熊野と坂上田村麻呂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/15 07:46 UTC 版)
熊野の鬼退治伝説は、坂上田村麻呂が熊野へ遠征している事で成立しているが、田村麻呂が熊野へ遠征した歴史的事実は確認できない。 桐村栄一郎は、先に「時の権力に抵抗する勢力を鎮圧した」伝承があり、時代と共に伝承の中身や主役が入れ替わったのではないかとしている。『熊野山略記』には、「桓武天皇の頃に熊野山が蜂起し、併せて南蛮の乱も起き、熊野三党(榎本氏、宇井氏、穂積氏(藤白鈴木氏))に征伐せよとの勅命が下ったとある。嵯峨天皇の弘仁元年(810年)、熊野三党は大将の愛須礼意と孔子を討ったが、悪事高丸は討ち逃した。東国に逃げた高丸を坂上田村丸が征伐した」とある。『熊野山略記』では熊野三党が主役で田村麻呂は脇役であるが、「南蛮」が「鬼」に、「榎本、宇井、鈴木」が「田村麻呂」に入れ替わったのが熊野の坂上田村麻呂伝説のルーツではと推測している。
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