、開店直前の「楽庵」を訪れ、伊橋を「大将」と呼び、それがきっかけで伊橋の呼び名が「大将」に決まった。『~継ぎ味』では体調を崩しており(第1話冒頭で女将から切羽詰まった表情で「店を辞めてちょうだい!」と言われるなど、深刻な体調である事が示唆されている)、第2話以降休養していた。その後体調は幾分回復して、完全復帰とはいかないまでも週何度かは板場に立てるようになり、谷沢と伊橋に上の者としてのあり方なども教えるようになっている。 坂巻 勝男(さかまき かつお) 横川が出た後に来た「立板」。ゴルゴ13のような顔つきで最初は恐れられていた。「藤村」の仲居ゆきとは、元々20歳そこそこで結婚したが、当時の彼は付き合いと称して金を湯水の如く使い、けんかばかりで遂に離婚。しかし「藤村」入店直後に再会し、当初は気まずさから店を辞めようとしたが、熊野に「お互い30を過ぎて、昔とは違っているはず」と薦められた事で復縁、後に息子新太郎をもうける。仕事には厳しく、伊橋や谷沢、更には煮方の栗原さえ包丁の峰で叩かれて教えられたが、仕事を離れれば良き兄貴分で、みんなに慕われていた。子供の頃は父親がいなかったため、よくバカにされたという辛い経験を持っている。田辺の引退に伴い富田が東京に移動したため、京都の「花家」の花板となった。年齢は、「藤村」に来た当初は32歳(2歳下である妻のゆきが、それから1年後に31であると言われるシーンより)で、その後「花家」で自身が「40近くになってからこっちに来たから」と述べている。異動当初は、「京都弁」はまだ使えず、客から「それでも商人(あきんど)か? まるでお武家さんやないか」と文句を言われるなど苦労したが、後に京都弁も使えるようになり、客とも打ち解けられるようになった。 谷沢 誠(やざわ まこと) 「藤村」の立板。群馬県出身。伊橋とは同い年だが、伊橋より3年「藤村」の先輩のため伊橋は谷沢を「谷沢さん」と呼んでいる(彼の方は当初伊橋を「伊橋さん」と呼んでいたが、上記の理由で伊橋自身が「伊橋でいい」と言って、それからは呼び捨て)。物語の序盤は伊橋と同じ追い回しだったが、3年間の実戦経験の差もあり実際の技術は伊橋より遥かに上だった。内気で話し下手、極度の緊張症で、脇板、煮方になった際は、包丁が握れなくなったり、味が分からなくなったりとトラブルが生じたが、熊野の励ましによりなんとか回復した。その後、小学校の栄養士と結婚した。基本的に大人しい性格だが、怒る時は怒り、伊橋がふざけてみんなに袋叩きに遭った時は(ギャグシーンではあるが)伊橋の頭に漬物石を落とすシーンもある。立板としてカウンターを任されている実力は本物で、客あしらいも上手い。熊野が留守中には代理で板場を取り仕切り、伊橋らに的確な指示を出す事もできる。自分にはない伊橋の明るく物怖じしない性格を認めており、自身でもそういうところを見習おうとしていたり、終盤に入ると良き相談相手としても見るようになり、「藤村」の経営の厳しさを伊橋に相談したりもしている。『~継ぎ味』では体調を崩して休養している熊野に代わって花板代理ともいえる立場を務める事になった。 横川(よこかわ) 「藤村」の立板だった。博打好きが嵩じ借金が増え、八百善の野菜を細工(わざと火の近くに置いて、痛んだ野菜を持ってきたように見せかける)し、他の八百屋の商品を「藤村」に入れる代わりに金を貰う事を画策するが、熊野には以前から同様の手口を見抜かれており、腕のいい立板の横川を失いたくないから目を瞑ってきた事を吐露され、その場で謝罪して藤村を去った。家族を連れて夜逃げ同然に街を去った後は、小田原のドライブインに勤め、更には温泉ホテルで花板を務めたが、藤村を去った後の恩人が過労と栄養の偏りによって亡くなった事で、働く人の体を考えた料理をつくろうと決心し、栄養学を一から学び直し「まるよこ」という定食屋を開店した。一度隣からのもらい火で全焼してしまったが、その後常連客の多い会社の協力で復旧した。後に谷沢が尿管結石で倒れた際、伊橋に助っ人を頼まれるが「今の自分はカレーライス、カツ丼等ばかり作っている定食屋のオヤジでしかない。もちろん出している料理の味には自信を持っているが、京料理の世界からずっと離れてしまった以上、今の自分が助っ人に行ったところで迷惑をかけるだけだ」という理由で断った。しかし熊野には、不祥事でクビ同然に「藤村」を去った自分が今更助っ人になど行く資格はないという「けじめを守ろうとしている」事を見抜かれており、熊野が自ら横川を訪ね、彼がいた頃に「追い回し」だった谷沢と伊橋がそれぞれ「立板」「煮方」に出世している事を例に挙げ「もう十分な時が流れたんやないか?」と言われ、続けて熊野に頭を下げて頼まれた事に感激して助っ人を承諾。板場では全員の前で「もうこの板場には二度と入れないと思っていた」と涙した。剥きものが得意で、栗原に言わせれば手先の器用さは熊野以上との事。基本的に容姿が変化しない本作の登場人物の中で最も容姿が変化した人物で、連載初期と中期以降の「まるよこ」経営時ではほとんど別人。 栗原(くりはら) 愛称「クリ」。恰幅の良い体格で頭は完全に禿げ上がっているが、物語初期の時点ではまだ30歳手前。藤村の煮方だったが、出世。藤村を去り、違う店(白井)の立板となった。新宿一帯の一流料亭に魚を卸している魚河岸の大問屋「神村水産」の令嬢とお見合いをし、デートも順調で結婚まで秒読みという所まで発展したものの、藤村で伊橋や谷沢が坂巻に鍛えられているのを見て、自分の人生は自分の足で歩いていくと決め、板前人生を棒に振る事にはならなかった。無印終盤に入ると「白井」の花板「大谷」が歳を取った事で、実質彼が店を切り盛りしている事が語られた。また「独立編」終盤では、「藤村」で開かれた、自分が「藤村」にいた頃には入っていなかった渡辺の結婚式にも出席している。 川島 竹一(かわしま たけいち) 藤村の「向板」後に「煮方」担当だった。大きな体とタラコ唇といういかつい容姿だが性格は穏やか。父親が脳溢血で倒れ、左半身が不自由になってしまい、出身地の高知に戻り、小さな居酒屋を経営しながら父親の面倒を見ることになったため、藤村を去った。その際、板場のみんなの餞別に、お金ではなくそれぞれの身に付けているものを一つずつもらう事を希望し、それを自身が身に付けて仕事をする事で、離れていてもみんなと一緒に仕事をしている気持ちで頑張りたいから、と語った。この際熊野からは「物」ではなく、「鯛のかぶと煮」という「味」を贈られ、「花板が下の者に自分の料理を食べさせる」という最大限の餞別に感涙した。居酒屋経営にあたって、「藤村」修行時代に培った技術を使う機会がない事に悩み、その事で一度「藤村」を訪ねるが、熊野の薦めで円鶴と飲んでいる間に落語の世界で「ドサ回りで下衆なネタしか受けないような寄席でも、技術をしっかり見に付けている噺家が演じるとある種の品が出る」例を聞かされ「自分も「藤村」仕込みの冷奴等を作り出してみせる」と誓う。後に熊野が倒れた際、忘年会の予約客に頭を下げて「藤村」に助っ人に来てくれた。得意料理は「土佐造り」。後に谷沢が尿管結石で倒れた時も、「藤村」の近場では助っ人が見つからない事から伊橋が熊野に川島に頼んでみたらと提案したが、熊野は川島の性格なら頼めば来てくれるだろうと認めつつ「だからこそ逆に頼むわけにはいかない」と却下した(川島の性格上、頼まれたらどんな都合の悪い状況だったとしても「藤村」の助っ人を優先して承知しかねない為。前述の通り、この時は横川が助っ人に来た)。 長友 泰典(ながとも やすのり) 「藤村」の追い回しだったが、もう少しで追い回し卒業という所で辞めた。ドライな考え方の持ち主で、趣味は野外観察、コンピュータ。昼食作りにレトルトカレーを作ろうとしたり、市販のダシの素を使ったりと、合理的に考えようとしていた。悪気はないがドライすぎる故空気を読めない言動が目立ち、その度に伊橋はカリカリしていた。自然の中に入ると世話好きになるらしい。学生時代、母親の帰宅が遅いため、ゆで卵で空腹を紛らわせることがしばしばあったため、軽いトラウマとなりゆで卵が嫌いになった。追回しの仕事に行き詰まって、求人誌で仕事を探していたこともあるが、ちょっとしたきっかけで立ち直り仕事を続けていた。だが、やはり板前の仕事には向いていないと判断したのか、直接的な描写や前触れもなく、藤村から退職。伊橋は「バードウォッチングが好きだったから『青い鳥症候群』ってやつにかかっちまったのかな」と揶揄したが、坂巻が「あいつも悩んだ末の決断のようだし、親父さんも納得したんだから」と取りなした。ボンさんは「もう少しで追い回し卒業だったのに」と残念がり、谷沢も同意した。高知の川島の実家には、彼がいた頃の「藤村」の板前達の集合写真が飾られている。 黒田厳鉄(くろだ がんてつ) 長友の辞めた直後に入ってきた「藤村」の追い回し。下の名前は『継ぎ味』で明らかにされた。通称は名字に「クロ」とルビが振られている。長友がいなくなって自分がまた追い回しに逆戻りする事を恐れた伊橋が必死に新人探しをしている時、あてもなく田舎から出てきて警官に職務質問されている彼が、「板前になりたくて出てきた」と言っているのを聞き「『藤村』に来る予定だった新人だ」と嘘をついて強引に連れてきた。空手と柔道をやっていて、暴漢を追い払う等腕っ節も強いが、大きな体とは裏腹に大人しく優しい性格。渡辺の加入により焼方に進むが、その性格ゆえ、年上の渡辺に注意はしづらいらしく、かなり無理して指導していた。後に人手が足りない「花家」の煮方となった。『独立編』終盤に「藤村」で開かれた渡辺の結婚式にも出席した。 渡辺(わたなべ) 「藤村」の追い回し。下の名前は不明。通称は名字に「ナベ」とルビが振られている。激安ショップで働いていたが店が潰れ、また「物を右から左へ流す」仕事ではなく「自分で物を作り出す」仕事がしたくて「藤村」の面接を受けた。完全な未経験のため、年下の黒田の事も先輩としてきちんと立てる。東が入り、追い回し卒業かと思われたが、それまでの調理経験の差か焼方の技術で東を上回る事が出来ず、追い回しを続行する事になった。直後は少々落ち込んだもののすぐに気を取り直して改めて修行を続行する決意を表明している。自分を面接し、採用を進言してくれた恩義もあってか、伊橋を慕っているような描写がよくある。とはいえ、伊橋が定期的に参加している研鑽会から戻り、物や後輩に八つ当たりした際「いい加減にして下さいよ!」と言い返した事もある。「独立編」では開店直後の「楽庵」へ、熊野の指示で助として手伝いに出された。藤村では焼方に昇進しており、最近では脇鍋もやらせてもらっているとのこと。また、今の藤村は伊橋のいた頃とは違い、伊橋の知らない後輩も入ってきて育っているとも言及している(「独立編」以降、伊橋が何度か「藤村」を訪ねる事があったが、その後輩達は出てきた事はない)。ボンさんと伊橋の「ガシガシ」は、「独立編」の時点では彼が相手になって続いていたらしい。「独立編」終盤で結婚し、式は「藤村」で行われた。東の事は無印では「東さん」と呼んでいたが、独立編では東は煮方に昇進しているにも関わらず、結婚式の回では「東」「お前」と呼び、タメ口を聞いていた。『~藤村便り』までは「藤村」に在籍している事が描写されていたが、間を取らずに始まった『~継ぎ味』の冒頭でボンさんから東と共に辞めた事が語られた。 東 達也(ひがし たつや) 「藤村」の焼方。いろいろな店を歩いてきた。新人だが、入店直後に板場では先輩の渡辺より上の技術を見せて焼方をやることとなった。性格は基本的にはおっとりして人懐っこいが、合理的でかつての長友に調理技術や経験をプラスしたようなタイプ。ある程度技術に自信を持っているせいか、伊橋とは事ある毎に対立(というより、伊橋が一方的にカリカリしている)するが、別に嫌っているわけではなく、それなりに認めている描写がある。『~にっぽん食紀行』において、煮方に昇進している事が語られたが、『独立編』終盤の渡辺の結婚式では序列が下で第一作では君付けだった彼に対して敬語で接していた(前述のように渡辺の方は「呼び捨て」や「お前」で、ため口)。『~藤村便り』までは「藤村」に在籍している事が描写されていたが、間を取らずに始まった『~継ぎ味』の冒頭でボンさんから渡辺と共に辞めた事が語られた。
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