脚注及び出典とは? わかりやすく解説

脚注及び出典

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アメリカ横断ウルトラクイズのクイズ形式」の記事における「脚注及び出典」の解説

[脚注使い方] ^ これは言い換えれば球場発表される参加者数よりも実際に球場来ている人数挑戦者の子供などがいる分多くなっていることになる。 ^ 王貞治通算756本塁打世界新記録達成翌日行われた。この日も、前日続いて巨人ヤクルト戦ナイトゲームが行われた。 ^ 事実、このルール採用する前の第2回では、第1問・第2問の2問に渡って群集心理により「片方(不正解側)1人、もう片方正解側)は残り」が起きてしまった。 ^ 放送初めこのミス犯したのは第2回クイズ王北川で、第3回の第5問目で○ボール拾ったのに×サークル移動したため失格となった。 ^ 不正防止のため、日本野鳥の会会員監視下の状況だった。 ^ "今世紀最後"では西インド諸島決勝地ではあるが、第1問は自由の女神関連だった。 ^ 第12回では「自由の女神」が和訳され時期調べるべく、NHK電話をして聞き出した挑戦者もいた(この挑戦者がどうなったかは放送されず)。 ^ 初め携帯電話番組取り上げられたのは第12回だが、当時携帯電話は「ショルダーホンと言われる極めて大きタイプだった。 ^ この新聞は、日本テレビから発売され文献第11回アメリカ横断ウルトラクイズ」に記載されている。 ^ この後第14回写真見せるが、肝心福留は横を向いて歯が見えないというオチ。 ^ ラストモノローグアフレコ)で「ジブンデカンガエロ! ワシャシラン!」と言うオチ。 ^ 第2回第3回では実施せず第5回では前回クイズ王不参加のため実施せず、また"今世紀最後"では一切行わなかった。 ^ 第15回第16回ではクイズ王と共に2人バニーガール同乗した。なおバニーガール過去クイズ王と共に貴賓席」に同席した。 ^ 第2回北川第5回真木第6回高橋第7回横田第8回石橋第9回金子第10回森田第3回クイズ王の宗田も大会参加していたが、エキシビジョンマッチには不参加だった。この時エキシビジョンマッチ不参加だった宗田以外の7名のクイズ王は、全員、第1問不正解終わった前回クイズ王を含む歴代クイズ王パレード参加したクイズ王が1問目で全滅したというのは初)。 ^ 「歴代クイズ王によるエキシビジョン」は、これより前の『史上最大敗者復活戦でも、準々決勝チャンピオン貸しクイズ」の前に行われている(初代松尾から第6回高橋までの6名)。 ^ この挑戦者には区別のため、全員真っ赤なちゃんちゃんこ羽織って参加した。 ^ 高島当時57歳当時出場上限遥かに超えていたが、今回は「敬老団」の添乗員的な扱いとして特別に参加していた。なお高島も歴代クイズ王と共に第1問は不正解だった。 ^ 第1回松尾と、第5回真木から第10回森田。なお松尾は当時50歳だったが、この年から出場上限50歳に延長されたため、第7回以来5年ぶりにして最後の再挑戦となった年齢制限撤廃され"今世紀最後"では参加せず)。 ^ 第12回前回)の瀬間と、第2回北川第5回真木第11回稲川第3回優勝者の宗田も大会には参加していたが、歴代優勝者パレードには登場しなかった。なお回答早押しテーブルとウルトラハットが無いので挙手行った正解チャイム番組専用の音)。 ^ この14回で初紹介された時は、福留に「『ウルトラクイズ』の功労者」と称されたが、正解と思う場所に移動した時に早くも疫病神」と命名された。 ^ 「人工芝踏めない」とあるが、それは東京ドームでの人工芝のことであり、疫病神初参加した第4回は「球場入口での出題」が採用される前で、当時後楽園球場グラウンド乗り込んでからクイズ始まったため、後楽園球場人工芝踏めていた。 ^ 口笛で「ホーホケキョ」と吹けるか(自己申告だったが自ら失格とした挑戦者がいた)→ブラジャーという条件福留抽選箱入った○×ボールから○を選んだ出身都道府県現住所)で福留抽選箱封筒から奈良県引き当てた ^ 実際には虫歯のない人が多数いたため、○×クイズで卵で割る人を絞っていた。 ^ しかし当日急病欠員発生し欠員生じたこともあった。この時はジャンケン対戦相手挑戦者不戦勝となった。 ^ アメリカ日本国籍保有者ビザ免除プログラム対象とする1988年12月より前、第12回大会までは、事前にアメリカ合衆国ビザ申請し下りていない限り渡航不可だったため ^ 福留高知県出身大阪府育ちであるため( 『ウルトラクイズ伝説日本テレビ放送網2000年、P.72頁。 )。 ^ ただし第1回第一次予選最終問題では、既に「バツと言っていた。 ^ 基本的に福留福澤番組ブレザー着て進行をするが、回によっては福留私服のままで進行をした。 ^ 30回を超える全員通過だが、60回を超えるとまたジャンケンになるというルールで、オンエアでは30回を超えたところで敗者からやめろコール起き結局日高45回で力尽きた。 ^ なお、その一人にして優勝者となった稲川第13回でもグァムまで進出しており、第13回時には第11回クイズ王」というたすきをクイズ中に着用した。 ^ a b ただし、これは演出上のものであり(そもそもこの様な行為は離着陸時におけるシートベルト不着用で航空輸送法律違反の為)、実際に別席用意されていた。 ^ 実際にその後第8回同様の金庫使った敗者復活戦が行われ、ここで10名が復活した第6回クイズ王ウェブサイトクイズ部屋」 より) ^ a b 本来はこの時点航空券紛失扱いとなり、払い戻し一切受けられず、またこのため他の乗客への空席キャンセル待ち影響出てしまうが(払い戻しがないと座席キャンセル扱いはならず空席復活しない)、航空会社他の乗客からのブーイングおよびそれらへの影響公表されておらず、一切不明である。 ^ 実際には、金庫使った敗者復活戦前に早押しで「アメリカ横断ウルトラクイズ反対から読むと何?」という問題出題され後ろ横断幕見ても可)、解答し道蔦岳史復活した第8回挑戦者ウェブサイト より)。合計4名復活。 ^ 店頭でのクイズ名古屋まつわる問題出題された。 ^ 演出上のものであり、実際グアムホテル一泊してから日本に帰国している ^ すでに1986年3月全日空は初の国際線としてグアム線を就航していたが、第10回ではコンチネンタル・ミクロネシア航空利用した。 ^ 日本テレビ発行本「アメリカ横断ウルトラクイズ 2第2回)」に記述 ^ 優勝者機内ペーパークイズ順位放送確認されている限り、二ケタ順位だったのは第9回金子31位)のみ。そして、機内ペーパークイズトップとなり、その後決勝まで駒を進めた挑戦者は6名いたが、全員その回の優勝者となった。だが、逆に機内トップはなったが、アメリカ本土上陸まで敗退となった挑戦者も7名いた。第2回機内トップにして優勝者北川第4回第5回機内トップの道第8回でともに2度目機内トップとなったが、両者共に2度目ではアメリカ本土上陸前敗退となった。 ^ 回によっては、敗者復活者等には通常の機内食与えず簡素なものに変更されケースもあった(例として、第9回では第二次予選敗者復活者にはおにぎり1個だけ。後述する第10回の×機にメロンパン1個だけ。)。 ^ 例として、第14回の「書道で、筆使い基本となる文字は?」 (1) 永 (2) 六 (3) 輔 答:1(永六輔洒落佐藤孝吉『僕がテレビサトーです 名物ディレクター奮戦記』 文庫版pp.308-309 ^ 佐藤は、「機内問題軽くしたい」という意見に「審査委員長として、僕は断固反対した。(中略)この難問に、問題作成委員会が、見事に答え出してくれた」として、笑いを取る問題紹介しているが、実際に問題数当初比べ半減している。前掲佐藤 pp.308-309 ^ 「ブーブーゲート」と呼ばれる様になったのは第9回からで、それまでは「チェックゲート」と呼んでいた(ただし第6回では「ブーブー判定機」と呼んでいた)。 ^ 第2回のみ、失格場合ブザーの他に、天井にあるランプ点灯した。 ^ 子供向け自転車電子ブザーとほぼ同じ。ただし第7回第8回ブザーはやや低音だった ^ 第15回では機内最下位だった女性エルパソまで進出している。 ^ 「離れ離れ」は、他にも国内予選グァムなどの多人数挑戦する場所で頻繁にあり、第15回グァムでは夫は勝ち抜いたのに対し、妻が失格して、福澤が「グァムお別れクイズ離婚となりました!!」と叫んだ事があった。その一方第4回では夫婦そろってアメリカ本土上陸史上唯一となったものの、ソルトレイクシティー(第4CP)で妻が勝ち抜き夫が失格するという、珍しい「10前後挑戦者」内で離れ離れになった事もあった(因みに勝ち抜いた妻は準決勝まで勝ち進んだため、準決勝では「離れ離れ」が2名存在したになった)。 ^ 『クイズ想像力理論編』(長戸勇人著、情報センター出版局1990年)p.149 ^ この回の失格者得点213点以下だった。なお成績表では合格者の最低も213点と表記されており、放送はされなかったが同点決勝が行われていた。 ^ クイズ終了後機内食も○機では通常の機内食出たが、×機では事実上罰ゲームとしてメロンパンしか出なかった。 ^ この時の×機における挑戦者の最低得点116点だった。 ^ 他の3名に比して圧倒的に実力差があり、唯一マイナスポイントがつく大苦戦の末敗退した。 ^ 第12回小林直樹No.48敗者復活者。第4CPアラスカ鉄道置き去りとなり敗退通過の際に一名転落左中位置していたスタッフ小林飛びこんだ衝撃沈んだマット跳ね飛ばされプール転落小林は「どうしてうちのスタッフ落すんだ向こうで!」と福留叱責され、「すみません」と謝罪していた。なお勝抜き者が出た時、勝ち抜き者と「〇〇決定!」のテロップ通常画面下に出るが、この時はこのアクシデントシーンを視聴者見せるために画面上に出した。 ^ 第11回優勝者稲川も、第13回ではグァム敗退したまた、第13回準優勝者は第10回同じく第13回第3位第8回グァムそれぞれ敗退している。なお、第4回グァム敗者には、第3回マイアミまで進出した男性と、後に第11回マイアミまで進出した男性もいた。第11回マイアミまで進出した男性は泥に飛び込むシーンリプレイされた。北川第4回でも機内トップだったがグァム敗退となり、第12回でも機内トップ男性グァム敗退した(なお、第13回でも機内トップだった優勝者一度誤答敗退となったものの、敗者復活している)。 ^ 他にも、「人災忘れた頃に起こるもの!」(第5回)、「バカな事言うな!」「そんな事あるか!」(以上第7回)、「お気の毒でした」(第8回)、「そんなバカな事があるわけないだろう!」(第9回)、「残酷!」(第10回)、「バカモノ!」「そんなわきゃねぇべ!」(以上第11回)などといった珍台詞もあった。なお福時代第15回ではこれらの台詞一切継承せず、おなじみの「ジャストミート!」や、「アジャパー!」などと言っていた。 ^ レイクパウエルまで進出。 ^ 週刊ポスト 2019年8月16日23日号『昭和の「お化け番組伝説の裏側』(p.36) ^ アメリカ横断ウルトラクイズ クイズ王の本(クイズ王の会・編、日本テレビ・刊 1987年7月)p.194 ^ a b c 北川宣浩クイズ王の本』 インターネット版 ^ 海上大波強風早押しハット「?」マーク立たないほどの悪条件だったが、スケジュールの関係でクイズ強行し福留以外の挑戦者スタッフ船酔いとなった。 ^ 泳げない挑戦者には泳ぐマーク×印付きライフジャケット着用された。 ^ 青いボードと赤いボード色分けされていた。 ^ 「知力」を表す「頭脳線」、「体力」を表す「生命線」、「時の運」を表す「運命線」について調べたもので、かげろう組には頭脳線と運命線がほとんど見当たらなかった。これに対し徳光仕切るコンピューターは、亀組に「根性線」(「結婚線」)が見当たらない判明結果コンピューター予想通りになってしまった。 ^ 長戸勇人著『クイズ創造力』より ^ D-402号室から開始された。最初勝者となった挑戦者はこの回準決勝まで勝ち残った。 ^ 403号室最後となった。 ^ 放映され番組では男性挑戦者女性挑戦者部屋勝利したため、倫理問題があるという理由からトイレ閉じ込められることになった部屋番号不明)。同様の理由から、女性挑戦者男性挑戦者部屋勝利したケースではスタッフ見張り立てられた(部屋番号不明)。 ^ 第8回朝食最初に食べ終わった男性は、解答時に誤答してしまい、せっかくのチャンス生かせ敗退。この男性第12回にも出場しており、成田ジャンケン最初第8回での経歴福留から語られていた。ジャンケンではこの年3度敗者復活した女性に2本先制されながらも逆転勝ちしたが、バロー敗者復活戦きっちり借り返され敗退した。 ^ 早押しクイズキャンセルとなった問題筆記クイズ全員正解となった問題放送ではカットされることが多い。 ^ 例として第8回バハマでは海底でのクイズ収録だったため水まつわる問題多く出題された。 ^ 福留功男著『ウルトラクイズ伝説』 ^ a b 福留功男著『私情最大!アメリカ横断ウルトラクイズ』 ^ 第8回挑戦者ウェブサイト より ^ 厳密に大声側が誰も答えられなかった場合解答念力側に移る形式。 ^ 第6回クイズ王ウェブサイトの「クイズ部屋参照 ^ しかし長戸勇人著『クイズ創造力』によると、実際の不正解ペナルティ1回休みではなくマイナス1ポイントだったという。 ^ 夫婦ともに出場したが、夫はグァム敗退した。なお、このクイズ女性挑戦したのは第12回けだった第13回第16回では「クイズ わたしがママよ」は後半CP行われたが、そこまで女性残れなかったため)。 ^ 後に同校校長戸塚宏当番組のパロディビートたけしのお笑いウルトラクイズ」に出演している。 ^ 事実太め体形挑戦者敗退した。 ^ この時ゴールキーパーとして登場したのはサントス当時在籍していたゴールキーパーと、同じくゴールキーパーとしてサントス当時在籍していたペレ息子エジーニョ番組では「ペレジュニア」と紹介した)の2名で、数問おきに交代しながらゴールキーパー担当した。 ^ もう一人敗者は全く押すことができず、事実上この二人でラスト抜け争った。 ^ ここまで安定して中、上位勝ち抜けており、クイズ開始前行われたコンピュータ予想では、優勝者とともに決勝進出する予想され実力者だった。 ^ 開始前にも福留にこの時のことを指摘されていた。それでもゲインズビル時点第8回では果たせなかった残り6名(および最終週)までの勝ち残り、さらにフロリダ半島上陸果たしている。 ^ 知らない場合、他の挑戦者没収された州を確実に拾って勝ちぬけるという戦術可能だが、その手段を活用した挑戦者はいなかった。だが、ラスト抜け男性最後誤答して一度失った州を最後に指定していた。 ^ ここで待ち構えていたのは、ナンシー・レーガン大統領夫人そっくりさん。ただし誰も気が付かず最後まで正体明かされなかった。 ^ つまり2名失格まで生き残れ獲得ポイント0でも、マイナスポイントがついていても勝ち抜けることが可能で、実際に二人目敗者が-12ポイント失格となり、ラスト抜け決まった準優勝者はその時点で0ポイントだった。 ^ 準優勝者、準決勝進出者一人、ここでの敗者らに押し付け集中した逆に2位抜けだった優勝者トップ通過した6位入賞男性はほとんど狙われなかった。 ^ この回の準優勝者が、残り2人相手女性解答者攻め切れず最終的に女性解答者指名正解して、女性解答者失格となって自分勝ち抜けとなり、浮かない顔をした解答者福留苦言呈した。 ^ 「アジア大陸」・「ヨーロッパ大陸」・「アフリカ大陸」・「北アメリカ大陸」・「南アメリカ大陸」の5大陸に、当時南半球存在した考えられていた「メガラニカ南方大陸)」の計6大陸だが、番組では「メガラニカ」や「南方大陸」とは言わず、「南極と言っていた。 ^ 最後に残った二人は、第15回優勝者である能勢一幸敗者となった機内トップ男性だった。 ^ 準優勝者が残りは6位入賞女性のみとしたものの、女性回答してワンチャンスをものにされる形となりトップ通過許した福澤も「いわゆるこれが漁夫の利というやつです!」とコメントしている。 ^ ソルトレイクシティー第4回第14回)、フェニックス第5回第8回)、モハーベ砂漠第12回第15回)の3か所で2回ずつ行われた。 ^ 第12回平田由佳東京都出身No.23、第12CPフェゴ島敗退)は、最初にハズレ引いた時に平田結局ハズレ放送3度連続オンエアされていないところでも1度合わせて4度引いた)「バカヤロー」とどなった。これを聞いた福留は「あの人どういう性格なされてるんでしょう?」とつぶやいた。 ^ 4連続で「ハズレ」を引き当て、1問もクイズ出来ないまま失格4回目の時は福留も「こんな事があっていいのか!?」と叫んだ。なお第12回平田も3連続・4回「ハズレ」で、あわや第3回敗者二の舞かと思われたが、その後2問正解二の舞にはならなかった。 ^ ちなみに第12回バラマキクイズでのハズレで「バカヤロー」とどなった前述平田絶叫は「バッキャロー」になった。 ^ ザテレビジョン 1987年11月6日号 p.43 - 45恐怖ウルトラクイズ誌上体験」 ^ このとき競わされた挑戦者優勝者長戸第3位。 ^ ただし、問題集の中では12ポイント勝ち抜けと書かれている。 ^ 階段降りられない(マイナスになる)場合は、地上まで降りてペナルティボックス入れられ1回休みというルールであった放送上では、第1問で不正解だった挑戦者普通に次の問題解答してたように見えたが、実際には第2問が誰も数字を示さなかったためカットされた。このためこのペナルティ放送では触れられなかった。(ハウエバー稲川パチンコ通信(第11クイズ王によるブログ) より) ^ 実際は本クイズ前にウルトラクイズに関するカルタ取りが行われ、勝ち抜け挑戦者から順に搭乗するボート自分選んでいた。しかしクイズ中に挑戦者ボート1台が故障するハプニング発生し急遽スタッフ使用していたボート代用する事態となった。(ハウエバー稲川パチンコ通信(第11クイズ王によるブログ) より) ^ 空席待ちクイズ最初に通過した平田のみ食堂車2階移動して三択いち早く通過した女性3名(空席待ちクイズ始まった時にはすでに食堂車2階でのランチまっただ中だった)に合流する場面映されたが、勝ち抜けていた3名は下でクイズをしていると聞かされ驚いていた。それを教えた平田も「たまんねーよ」とつぶやいていた。 ^ 準決勝進出した4名は全員ここで勝ち抜けている。 ^ このクイズトップ通過女性(第10CPイグアス敗退)と、この時小倉救助され男性翌年成田まで勝ち残った。なお、救出され男性ヘリコプターの中で「彼の分も頑張ります」と涙ながらに語っており、敗退となったサンパウロでも罰ゲーム終了後改めて涙とともにこのことに触れた。 ^ a b 2人で戦っている時(第3回1人勝ち抜け後、第10回1人負け抜け後)は自動的に対戦相手から。 ^ ただし「史上最大敗者復活戦」の準々決勝で、歴代クイズ王第6回高橋まで)が相手役ゲストとして参加したチャンピオン貸しクイズ」が既に行われており、松尾歴代クイズ王一人として参加した。 ^ 不正解ペナルティ放送上で正解がなかったため、触れられなかった。仮にも松尾勝利した挑戦者が0名または1名だった場合は、対決クイズ獲得したポイント持った状態で通常の早押しクイズ行い3ポイント獲得決勝進出、そして決勝進出者が2名決まった時点終了というルールであったという。(ハウエバー稲川パチンコ通信(第11クイズ王によるブログ) より) ^ この結果全大会で唯一帰国中の敗者空撮登場した。 ^ 『クイズ想像力理論編』pp.224 - 231 ^ 複数人同時にビンゴ場合優先権はその問題正解した人にあったが、正解者ではない2人同時にビンゴした場合優先権については不明。 ^ 第11回では準決勝と決勝戦が同日収録であったため準決勝進出者日本電話をする場面放送された。 ^ 第14回では準決勝罰ゲーム最後にのコーナー挿入されている。 ^ 決勝進出者搭乗するヘリコプター観光用遊覧ヘリ番組ではヘリコプターから直接会場に入るような演出がある回があったが、実際にヘリでの空撮収録決勝戦収録日午前中に行われていた。 ^ 『クイズ想像力問題集編』pp.80 - 81。またこの時代用品としてトマトジュース用意しておいたと福留語ったが、長戸は「トマト見たくもない」と断った。 ^ 第1問目の時は、渡辺が「大番頭名義副司会を務める『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』での解答開始台詞「さあ、みんなで考えよう!!」を叫んだ。 ^ 『テレビ番組40年』 ^ ○×問題指摘お答えします 2014-01-20 10:00:00 - tsutomu「アメリカ横断ウルトラクイズヒストリー」 ^ 北川宣浩 TVクイズまる金必勝マニュアル-アメリカ横断ウルトラクイズ 表 話 編 歴 アメリカ横断ウルトラクイズ / 全国高等学校クイズ選手権 アメリカ横断ウルトラクイズ 総合司会出題・海外リポーター第1回-第14回今世最後史上最大敗者復活戦 福留功男1 / 第15回第16回 福澤朗 / 史上最大敗者復活戦関西地区予選 小林大作 国内リポーター第1回-第11回今世最後史上最大敗者復活戦 徳光和夫 / 第12回-第16回 渡辺正行 海外リポーター第9回第10回 日高直人 / 第11回 増田隆生 / 第12回-第14回 小倉淳 / 第14回 鈴木健 コンピューター予想第1回・第2回第4回第8回-第11回 徳光和夫 / 第3回・第6回 白岩裕之 / 第5回第7回 小林完吾 / 第12回 永井美奈子 総合司会第1回-第12回 高島忠夫石川牧子2 / 第1回 徳光和夫3 / 第13回第14回 (なし) / 第15回 小倉淳永井美奈子 / 第16回 (なし) / 今世最後 伊東四朗松本明子 関連項目日本テレビ / 東京ドーム / 後楽園球場 / クイズ形式(バック・トゥ・ザ・フューチャークイズ) / 各大会詳細 / コンピュータゲーム / クイズ王 / 罰ゲーム / 木曜スペシャル / ビッグサタデー / 夢と冒険!アメリカ大横断 / 人工衛星クイズ / 冒険家族クイズ2001 / ズームイン!!朝! / ビートたけしのお笑いウルトラクイズ / 近畿日本ツーリスト 関連人物小林與三次 / 正力亨 / 氏家齊一郎 全国高等学校クイズ選手権 総合司会第1回-第10回 福留功男 / 第11回-第20回 福澤朗 / 第21回-第30回 ラルフ鈴木 / 第31回-第40回 桝太一 / 第41回 安村直樹 メインパーソナリティー第23回第24回 爆笑問題 / 第26回-第28回 オリエンタルラジオ / 第29回 菊川怜 / 第29回-第32回 茂木健一郎 / 第30回 宇治原史規 / 第31回・第33回 榮倉奈々 / 第33回-第35回 有吉弘行 / 第34回 鈴木杏樹 / 第35回 山岸舞彩 / 第36回第37回 DAIGO / 第38回-第40回 千鳥 / 第41回 かまいたち 関連項目日本テレビ / クイズ形式 / 全国大会出場校 / 西武ドーム / ライオン / 富士山 / ヴァンテアン 関連人物小林與三次 / 正力亨 / 氏家齊一郎 / 萩原敏雄 / 間部耕苹 / 久保伸太郎 / 細川知正 / 大久保好男 / 小杉善信 1:第15回も第1問まで担当、2:第1回のみ肩書は「アシスタント」、3:第2夜のみ

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ロドルフ・テプフェール」の記事における「脚注及び出典」の解説

^ 「Töpffer」のつづりはドイツ系であり、現代ドイツ語発音では「テップファー」「テプファー」に近いが、自身フランス語用いており、フランス語風に[tœpfɛʁ]と発音していたと推測される。この記事では慣習的に「テプフェール」と表記する。他に「テプフェル」「テファー」「トプファー」「トッフェール」などの表記もある。 ^ フランス語の"vieux bois"(古木) は英語で言う "wooden-head" すなわち「間抜けの意味

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川崎市の歴史」の記事における「脚注及び出典」の解説

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脚注及び出典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 01:36 UTC 版)

武蔵工業大学短期大学部」の記事における「脚注及び出典」の解説

[脚注使い方] ^ a b c d e f 1961年度以前募集停止。 ^ a b c d e f g h i j武蔵工業大学'61』p25より。教育政策研究所教育図書館所蔵。なお、登録上は『武蔵工業大学要覧』(1961年となっている ^ 年度別学生数からの推測。 ^ a b 平成23年度全国短期大学高等専門学校一覧269頁より。 ^ 『短期大学一覧1950年度 ^ 昭和30年度版『全国学校総覧』1375頁(以下、『総覧』と略する。) ^ この年度における『総覧』が存在しないため。 ^ 昭和34年度版『総覧21頁 ^ 昭和35年度版『総覧19頁 ^ 昭和36年度版『総覧23頁 ^ 昭和37年度版『総覧23頁 ^ 昭和38年度版『総覧26頁 ^ 昭和39年度版『総覧28頁 ^ 昭和40年度版『総覧28頁 ^ 昭和41年度版『総覧31頁 ^ 昭和42年度版『総覧33頁 ^ 昭和43年度版『総覧33

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脚注及び出典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 16:35 UTC 版)

アンモナイト (デザイン集団)」の記事における「脚注及び出典」の解説

^ 月刊アニメック 1984年7月号 第80頁・第81頁 -「メカデザイナー視界<5> ●スペシャリスト」 ^ 小学館THIS IS ANIMATION ザ・セレクト(10) 超時空騎団サザンクロス スペシャル・ガイドブック』メインスタッフ座談会109頁。

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脚注及び出典

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コスタ・ベネチア」の記事における「脚注及び出典」の解説

^ コスタ・ベネチア_フネコ ^ “東京港クルーズ客船コスタ・ベネチア初入港』報道発表資料”. 東京都港湾局 (2019年4月23日). 2019年5月28日閲覧。 ^ “イタリアからジパングコスタ新造コスタ ベネチア 東京初入港”. Costa Crociere S.p.A.. (2019年4月30日). https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000014.000033355.html ^ “大阪市クルーズ客船入港情報2019年5月)”. 2019年5月28日閲覧。 ^ “超大型クルーズ船 コスタ・ベネチア初入歓迎式典開催について 記者配布資料 (PDF)” (2019年5月9日). 2019年5月28日閲覧。 ^ コスタ・フィレンツェ

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脚注及び出典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 22:11 UTC 版)

天理中学校」の記事における「脚注及び出典」の解説

[脚注使い方] ^ 学校法人天理大学天理中学校 ^ 天理中学校中学受験のすすめ(中学受験中学入試研究会)による。

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脚注及び出典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 08:45 UTC 版)

井村君江」の記事における「脚注及び出典」の解説

[脚注使い方] ^ “ぐるっと首都圏母校をたずねる:栃木県宇都宮女子高/5 混乱期にも西洋文化学ぶ 井村君江さん /東京” (日本語). 毎日新聞. 2022年7月30日閲覧。 ^ 交流は、自伝妖精の輪の中で』(筑摩書房)に一端知れる。 ^ 妖精資料概要|宇都宮市 ^ 自伝2009年私家版新版刊 ^ ちくま学芸文庫版『日夏耿之介文集』、『サバト恠異帖』を編・解説。また『矢野峰人選集(2) 比較文学日本文学』(国書刊行会2007年)の解説担当

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