サマーイベント
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「THE ALFEE」の記事における「サマーイベント」の解説
彼らは夏の風物詩として野外で大規模なコンサートを行ってきた。数回の例外はあるが例年屋根のない場所で行われ、原則として同じ場所での公演は控えてきた。しかし晩年は場所探しの難航から、これらの原則は守ることが徐々に困難となっていた。 2007年にはそれまで25年間連続して行ってきた夏のイベントを一時休止、2009年8月8日、9日に開催された「YOKOHAMA PERFECT BURN」をもって、長年続けてきた夏の野外イベントは終了した。その後屋内会場ではあるが、さいたまスーパーアリーナで3公演、横浜アリーナで3公演、 幕張メッセ国際展示場で1公演が開催されている。 1982年 ROCK'N'ROLL FIGHTING NIGHT -悲しみをぶっ飛ばせ!!- 所沢航空記念公園(1982年8月6日、動員5,000人)彼らにとって初の野外コンサート。チケットには3人のメッセージが入ったソノシートが使われた。その年の4月に久保記念講堂でのライブを成功させ、自らのキャラクターを明確にした彼らは、ロックバンドとしての姿をこの所沢において披露。 しかし公演当日、1曲目のイントロの冒頭で、高見沢のアンプから音が出ないハプニングに見舞われる。音が出るまでの間、高見沢以外のメンバーで冒頭の数小節を延々と繰り返したという。 また、MCで高見沢が「来年アルフィーは結成して10年になります。来年の8月25日、何かやります」と企画すら起っていない状態にもかかわらず「何かやります」宣言をする。(実際、1974年のデビューなので9周年だった。現在では1973年結成となっている) 現在はステージの妨げとなるためステージに向かって紙テープを投げるのは厳禁となっているが、ステージ前に溜まった大量の紙テープの山にステージ演出で使用したマグネシウムのフラッシュの火花が引火し軽度のぼやが発生、スタッフが慌てて消し止めるといった一幕があった。 1983年 OVER DRIVE-ALFEE 8.24 BUDOKAN- 日本武道館(1983年8月24日、動員10,000人)当日、会場に訪れた1万人の観客全員に本人たちのプロモーションビデオなどが収録されたビデオテープ(VHS、ベータマックスともに5千個ずつ)がプレゼントされた。 終演後も席を立つ者が無く、アンコールを求める声が止まなかったが、会場に「SINCE 1982」の伴奏が流れ始めると(高見沢が舞台ソデで演奏した、ともいう)次第に静まり、遂には会場一体となって同曲を大合唱した、というエピソードが、「夢さがし アルフィー・高見沢俊彦物語」などでも紹介されている。この大合唱の様子はライブビデオの冒頭に収録されている。 このライブで、ステージバックに当時日本での流通量が少なかったマーシャルのキャビネットを積み上げたので(マーシャルウォールとも呼ばれた)、日本中の楽器店から、マーシャルのキャビネットが消えたと言われた。 1984年 FLYING AWAY-ALFEE IN YOKOHAMA STADIUM- 横浜スタジアム(1984年8月3日、動員30,000人)当日は雨に見舞われた。しかもステージがリノリウムという、水にぬれると滑りやすくなる資材で作られたため、公演中に高見沢が滑って転倒してしまう。そのとき、転んだ拍子にギターで胸を強く打ち、肋骨にヒビが入る怪我を負った。 また、雨の降る中「鋼鉄の巨人」というハードロックの楽曲を演奏中、ステージのバックに稲妻が光った。当日、会場に来ていたキャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)の羽佐間重彰社長(当時)はそれを見て「ずいぶんと金のかかった特効だな」と関係者に話していたという[要出典]。 チケットは、青い下敷き。 1985年 YOKOHAMA STADIUM 3DAYS 横浜スタジアム(1985年8月27日・28日・29日、動員90,000人)現在では、同一の会場で連続して公演が行われる際や、テーマパークの複数日パスポート等で「_Days」と表記されることがあるが、本公演がそのはしりといわれている。3日目には開場時間から彼らはステージに上がりアコースティック曲を演奏し、観客を驚かせる。この前座ライブは20曲以上に及んだため、一日の総演奏曲数は50曲を超えた。また、かなり早い時間帯から演奏したため、1曲目の「過ぎ去りし日々」が終わった時は、ほだとんど観客がいなかった。 チケットは、青いバンダナ。 1986年 TOKYO BAY-AREA 東京湾13号埋立地(1986年8月3日 動員92,500人)日本初の単独10万人(主催者発表)コンサート。普段はラストに演奏される事の多い「See You Again」だが、この日は1曲目の演奏となった。 13年かけてこの曲にたどりついたという「ROCKDOM -風に吹かれて-」が当日に初めて演奏され、初めて聴くにもかかわらず、観客が一体となって最後のリフレイン部分を大合唱した。 会場は、現在フジテレビの社屋がある隣附近。当時のビデオ映像などを見ると、周辺には船の科学館しか存在していなかった。 何もない所だったために組むことができた幅120メートル、高さ75メートルの巨大なセットは、10万人コンサートの名前にふさわしい規模だった。会場には公共の交通機関が存在しなかったため、数十台の都営バスを借り切って、営団地下鉄(当時。現在の東京メトロ)東西線の東陽町駅および木場駅と会場の間をピストン輸送した。 また開場時間は開演の6時間前に設定され、その間、春ツアーで使用したセットを組み、10組のコピーバンドが前座としてステージに上がった。 終演は9時過ぎだったが、大人数のため最後の客が退場できたのは、深夜0時を回った。 チケットは、ワッペン型。 前座をしたコピーバンドはOVER THE AGES - ウェイバックマシン(2011年5月11日アーカイブ分)と題して何回かコピーバンド大会を行った。 1987年 SUNSET-SUNRISE 日本平ホテル MUSIC LAND-IN 静岡(1987年8月8日・9日、動員62,500人)日本初の単独オールナイトコンサート「サンセット・サンライズ」。 前年のクリスマスに、横浜スタジアムに設置した仮設テントでのオールナイトコンサートは、近隣からの騒音苦情のため、夜明け前に終了してしまった。その雪辱戦として急遽決定したライブだった。全体を3部構成にし、1部と3部はロックナンバー中心のライブ。2部はアコースティックライブとなり、幻の未発表曲「まもなく2番線に…」(ライブハウス時代の楽曲。2014年に「Alfee Get Requests! 2」にて初CD化)が演奏された。それぞれの合間には1時間の休憩が挟まれた。 前半はウッドストック・フェスティバルさながらの豪雨にたたられ、一部の楽器に不具合もでた。また、このコンサートの最中には、ニッポン放送オールナイトニッポンが、一部、二部ぶっ通しの特別番組を放送した。当時、アルフィーと親交の深かった上柳昌彦アナウンサーが、日本平ホテルの一室から放送。事前に収録したインタビューコーナーだけでなく、休憩時間中には、メンバーが直接生出演した。 三部に入るとほとんど雨が止み、「不良少年」の演奏中には富士山が顔を出した。 最後は、このライブの為に作られた「Sunset Sunrise Kiss」を披露(同曲は長年CDには収録されず、同ライブが収録されたビデオ映像でしか聴けなかったが、2012年12月23日発売のDVD「We Get Requests!」には2012年バージョンが収録、2014年に「Alfee Get Requests ! 2」にて初CD化)。演奏終了後、メンバーはヘリコプターに乗って会場を後にした。 エンディングの退場の際、高見沢の靴が脱げてしまい、勢いでもう片方も脱いで客席へ投げ込み、ヘリコプターに乗り込んだ。しかし着陸したのは雨上がりの河原であったため、迎えの車まで靴のない高見沢は桜井に背負われて移動した。(「THE ALFEE HISTORY II」に、その際の映像がある) チケットは、白いビニールシート。 1988年 ALL OVER JAPAN 4 ACCESS AREA 大阪湾南港特設会場(1988年7月24日)、札幌大倉山ジャンプヒル(7月31日)、福岡海の中道海浜公園(8月7日)、横浜本牧埠頭シンボルタワー(8月14日)動員131,260人(4日間合計)4 ACCESS AREAとして一週毎に各地を回って開催した。 春ツアーから一貫したコンセプトによる演出になっている。宇宙を旅したアルフィーが、各地に宇宙船で飛来、ライブが終わると再び宇宙船に乗り込む、という流れになっている。 最後の横浜では、7年ぶりにBEAT BOYSが復活を宣言。新曲を披露した。 また、横浜では興奮した客が過換気症候群となり、25人救急車で搬送される騒ぎとなった。翌朝の新聞にて報道された。 チケットは、バックステージパス。 1989年 U.S CAMP DRAKE ASC 朝霞米軍キャンプ跡地(1989年8月13日、動員50,400人)1989年の前半はBE∀T BOYSとしての活動が主となり、久しぶりのアルフィーとしてのライブとなる。 ALFEEと親交が深かった「シンプジャーナル」(自由国民社刊)の大越編集長が、軍服を模した衣装を着たり、戦闘シーンをイメージさせる特効などに苦言を呈した。現在その会場跡には朝霞市立朝霞第一中学校が建てられている。 1990年 BRIDGE ACROSS THE FUTURE 横浜みなとみらい21 臨港パーク(1990年8月12日、動員53,800人)このライブではドラムに春から一緒にツアーを回っていたそうる透も参加し、ツインドラムで重厚な威圧感のあるライブとなった。当時はみなとみらい21地区は開発中であり、当時のライブ映像を見ると、周辺にはコスモクロック21しかない。インターコンチネンタルホテルは半分程度しか出来ていなかった。 三人の衣装は、この年のホールツアーや秋に発売されるアルバム『ARCADIA』のイメージを踏襲した中東貴族風のものだった。 春のツアーまでは高見沢ボーカルだった「MY BEST FRIEND」が、このライブから桜井メインに変更されている。 1991年 10回目の夏-SINCE1991- COSMO OIL YOKOHAMA BAY(1991年8月11日、動員51,611人)所沢の野外ライブから数えて「10回目の夏」。 会場になったコスモ石油の敷地は、前年の会場であったみなとみらい21地区の対岸であり、ライブビデオにはMM21臨港パークから桜井がリポートする場面が挿入されている。 1992年 JUST LIVE! 横須賀海辺ニュータウン(1992年8月9日、動員42,400人)当初は同日に米軍厚木基地で「Dream on The Field」が開催する予定であったが、8月9日は長崎に原爆が投下された日だったことや騒音の面からクレームがつき、急遽会場の変更を余儀なくされる事態になる。一時はイベント中止かとの声もあったが、スタッフらの尽力でわずか1か月半で新しい場所を探しだし、ステージやチケットのデザインも1から作り直して予定通り8月9日に開催した。 セットは、アメリカにあるラシュモア山の大統領の彫像をモチーフに、巨大な山のセットに三人の顔が彫刻されている。 1993年 VICTORY STADIUM 千葉マリンスタジアム(1993年8月21日・22日、動員64,000人)8月21日…Silver Night Special 8月22日…Gold Night Special 久しぶりのスタジアムでのライブとなる。2日間にわたってアコースティック、ハードロックの両面を前面に出した。1日目には彼らが応援ソングを作曲した横浜フリューゲルスの選手が登場し、ライブを盛り上げる。 両日のセットリスト中、共通した楽曲は「Victory」だけで、両日併せて60曲以上が披露された。 なお、この年より2009年まで複数日での開催が定着することになる。 1994年 KING'S NIGHT DREAM 大阪舞洲スポーツアイランド(1994年7月30日)横浜MM21臨港パーク(1994年8月13日)(動員65,790人)7月30日…WESTERN CONFERENCE FINAL 8月13日…EASTERN CONFERENCE FINAL 横浜では3on3の大会やTHE ALFEEに関する展示、当時スポンサーを務めていたレーシングドライバー野田秀樹選手のサイン会などが行われた。また横浜の会場は当時開催されていた「エイズ国際会議」のクロージングイベントの一環として開催され、ルーマニアエイズ遺児支援の募金活動が行われている。 大阪では6年ぶりの野外イベントとなる。遊園地のようなイメージでステージは作られ、高見沢はトランプをモチーフとした4本ネックのギターを披露。しかし、ボディが通常のギターの2倍以上あるためかなりの重量があり、相当弾きづらかったため、このイベント以来使用していない。 大阪では幻の曲「府中捕物控」も演奏され、横浜ではデビュー曲「夏しぐれ」を高見沢がハンドマイクで披露した。 ステージセットは遊園地をモチーフに、今までイベントのタイトルが随所に配置された。 1995年 幻夜祭 千葉ポートパーク(1995年8月12日・13日、動員67,800人)8月12日…Red Phantom Eve 8月13日…Blue Phantom Eve アルバム『夢幻の果てに』後のライブということでプログレ・メロスピ曲が演じられ、緊張感のあるライブとなる。「悲劇受胎」が初演奏された。 最初のイベントROCK'N'ROLL FIGHTING NIGHT -悲しみをぶっ飛ばせ!!-以来、久しぶりに既存の野外ステージ上にセットが組まれた。 桜井は春のツアーで喉を痛めたため、痛み止めと注射で二日間を乗りきったという。 1996年 YOKOHAMA RED BRICKS 横浜赤レンガパーク(1996年8月10日・11日、動員74,100人)8月10日…YOKOHAMA RED BRICKS I 8月11日…YOKOHAMA RED BRICKS II ステージは大きな船に見立てられ、航海をイメージとした編成となる。会場が細長いため、客席の最後方部はかなり条件が悪かった。そのためラストにはメンバーが最後方まで行き、挨拶をした。 また、ステージ後方には、コスモクロックという観覧車が見えていた。 1997年 EMOTIONAL FIELD 稲毛海浜公園(1997年8月9日・10日、動員63,300人)8月9日…HEAT EMOTION 8月10日…BEAT EMOTION 台風による強風により、花火などの特殊効果が使用不可となる。1日目に使用した銀テープは風にあおられ電線に架かり、付近が停電になった。このことに関して高見沢は2日目のMCで謝罪している。 1998年 TOKYO ONE NIGHT DREAM 立川国営昭和記念公園(1998年8月16日、動員62,200人)前日の8月15日には前夜祭として、コピーバンドの決勝大会等催し物が繰り広げられる。ビートボーイズも久々の登場となった。前年の反省を踏まえて万全の風対策をしたが、この年はほぼ無風、酷暑の中で行われた。 1999年 A.D.1999 MILLENNIUM CARNIVAL 横浜ニューポートピア(1999年8月7日・8日、動員63,500人)8月7日…A.D.1999 Millennium Carnival I 8月8日…A.D.1999 Millennium Carnival II 座席の代わりに地面にチケット番号が書かれた板を敷くという野外イベントならではのスタイルはこのイベントが最後となった。1日目のアンコール、「Wings of Freedom」の直前から突然の豪雨。曲が終わると同時にピタリと降り止むという不思議な自然の演出があった。ドナルドダック生誕65周年を記念して制作された「D.D.D ! 〜Happy 65th Anniversary for Donald Duck〜」初披露。 2000年 TOKYO AUBE STADIUM 神宮球場(2000年8月12日・13日、動員55,360人)8月12日…ALFEE CLASSICS NIGHT 8月13日…ALFEE ROCKDOM NIGHT 初日は神奈川フィルハーモニー管弦楽団と指揮に服部克久を迎え、クラシックとの融合を図る。2日目はロックナンバーを一気に演奏と、ALFEEの幅広い音楽性を発揮した2日間だった。東京都の騒音条例により両日共に20時半には演奏終了となった。2日間共にアンコールにて、高見沢は、初代久保田一竹による「辻が花」の着物を身に纏い登場した。またESP製の辻が花仕様のギターを演奏した。 2001年 KINGDOM さいたまスーパーアリーナ(2001年8月25日・26日、動員58,770人)8月25日…Chapter I :Grateful Birth 8月26日…Chapter II:Never Ending Dream 20回目のイベント、日本武道館以来の屋内での夏のイベントとなり、さいたまスーパーアリーナでは最大のスタジアムモードで開催された。1日目は27回目のデビュー記念日だったため、ラストには事前に行われた案内に従う形で客席から「Wind Tune」の大合唱が起き、何も知らされてないメンバーを驚かせた。2日目はアリーナ席後ろからガードマンと共に登場するという演出を行った。ラストはステージサイドから客席に降り、会場を一周した。 2002年 Legend of The Stadium V 西武ドーム(2002年8月24日・25日、動員52,092人)8月24日…Silver Legend 8月25日…Gold Legend 関東地区のプロ野球フランチャイズ球場である(東京ドーム・西武ドーム・明治神宮野球場・横浜スタジアム・千葉マリンスタジアム)を完全制覇。2日目のGold Legendではデビュー以来ほとんど披露していないという「危険なリンゴ」を演奏、公演時間は4時間を超えた。また、このイベントにてライブ通算動員数600万人を突破した。 このライブに際して、西武鉄道が事前に応募した観客のみ利用できた団体臨時列車「ALFEE EXPRESS」を西武池袋 - 西武球場前間に両日二往復(復路は回送扱い)運行した。 2003年 YOKOHAMA SWINGING GENERATION 横浜みなとみらい21 21街区(2003年8月16日・17日、動員55,247人)8月16日…GENERATION DYNAMITE DAY 8月17日…SWINGING GENERATION DAY 二日間、土砂降りの雨に見舞われた。1日目は交通機関の乱れなどにより開演時間になっても入場が終わらず開始時間が大幅に遅れた。GENERATION DYNAMITE DAYでは途中で機材を覆うテントを取ってしまったために機材に水が入ってしまい、1000万円以上の機材損害を出したといわれている。2日間とも雨だったため星空は見えなかったが、メモリアルチケットのフラッシュバッジがそれに代わり演出をした。この年の「ドラえもん」のエンディングテーマ曲であった「タンポポの詩」では、2日目の公演のみドラえもんらレギュラーキャラクター5人がゲスト出演し、高見沢がドラえもんギターを演奏した。 2004年 LOVE&PEACE YOKOHAMA ハンマーヘッドパーク(2004年8月14日・15日、動員54,620人)8月14日…A DAY OF LOVE 8月15日…A DAY OF PEACE デビュー30周年記念ライブ。前年の経験から、この年以降はステージ上には屋根が架けられるようになった。「恋人達のペイヴメント」のイントロで遊覧ヘリコプターが飛来し、高見沢が演奏を中断してヘリコプターを叱りつけるという場面も(その後同曲の演奏をやり直した)。1日目、2日目とも客席にはペンライトが用意され、ラストにはそれぞれ「ALFEE」、「30th」という人文字が浮かび上がった。 名称は異なるが1999年のイベントと同会場で、跡地には2019年10月31日に複合商業施設「横浜ハンマーヘッド」がオープンした。 2005年 TOKYO BAY STATION 晴海埠頭特設会場(2005年8月20日・21日、動員50,685人)8月20日…Terminal 1 8月21日…Terminal 2 東京では5回目のイベント。このイベントの花道は前方の客席を大きく取り囲むドーナツ型をしているという、夏のイベントでは珍しい花道であった。夜には満月が出て、月に因んだ新曲の初披露に華を添えた。 2021年現在、この会場の跡は2021年開催予定の東京オリンピック選手村他施設が整備されている。 2006年 YOKOHAMA STAR-SHIP 横浜赤レンガパーク(2006年8月12日・13日 約51,000人)8月12日…Only One Night 8月13日…Next One Night 横濱開港150周年記念。1996年の「YOKOHAMA RED BRICKS」と同開催地だが、ステージの位置は1996年と反対方向に設置された。 1日目の「NEVER FADE」演奏時には、前奏時に高見沢が足を滑らせて転倒し、エンジェルギターの羽根部分で顔を強打するというハプニングがあった。 2日間の曲目は過去のイベントでの印象に残った曲をちりばめるという、まさに25年の集大成というべき曲順であった。 このライブをもって、1982年から25年続いた夏のイベントは、一旦休止されることになった。 もともとは2000年のTOKYO AUBE STADIUMをもって休止の予定だったが、タイミングを逸したため25周年まで延期されたという。 2009年 Legendary Summer 2009 YOKOHAMA PERFECT BURN 横浜赤レンガパーク(2009年8月8日・9日 約60,000人)8月8日…Burn Into Memory Night 8月9日…Burn Into Perfect Night デビュー35周年を記念して、また、最後の夏のイベントと銘打ち開催された。チケットはクリスタルチョーカー。 2日間のセットリストは新旧の曲を織り交ぜ、最後の夏のイベントに相応しいものとなった。尚、両日のセットリスト中、共通した楽曲は「メリーアン」、 「星空のディスタンス」、「夢よ急げ」、「SWEAT&TEARS」の4曲。 1日目にはデザインを公募して作成された高見沢の『わんこそばギター』が、「君はパラダイス」で使用された。 2日目にはチケットを入手できなかったファンが最後の野外イベントに参加しようと会場に集結、その数は約3,000人にも上った。3人も会場に入れなかったファンの存在に気付いており、特に高見沢は会場外のファンが見える花道先の舞台へ度々行き、ファンとの交流を図った。また、公演終了後には同じ舞台で3人が深々と頭を下げ、会場に入れなかったファンに対しても感謝の意を表した。 2012年 One Night Summer Dream 2012 We Get Requests! さいたまスーパーアリーナ(2012年7月28日 約19,000人)2009年に夏のイベントは終了と銘打たれたが、この年からは休止に改められた。初の夏イベから30周年を記念して一夜限りで行われた。このコンサートのセットリストはファンからの1万5千通のリクエストを基に構成された(ひとりのリクエストは最大3曲、延べ約4万5千票の中から選ばれた)。 コンサートでは1987年の夏イベで一度だけ演奏された「SUNSET-SUNRISE KISS」が、「SUNSET-SUNRISE KISS 2012」として新しいアレンジで25年振りに演奏された。 メモリアル・グッズはサインライト(青)。 3人それぞれのリードボーカル楽曲でリクエストが最も多かったのは、「Musician」「Pride」「SWEAT&TEARS」(当日の演奏順)。 リクエストにてトップ10にエントリーされた楽曲の内の9曲は演奏されたが、「TIME AND TIDE」のみ本番の構成上演奏することが出来ず、同年の秋のコンサートツアーのアンコールにて演奏された。 2014年 THE ALFEE 40th Anniversary 2014「40年目の夏」 さいたまスーパーアリーナ(2014年7月26日・27日、約35,000人)デビュー40周年を記念して、2日間行われた。夏のイベントが2日間行われたのは、2009年以来。 屋内会場ならではの巨大なセット、せり上がる円形センターステージ、高見沢のフライングも10年ぶりに行われ、ドットイメージによる照明演出は数をさらに増やしセンターステージや花道にまで設置範囲が拡大する大規模な演出となった。 メモリアル・グッズはサインライト(赤、白)。 2015年 Best Hit Alfee 2015「One Night Circle」 さいたまスーパーアリーナ(2015年7月26日、約16,500人)中途半端な41年目を乗り切るぞと、一夜限りの開催、夏のイベントでは初となるセンターステージで行われた。アリーナ中央に電動式で回転するギターのピックを模った形のステージ、外周には150mの花道が設定された。観客席はステージを360度囲むように置かれた。 この年さいたまスーパーアリーナが15周年を迎え、ホール、アリーナ(3形態)、スタジアムの全てのモードでコンサートを行ったのはTHE ALFEEだけであるという事で表彰を受けた。 メモリアル・グッズはサインライト(緑)。 ラストナンバーとして演奏された「Last Stage」は歌詞が大幅に変更されて、「もうひとつのLast Stage」と改題された。ライブ映像作品「Best Hit Alfee 2015 ONE NIGHT CIRCLE」で確認可能。 2016年 30th Summer! Best Hit Alfee 2016「夏フェス」 横浜アリーナ(2016年7月30日・31日、約24,000人)メモリアル・グッズはLEDシリコンブレス(ブルー・ピンク)。 30回目の夏のイベント、かつ1986年の東京ベリアの野外イベントより30周年のイベントとなった。2日目のラストナンバーでは、当時未発表だった「この素晴らしき愛のために」がライブでは初披露され、TOKYO BAY-AREAの際のラストナンバーの「ROCKDOM -風に吹かれて-」と同様に、その時点では音源化されていない楽曲での終演となった。 2017年 31st Summer Best Hit Alfee 2017 「夏フェスタ」 横浜アリーナ(2017年7月29日・30日、約24,000人)メモリアル・グッズはLEDシリコンブレス(グリーン・オレンジ)。 イベント二日目では、1987年の日本平でのオールナイトコンサートより30周年であることが話題となり、「Sunset-Sunrise Kiss」が披露された。 2018年 45th Anniversary Summer Best Hit Alfee 2018 夏ノ巻 Château Of The Alfee 横浜アリーナ(2018年7月28日・29日、約22,000人)メモリアル・グッズはLEDシリコンブレス(レッド・ホワイト)。 ステージセットは巨大な欧風の城郭(シャトー)を模していた。 センター席中央には客席を跨ぐような移動式のステージが作られ、メンバー登場時はアリーナ後方から移動ステージに乗ってメインステージまで運ばれ、その後も移動ステージを使った演出がなされた。 2019年 45th Anniversary Summer Best Hit Alfee 2019 夏の乱 Battle Starship Alfee 幕張メッセ国際展示場1-3(2019年8月3日・4日、約22,000人)幕張メッセでの公演は今回が初となった。 メモリアル・グッズはLEDオクタブレス(ブルー・ピンク)。 ステージセットはこの年の6月に出したアルバム「Battle Starship Alfee」のイメージに合わせてか、移動ステージも含め宇宙船を思わせるSFチックな雰囲気となっている。 両日とも1曲目に「宇宙戦艦ヤマト」が演奏され、異例のカバー曲からの幕開けとなった。 2020年 THE ALFEE 46th Birthday 夏の夢 会場非公表(2020年8月24日・25日)8月24日…46th Birthday Eve 8月25日…46th Birthday 希望者のみに有料での記念チケットあり。 新型コロナウイルスの影響により、無観客ライブ配信となった。 2021年 Baby, Come Back! 横浜アリーナ(2021年7月31日・8月1日)⇒中止(無観客で収録の上配信)1年半ぶりの有観客公演として厳重な感染対策を施し開催される予定であったが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が7月12日から発令されることに伴い、7月9日に中止が発表された。公演は同会場にて無観客で収録し、10月9日・10日に有料配信された。 2022年 THE ALFEE 2022 Summer Genesis of New World 夏の天地創造 ぴあアリーナMM(2022年7月30日・31日予定)ぴあアリーナMMでの公演は今回が初となる。夏のイベントとしては3年ぶりの有観客で開催される予定。
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