熊野 信吉(くまの しんきち)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 09:48 UTC 版)
「味いちもんめ」の記事における「熊野 信吉(くまの しんきち)」の解説
「藤村」の花板。「親父さん」と呼ばれる。東京の浅草出身で、落語家・三遊亭円鶴とは幼馴染。中学卒業とともに京都の料亭「吉川」の修行に出た。そこで富田、田辺と知り合い、寝食を共にした(京言葉はこの当時自然に身に付いた)。修行時代悔しいことがあると、鴨川の橋の下でよく泣き、鴨川の水につかり自分を戒めていたという(「吉川」の親父さんが亡くなった時も、葬儀の夜に同所で泣いていた)。その後「吉川」での修行を終えると、帝都ホテルからの花板の誘いを断り、幼い頃からの知り合いだった主人が亡くなった事で店が傾きかけていた「藤村」の花板となった。基本的には温厚で懐の広い性格だが、怒った時には凄い剣幕でみんなを震え上がらせ、鉄拳も容赦なく出る。味についても厳しく、煮方になった伊橋も熊野に味を見てもらい、ダメ出しされた事がよくある。かと思えば、時々オヤジギャグを飛ばし、板場のみんなを固まらせる(もっとも、それほど寒いギャグでない場合も、板場一同が固まる)、もしくはずっこけさせる。手が空いている時や客と談笑している時、首からぶら下げた手拭いの両端をそれぞれの側の手で持って立っているシーンがよくある。『~独立編』では、開店直前の「楽庵」を訪れ、伊橋を「大将」と呼び、それがきっかけで伊橋の呼び名が「大将」に決まった。『~継ぎ味』では体調を崩しており(第1話冒頭で女将から切羽詰まった表情で「店を辞めてちょうだい!」と言われるなど、深刻な体調である事が示唆されている)、第2話以降休養していた。その後体調は幾分回復して、完全復帰とはいかないまでも週何度かは板場に立てるようになり、谷沢と伊橋に上の者としてのあり方なども教えるようになっている。
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