海軍丁事件とは? わかりやすく解説

トラック島空襲

(海軍丁事件 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/10 14:16 UTC 版)

トラック島空襲(トラックとうくうしゅう)は、太平洋戦争中の1944年2月17日-18日にかけて[7]、アメリカ軍機動部隊が実施した日本軍の拠点トラック島への攻撃である[8][9]。 アメリカ軍の作戦名はヘイルストーン作戦(Operation Hailstone)で、エニウェトク環礁攻略を目的としたキャッチポール作戦(Operation Catchpole)の支作戦であった。 日本海軍はトラック泊地を絶対国防圏の拠点として重視していたが[10]、空襲で大打撃を受けることになった。一連の空襲の被害を海軍丁事件(かいぐんていじけん)と呼称する[5]。 2月17日から18日のトラック島空襲と[11]、同月23日のマリアナ諸島空襲により日本軍は多数の艦船と航空機を失い[12][13]大本営をはじめ各方面に大きな衝撃を与えた[14][15]。トラック島は無力化されたが、アメリカ軍は攻略にかかる手間を避けて進攻を行ったため、敵中で孤立したまま終戦まで日本軍の拠点として残った。


注釈

  1. ^ 『戦史叢書6巻、中部太平洋方面陸軍作戦<1>』168頁の航空兵力表では、トラック泊地所在の航空機は戦闘機69、夜間戦闘機9、艦攻33、艦爆2、陸攻10、水上戦闘機9、水上偵察機21、水上観測機13、飛行艇2、計168機[2]
  2. ^ 新鋭大型空母大鳳の竣工は同年3月、雲龍型航空母艦3隻(雲龍天城葛城)も未就役。
  3. ^ 日本海軍の軽空母と改造空母のうち機動部隊として作戦行動可能なのは、瑞鳳龍鳳千歳千代田隼鷹〈潜水艦の雷撃により損傷して修理中〉、飛鷹〈潜水艦の雷撃により損傷して修理中〉、航空戦艦日向、航空戦艦伊勢
  4. ^ 聯合艦隊命令作第64号。
  5. ^ 1944年初頭時点の瑞鳳は、第一航空戦隊所属。新鋭空母大鳳の竣工にともない、瑞鳳は三航戦へ編入予定であった。
  6. ^ 敷島部隊は、第二戦隊(長門、扶桑)、第七戦隊(熊野、鈴谷、利根)、第十戦隊(秋月、谷風、浦風、浜風、磯風)[65]
  7. ^ 日本本土で練成中で、内地から直接リンガ泊地にむかう母艦航空部隊(翔鶴、瑞鶴、筑摩、第十戦隊)を「櫻部隊」と呼称した。
  8. ^ 第17駆逐隊(浦風、谷風、浜風、磯風)は敷島部隊をパラオに送り届けたあと、トラック泊地に戻っていた[82]
  9. ^ 10日にトラックを出発した内地回航部隊は、軍艦4隻(武蔵、瑞鳳、千代田、大淀)、駆逐艦(若葉、初春、白露、満潮、玉波)。
  10. ^ 2月10日の機密命令作第68号「第一基地航空部隊指揮官(第一航空艦隊司令長官)ハ内南洋方面派遣兵力ヲシテ邀撃作戦ニ関シ内南洋方面部隊指揮官ノ区処ヲ受ケムベシ」[91]
  11. ^ 海鷹は駆逐艦に護衛され、1月31日にシンガポールを出発していた[102]
  12. ^ 歩兵第150聯隊長林田敬蔵大佐と軍旗は藤波に乗艦、2月6日に館山泊地を出発した。
  13. ^ 輸送船5隻の内訳は、暁天丸、辰羽丸、隆興丸、瑞海丸、新京丸。
  14. ^ 吉田によれば未帰還機の発生と通信は補給部隊と会合した第58任務部隊の哨戒中の戦闘機によるもの。
  15. ^ 21日までは攻撃は無いと推定された。
  16. ^ 『世界海戦史概説第四巻』内の「太平洋方面の海戦」のこと。幹部学校の依頼により竹下が執筆した。
  17. ^ 阿賀野は前年11月中旬のラバウル空襲潜水艦の雷撃で大破[130]、トラック泊地に帰投後、工作艦明石の支援を受けて修理を行っていた[131]
  18. ^ 橋本以行は低気圧があって哨戒機が半分しか飛ばずに戻ってきた旨を語っている。
    「第2部 敗勢に苦闘する潜水艦」『伊58潜帰投せり』 学研M文庫版、2001年、P192-193
  19. ^ 第四根拠地隊の長安丸(330トン、西日本汽船)もしくは長江丸(2,629トン、東亜海運)と推定[131]
  20. ^ スプルーアンス(旗艦「ニュージャージー」)直率部隊の編成は、戦艦(ニュージャージーアイオワ)、重巡洋艦(ミネアポリスニューオーリンズ)、駆逐艦(ブラッドフォード、イザード、チャーレッティ、バーンズ)[162]
  21. ^ 2月17日11時01分、聯合艦隊電令作第947号「第一基地航空部隊指揮官ハ陸攻及艦攻全力ヲ「トラック」ニ派遣、内南洋部隊指揮官ノ指揮ヲ受ケシムベシ」[116]
  22. ^ 2月17日1622、聯合艦隊電令作第948号「一 一一航艦、二航戦移動可能兵力全力ヲ内南洋部隊ニ編入、速カニ進出セヨ/二 一三航艦中七〇五空、三三一空ヲ内南洋部隊ニ編入、速カニ進出セヨ/三 六一航戦ハ速ニ「マリアナ」諸島ニ進出セヨ/四 内南洋部隊指揮官ハ内南洋所在ノ陸上機全部ヲ第五基地航空部隊指揮官ヲシテ統一指揮セシムベシ[116]
  23. ^ 明石は駆逐艦藤波、秋風と標的艦波勝および駆潜艇1隻に護衛されて19日朝にパラオへ向け退避している[215]
  24. ^ 同艦は多くの資料で1943年3月6日にカビエン南方で矢風と衝突して沈没したとされるが、実際には前部煙突より前方を切断し大破しながらも曳船により曳航されトラックに入港し、修理されて停泊していたとされる。
  25. ^ 2月18日、零戦24機と艦爆14機[234]。19日、艦攻6機と艦爆14機。2月20日、陸攻4機、彗星3機および零戦37機。2月21日-28日、陸攻5機、艦攻2機、零戦14機および彗星1機。
  26. ^ 編制上、二十五航戦は南東方面艦隊に所属するが、実際は二十二航戦司令官の指揮下で内南洋方面作戦に従事した。
  27. ^ 当時造成されたばかりの新設飛行場で駐機スペースに余裕は無かった。
  28. ^ 天山はスマトラ島より海鷹で移送され11日に到着したばかりで完全には展開していなかった。
  29. ^ 全体の数は下記を参照した。数的整合性はとらず原文のまま
    トーマス・B・ブュエル『提督スプルーアンス』 学研、2000年、P358
    #佐藤 P122
  30. ^ 吉田によれば駆逐艦6隻
  31. ^ 吉田によれば重巡は軽巡、駆逐艦は5隻
  32. ^ 第2発電機室に爆弾1発が命中して下甲板まで貫通したが、不発であったため被害は軽微。これが同艦では最大の被害であった[292]
  33. ^ 17日、敵機撃墜×1被害なし深夜パラオに向かう途中座礁。18日、艦長重症、副長、砲術長以下9名が戦死し総員退去。19日、潮が満ちて自然離礁し漂流[293]

出典

  1. ^ a b 写真太平洋戦争6巻 1995, p. 196.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 戦史叢書06 1967, p. 253.
  3. ^ a b 戦史叢書12 1968, pp. 152a-154トラック被空襲に伴う緊急強化
  4. ^ a b c d e 戦史叢書12 1968, p. 65.
  5. ^ a b c 戦史叢書71 1974, p. 246トラックの損害
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m 戦史叢書12 1968, p. 66.
  7. ^ 戦史叢書06 1967, pp. 254a-256米機動部隊のトラック大空襲
  8. ^ 撃沈戦記 2013, pp. 255–257米第58機動部隊、トラックを空襲
  9. ^ a b c 戦史叢書12 1968, pp. 55–57.
  10. ^ a b c 戦史叢書12 1968, pp. 8–9絶対国防圏の設定
  11. ^ 海上護衛戦 2014, pp. 199–201.
  12. ^ #S1812第十戦隊日誌(3)p.3『一、経過(中略)(ロ)中旬敵ノ有力ナル機動部隊「トラック」ニ來襲二日ニ亘リ陸上軍事諸施設並ニ所在艦艇ニ對シ徹底的雷爆撃ヲ加ヘ尚一部戰艦部隊ハ礁外ノ友軍艦艇ト戰闘ヲ交ヘ我ニ相當ノ損害ヲ與ヘタリ』
  13. ^ a b 海軍護衛艦物語 2018, pp. 234–235トラック被爆―船舶一挙大量損耗
  14. ^ 大本営海軍部 1982, pp. 149–150トラック空襲
  15. ^ a b 戦史叢書12 1968, pp. 67–71大本営並びに聯合艦隊の作戦指導
  16. ^ 写真太平洋戦争6巻 1995, pp. 185–186マーシャル諸島の失陥
  17. ^ 写真太平洋戦争6巻 1995, p. 186.
  18. ^ 写真太平洋戦争6巻 1995, p. 188.
  19. ^ ニミッツ、ポッター P.244
  20. ^ a b c d e f 米側編成および行動要領、日本側哨戒態勢については#吉田
  21. ^ 下士官たちの太平洋戦争 1986, p. 89.
  22. ^ 戦史叢書71 1974, pp. 1–2絶対国防圏の設定
  23. ^ 戦史叢書12 1968, p. 26a聯合艦隊のトラック引き揚げと待機泊地
  24. ^ a b 戦史叢書71 1974, pp. 172–173.
  25. ^ a b c 戦史叢書71 1974, pp. 224–226.
  26. ^ a b 戦史叢書12 1968, p. 26b.
  27. ^ 戦史叢書71 1974, p. 212a聯合艦隊に対する連絡
  28. ^ 戦史叢書71 1974, p. 226aトラック引き揚げを決意す
  29. ^ a b 下士官たちの太平洋戦争 1986, p. 93.
  30. ^ a b 戦史叢書71 1974, p. 226b.
  31. ^ a b 戦史叢書71 1974, pp. 226c-227トラック部隊の行動
  32. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 27–28聯合艦隊戦時編制区分(19.1.1)
  33. ^ 日本軽巡戦史 1989, p. 509.
  34. ^ 戦史叢書71 1974, pp. 107–108聯合艦隊の南東防衛指導方針
  35. ^ 戦史叢書71 1974, pp. 170–171聯合艦隊の作戦指導(18年12月下旬~19年1月中旬)
  36. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 29–31聯合艦隊兵力部署(19.2.15)
  37. ^ 戦史叢書71 1974, pp. 56–58.
  38. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 32–33第四艦隊戦時編制(19.1.1)及び同改定
  39. ^ 戦史叢書12 1968, p. 34内南洋部隊兵力部署
  40. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 39–41潜水部隊の状況
  41. ^ a b c 日本軽巡戦史 1989, p. 510.
  42. ^ a b c d e f 戦史叢書06 1967, p. 252.
  43. ^ 戦史叢書71 1974, pp. 192–193二航戦の南東投入について
  44. ^ a b 戦史叢書71 1974, pp. 191–192要約、問題点等
  45. ^ 戦史叢書71 1974, p. 108「ろ」号作戦
  46. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 2–3.
  47. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 16–17.
  48. ^ 写真太平洋戦争6巻 1995, p. 187.
  49. ^ ラバウル海軍航空隊 2001, pp. 398–405.
  50. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 10–12「ろ」号作戦発令以後の作戦経過概要
  51. ^ 戦史叢書71 1974, pp. 193–194Z作戦について
  52. ^ 戦史叢書71 1974, pp. 158–159.
  53. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 24–25中部太平洋作戦と南東方面作戦との調節
  54. ^ 戦史叢書12 1968, p. 25a中部太平洋への陸軍兵力増強と輸送方針の変更
  55. ^ 日本軽巡戦史 1989, p. 439.
  56. ^ #S1812第十戦隊日誌(2)pp.38-39(昭和19年1月16日項)
  57. ^ 戦史叢書06 1967, pp. 245–246独立混成第五聯隊第二次輸送部隊のポナペ島進出
  58. ^ 日本軽巡戦史 1989, p. 462.
  59. ^ a b c 日本軽巡戦史 1989, p. 463.
  60. ^ 戦史叢書06 1967, p. 246.
  61. ^ 戦史叢書06 1967, p. 246a.
  62. ^ 日本軽巡戦史 1989, p. 249.
  63. ^ 大内健二「トラック島輸送船団消える」『悲劇の輸送船』光人社〈光人社NF文庫〉、87-96頁。
  64. ^ a b c d e f g 戦史叢書71 1974, pp. 254–255.
  65. ^ 磯風、特年兵 2011, p. 161.
  66. ^ a b c d e 戦史叢書71 1974, p. 227a.
  67. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 19–24ケゼリン失陥に伴う大本営並びに聯合艦隊の作戦指導
  68. ^ 戦史叢書71 1974, pp. 202–203マーシャル失陥の概況
  69. ^ 戦史叢書71 1974, pp. 207–212マーシャル来攻に対する緊急措置・海軍部の決定
  70. ^ a b 戦史叢書71 1974, p. 211.
  71. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 31a-32聯合艦隊主力(水上部隊)の概況
  72. ^ #S1812第十戦隊日誌(3)p.4『(二)我軍ノ情況(イ)當隊(秋月 17dg)敷島部隊ニ編入 2S 7S(筑摩欠)ヲ護衛シ「トラック」発、四日「パラオ」着 十六日「パラオ」発 二十一日「リンガ」着 櫻部隊ト合同爾後「リンガ」方面ニアリテ南西方面作戰協力並ニ訓練ニ從事ス』
  73. ^ a b c 空母II、写真日本の軍艦4巻、106頁「航空母艦行動年表 ◇瑞鳳◇」
  74. ^ 空母II、写真日本の軍艦4巻、107頁「航空母艦行動年表 ◇千代田◇」
  75. ^ 戦史叢書06 1967, pp. 251a-254米機動部隊のトラック空襲・空襲前の状況
  76. ^ 日本空母戦史 1977, pp. 579a-581トラック島、潰滅(昭和十九年二月十七日)
  77. ^ 戦史叢書71 1974, pp. 243–245トラック被襲前の情勢判断・敵の次期作戦企図
  78. ^ 戦史叢書06 1967, pp. 246b-249今後の作戦指導に関する聯合艦隊の意見
  79. ^ 戦史叢書12 1968, p. 3.
  80. ^ 大本営海軍部 1982, pp. 148a-149連合艦隊、太平洋を去る
  81. ^ a b 戦史叢書71 1974, p. 212b.
  82. ^ a b c d #S1812第十戦隊日誌(3)、p.9〔(四)麾下艦船部隊ノ行動〕(昭和19年2月、第十戦隊)
  83. ^ #S1812第十戦隊日誌(3)p.5『(ハ)17dg五日「パラオ」発 八日「トラック」着 十日附遊撃部隊ニ編入 4S(愛宕鳥海)5Sヲ護衛 十日「トラック」発十三日「パラオ」進出敷島部隊ニ復皈ス』/同戦時日誌p.15(日時、宛略)「YB機密第一〇一〇〇〇番電 第四戰隊(愛宕 鳥海)第五戰隊 第十七駆逐隊ヲ率ヒ「パラオ」ニ向ケ「トラック」発 」
  84. ^ a b 戦史叢書12 1968, p. 31b.
  85. ^ a b 戦史叢書12 1968, pp. 57a-61来襲前における友軍の状況
  86. ^ 戦史叢書12 1968, p. 57b.
  87. ^ 大本営海軍部 1982, p. 148b.
  88. ^ 日本軽巡戦史 1989, p. 449.
  89. ^ 聯合艦隊作戦室 1997, p. 166.
  90. ^ 戦史叢書71 1974, pp. 227b-228聯合艦隊司令部の出京連絡
  91. ^ a b c d e f g h i j k 戦史叢書12 1968, p. 61.
  92. ^ a b 野分物語 2004, p. 117.
  93. ^ a b 海上護衛戦 2014, p. 159.
  94. ^ 海軍護衛艦物語 2018, pp. 216a-219"海上護衛総司令部"設立
  95. ^ #S1811海護総司令部(1)p.7「二、人員ノ現状」
  96. ^ 海軍護衛艦物語 2018, p. 216b.
  97. ^ 海軍護衛艦物語 2018, p. 217.
  98. ^ #S1811海護総司令部(1)p.16(作戰経過概要、昭和18年12月3日項)「千歳、第十六驅逐隊ヲ作戰ニ關シ當司令長官ノ指揮ヲ受ケシメラル」
  99. ^ #S1811海護総司令部(1)p.50(作戰経過概要、昭和19年2月7日)「千歳及第十六驅逐隊ニ對スル當司令長官ノ指揮ヲ解カル」
  100. ^ #S1812二水戦日誌(4)p.14「四日 藤波 横鎭長官ノ指揮ヲ離レ二海護司令官ノ指揮下ニ入ル」
  101. ^ a b 空母II、写真日本の軍艦4巻、109頁「航空母艦行動年表 ◇海鷹◇」
  102. ^ #S1811海護総司令部(1)p.38(作戰経過概要、昭和19年1月31日)「海鷹(電、響)〇八三〇「トラック」ニ向ケ昭南發/常磐、西貢丸一二三〇舞鶴發」
  103. ^ 日本空母戦史 1977, pp. 590–591海鷹の天山輸送(昭和十九年一月)
  104. ^ a b 野分物語 2004, p. 120.
  105. ^ 空と海の涯で 2012, p. 308.
  106. ^ 下士官たちの太平洋戦争 1986, p. 90.
  107. ^ 戦史叢書06 1967, p. 203第五十二師団のトラック島進出・第二梯団の輸送
  108. ^ a b 戦史叢書06 1967, pp. 256a-257第五十二師団主力の行動と第二梯団の遭難
  109. ^ a b c 野分物語 2004, p. 118.
  110. ^ 戦史叢書12 1968, p. 38.
  111. ^ 戦史叢書12 1968, p. 25b海軍航空兵力の増強
  112. ^ 戦史叢書71 1974, pp. 205–207マリアナ方面進出決定と聯合艦隊編入
  113. ^ a b 戦史叢書12 1968, p. 25c.
  114. ^ a b 聯合艦隊作戦室 1997, p. 275.
  115. ^ 戦史叢書71 1974, p. 245.
  116. ^ a b c d e f g h i j k l m 戦史叢書12 1968, p. 64.
  117. ^ a b c d e 戦史叢書06 1967, p. 256b.
  118. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 74a-75陸上兵力配備の検討と輸送力の強化
  119. ^ 空と海の涯で 2012, p. 325.
  120. ^ a b c 野分物語 2004, pp. 176–177.
  121. ^ a b 戦史叢書12 1968, pp. 74b-75.
  122. ^ 第二氷川丸 2005, p. 155.
  123. ^ 野分物語 2004, p. 130.
  124. ^ 野分物語 2004, pp. 131–132.
  125. ^ 「太平洋戦史研究部会報告第3回セッション トラック空襲(その1)」『太平洋学会誌』1987年4月P56
  126. ^ #S1812二水戦日誌(4)p.9「濱波(中略)十二日 佐多 日朗丸 神風丸ヲ護衛「トラツク」発(以下略)」
  127. ^ 空と海の涯で 2012, p. 311.
  128. ^ 日本空母戦史 1977, p. 591.
  129. ^ a b #S1812第十戦隊日誌(3)p.5『(ト)山雲、浅香丸ヲ護衛十五日「トラック」発「サイパン」ヲ経テ二十三日横須賀着』
  130. ^ 軽巡二十五隻 2014, pp. 214–215.
  131. ^ a b c 日本軽巡戦史 1989, p. 517.
  132. ^ 吉村(1987年)72頁、#S1812第十戦隊日誌(3)p.19(日時、宛略)「四根機密第一六一八一七番電 第四根信電令作第一六號 阿賀野雷撃二本基点ノ三五六度一七〇浬 追風 二十八號驅潜特務艇護衛中 那珂出撃|無電」
  133. ^ a b #S1812第十戦隊日誌(3)p.6『(リ)十六日 阿賀野「トラック」発佐世保囘航中一六四五北緯十度十分東経百五十一度四十分ニ於テ敵潜ノ雷撃ヲ受ケ二本命中十七日〇一四五沈没』
  134. ^ 軽巡二十五隻 2014, pp. 336–337阿賀野(あがの)
  135. ^ #S1812第十戦隊日誌(3)、p.18(日時、宛略)「追風邪機密第一六一六五〇番電 阿賀野雷撃二本命中航行不能 北緯十度十分東経百五十一度四十分 」
  136. ^ 軽巡二十五隻 2014, pp. 199–200▽新鋭高速艦の阿賀野もまた
  137. ^ 軽巡二十五隻 2014, pp. 215–218.
  138. ^ #S1812第十戦隊日誌(3)、p.19(日時、宛略)「UNB機密第一六一八四二番電 UNB信電令第三七號」
  139. ^ 軽巡二十五隻 2014, p. 142.
  140. ^ a b c 戦史叢書12 1968, p. 62.
  141. ^ 戦史叢書06 1967, p. 254b.
  142. ^ #柳田 P46-49
  143. ^ a b c d e 写真太平洋戦争6巻 1995, p. 197.
  144. ^ 第二氷川丸 2005, pp. 144–145.
  145. ^ a b 戦史叢書12 1968, p. 63.
  146. ^ a b 柳田邦男『零戦燃ゆ 熱闘篇』文藝春秋p339-351
  147. ^ 軽巡二十五隻 2014, p. 143.
  148. ^ 軽巡二十五隻 2014, pp. 197–198▽大目標となった那珂
  149. ^ 日本軽巡戦史 1989, pp. 518–519那珂、沈没(二月十七日)
  150. ^ 軽巡二十五隻 2014, pp. 146–147死闘九時間の果てに
  151. ^ 吉村(1987年)、73頁。
  152. ^ 吉村(1987年)、74-75頁。
  153. ^ 軽巡二十五隻 2014, p. 219.
  154. ^ 駆逐艦戦隊 1994, p. 217.
  155. ^ a b c 第二氷川丸 2005, pp. 150–151.
  156. ^ 第二氷川丸 2005, p. 148.
  157. ^ a b 佐藤、艦長たち 1993, p. 366.
  158. ^ a b 飢餓の島 1993(メレヨン守備隊年表)
  159. ^ 日本軽巡戦史 1989, pp. 512b-513愛国丸
  160. ^ 日本軽巡戦史 1989, p. 513a.
  161. ^ 第二氷川丸 2005, pp. 146–147.
  162. ^ a b c d 撃沈戦記 2013, p. 135.
  163. ^ a b 撃沈戦記 2013, p. 134.
  164. ^ a b 撃沈戦記 2013, pp. 133–136第四二一五船団の脱出
  165. ^ #S1811海護総司令部(1)p.52(作戰経過概要、昭和19年2月15日)「香取ヲ當總司令部部隊ニ編入セラル」
  166. ^ 戦史叢書12 1968, p. 43.
  167. ^ 撃沈戦記 2013, pp. 131–133米機動部隊トラックに来襲
  168. ^ 日本軽巡戦史 1989, p. 464.
  169. ^ #S1811海護総司令部(1)p.53(作戰経過概要、昭和19年2月17日)「敵機動部隊「トラツク」ニ來襲(B六-八、A八、O一三、D一五)|香取 第四驅逐隊(嵐、舞風)及赤城丸ヲ率ヰ「トラツク」出撃直後同北口附近ニ於テ敵飛行機約二〇〇機ノ來襲ヲ受ケ大火災ヲ生ジ遂ニ沈没」(註、駆逐艦は前年8月沈没、野分の誤記)
  170. ^ 日本軽巡戦史 1989, pp. 513b-516香取、米戦艦との悲壮な戦い
  171. ^ 野分物語 2004, p. 152.
  172. ^ イアン・トール『太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで 下』241頁
  173. ^ 野分物語 2004, p. 153.
  174. ^ 野分物語 2004, p. 156.
  175. ^ 撃沈戦記 2013, pp. 136–137「香取」の最期
  176. ^ 野分物語 2004, p. 157.
  177. ^ a b c 撃沈戦記 2013, p. 137.
  178. ^ a b 野分物語 2004, pp. 158–159.
  179. ^ 軽巡二十五隻 2014, pp. 202–203▽寸前まで抵抗した香取の武勇
  180. ^ #三菱、20話29頁『トラック島の北で撃沈される』
  181. ^ 野分物語 2004, p. 160.
  182. ^ 野分物語 2004, p. 161.
  183. ^ 野分物語 2004, pp. 162–170.
  184. ^ a b 野分物語 2004, p. 172.
  185. ^ #S1812第十戦隊日誌(3)、p.6『(ヌ)4dg(舞風野分)赤城丸護衛17日「トラック」発内地回航中「トラック」礁外ニ於テ敵機並ニ敵戰艦部隊ト交戰 舞風沈没野分避退、野分ハ「サイパン」ニ於テ浅香丸船団ニ合同爾後横須賀迄之ガ護衛ニ任ズ』
  186. ^ イアン・トール『太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで 下』242頁
  187. ^ 駆逐艦戦隊 1994, pp. 204–206.
  188. ^ 佐藤、艦長たち 1993, pp. 235–236.
  189. ^ 吉村(1987年)、146-147頁。
  190. ^ a b c d e f 戦史叢書06 1967, p. 257.
  191. ^ 吉村(1987年)、143-145頁。
  192. ^ 戦史叢書12 1968, p. 37.
  193. ^ a b c 戦史叢書06 1967, p. 255.
  194. ^ a b c 戦史叢書71 1974, p. 247.
  195. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 75–77米機動部隊のマリアナ来襲・来襲前のわが軍の状況
  196. ^ 日本空母戦史 1977, p. 580.
  197. ^ a b c d 写真太平洋戦争6巻 1995, p. 198.
  198. ^ エドワード P.92
  199. ^ エドワード P.88、P.95
  200. ^ 加藤茂「悲しきゼロ戦隊」『私はラバウルの撃墜王だった』光人社NF文庫300頁
  201. ^ 写真太平洋戦争6巻 1995, p. 232.
  202. ^ #吉田
  203. ^ a b 重本ほか、陽炎型 2014, pp. 264–265追風(おいて)
  204. ^ 写真太平洋戦争6巻 1995, p. 234.
  205. ^ 吉村(1987年)、146頁。
  206. ^ 吉村(1987年)、106頁。
  207. ^ 吉村(1987年)、147-148頁。
  208. ^ #S1812二水戦日誌(4)pp.8-9『(3)早波 横須賀ニ於テ修理整備中 五日出渠/十五日高雄ト共ニ横須賀発/二十日「パラオ」着/二十三日秋津洲護衛ノ爲「「パラオ」発翌二十四日合同/二十五日「パラオ」着仝日敵KdB來襲ノ報告ニ依リYB出撃ノ爲水道外掃蕩セルモ命ニ依リ歸投爾後「パラオ」ニ在リテ待機』
  209. ^ #S1812二水戦日誌(4)p.37『二五日一一三七秋津洲(宛略)秋津洲機密第二五一一三七番電 秋津洲、早波(二四日〇六二〇合同)「パラオ」着』
  210. ^ 第二氷川丸 2005, pp. 153–154トラック島撤収、帰国
  211. ^ #柳田 P63-64 出典はサミュエル・E・モリソン
  212. ^ 平櫛孝「報道部のスタッフ」「大本営発表さまがわり」『大本営報道部 言論統制と戦意高揚の実際』P46,P185-186 光人社NF文庫 2006年(初出、1980年)
  213. ^ イアン・トール『太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで 下』246頁
  214. ^ 写真太平洋戦争6巻 1995, p. 233.
  215. ^ 吉村(1987年)、150-152頁。
  216. ^ 第二氷川丸 2005, pp. 152–153.
  217. ^ a b c 『歴史群像 太平洋戦史シリーズ(28) 日VS米 徹底分析陸海軍基地』P20-21 学研 2000年10月
  218. ^ ラバウル海軍航空隊 2001, p. 412.
  219. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 84–86陸軍兵力配備の検討
  220. ^ 海上護衛戦 2014, pp. 217–218.
  221. ^ 戦史叢書12 1968, p. 100b-103中部太平洋派遣兵団等の検討
  222. ^ 海上護衛戦 2014, pp. 218–222.
  223. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 89–91中部太平洋方面
  224. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 129–131中部太平洋方面防衛の緊急強化
  225. ^ 戦史叢書12 1968, p. 110.
  226. ^ 戦史叢書12 1968, p. 88聯合艦隊の待機場所
  227. ^ 海上護衛戦 2014, pp. 222–224.
  228. ^ 日本空母戦史 1977, p. 584.
  229. ^ 大本営海軍部 1982, pp. 178–181.
  230. ^ 写真太平洋戦争6巻 1995, pp. 200–201古賀GF長官殉職
  231. ^ 大本営海軍部 1982, pp. 158–161古賀長官の事故死で全作戦に乱れ
  232. ^ 連合艦隊参謀長 1979, pp. 199–200飛行機の増援を懇請
  233. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 91–92南東方面
  234. ^ a b c 戦史叢書06 1967, p. 281.
  235. ^ 連合艦隊参謀長 1979, pp. 200–201味方からも遂に見捨てらる
  236. ^ 戦史叢書12 1968, p. 72a南東方面に対する処置
  237. ^ 撃沈戦記 2013, pp. 257–259ラバウルより引き揚げ
  238. ^ 連合艦隊参謀長 1979, pp. 203–204陸軍と協力籠城始まる
  239. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 83–85海軍航空部隊の配備方針
  240. ^ ラバウル海軍航空隊 2001, p. 542付録(昭和19年2月20日)
  241. ^ ラバウル海軍航空隊 2001, p. 413.
  242. ^ 淵田美津雄奥宮正武「第二部 第2章 航空戦力続かず」『機動部隊』 学研M文庫版、2007年、P218
  243. ^ 撃沈戦記 2013, pp. 259–262整備員らの避退
  244. ^ 撃沈戦記 2013, pp. 262–263米第232駆逐隊
  245. ^ 撃沈戦記 2013, pp. 263–264あわれ「長浦」
  246. ^ a b 外山三郎「第九章 マリアナ沖海戦」『図説 太平洋海戦史3』P99-100 光人社 1995年
  247. ^ 撃沈戦記 2013, pp. 132–133.
  248. ^ 戦史叢書12 1968, p. 100a米海上兵力(空母)に対する判断
  249. ^ 戦史叢書12 1968, p. 68.
  250. ^ 谷光太郎「第11章 マリアナ攻略」『アーネスト・キング』白桃書房、P330-333
  251. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 77–80作戦経過
  252. ^ 海上護衛戦 2014, p. 216.
  253. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 80–81挿表第一、マリアナ被空襲による航空部隊の被害状況
  254. ^ 野分物語 2004, p. 175「T事件」調査結果
  255. ^ #戦史叢書、野分物語P175
  256. ^ 戦史叢書71 1974, p. 252a調査の目的
  257. ^ 戦史叢書71 1974, p. 252b-253調査要領
  258. ^ 戦史叢書71 1974, pp. 253–254実施の経過と結果
  259. ^ #柳田 P63-64
  260. ^ 吉村(1987年)、162頁。
  261. ^ 戦史叢書06 1967, pp. 271a-272トラック空襲に伴う大本営の情勢検討
  262. ^ 戦史叢書71 1974, p. 251陸軍省首脳と両統帥部との思想
  263. ^ a b 戦史叢書06 1967, p. 271b.
  264. ^ 戦史叢書06 1967, pp. 272–275マリアナ、カロリンの防衛検討
  265. ^ 戦史叢書71 1974, p. 250.
  266. ^ a b 戦史叢書06 1967, p. 274.
  267. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 73–74トラック島防衛に関する検討
  268. ^ a b c 戦史叢書06 1967, p. 275.
  269. ^ 戦史叢書12 1968, pp. 72b-73マリアナ放棄論
  270. ^ a b c 海上護衛戦 2014, p. 201.
  271. ^ a b 海上護衛戦 2014, p. 203.
  272. ^ 戦史叢書06 1967, p. 276.
  273. ^ 変わりダネ軍艦 2017, pp. 73–74.
  274. ^ 変わりダネ軍艦 2017, pp. 65–66.
  275. ^ 吉村(1987年)、234頁。
  276. ^ 吉村(1987年)、92-94頁。
  277. ^ 「海底の遺骨"観光資源"」『朝日新聞』1983年3月17日
  278. ^ 吉村(1987年)、45-47頁。
  279. ^ 「日本兵遺骨が見世物に トラック環礁」『産經新聞』 2007/09/15 22:07配信
  280. ^ “トラック諸島の旧海軍沈没船、油流出防止を支援”. 『読売新聞』夕刊. (2017年7月22日). http://www.yomiuri.co.jp/eco/20170722-OYT1T50068.html 
  281. ^ 米軍機3機、西太平洋で76年ぶりに発見 旧日本軍との戦闘で墜落”. 2020-02-24CNN (2020年2月24日). 2020年2月26日閲覧。
  282. ^ 写真太平洋戦争6巻 1995, p. 195.
  283. ^ 日本軽巡戦史 1989, p. 511.
  284. ^ 重本ほか、陽炎型 2014, pp. 313–314舞風(まいかぜ)
  285. ^ 野分物語 2004, p. 180.
  286. ^ 重本ほか、陽炎型 2014, pp. 259–260太刀風(たちかぜ)
  287. ^ 重本ほか、陽炎型 2014, p. 271文月(ふみづき)
  288. ^ 日本軽巡戦史 1989, p. 512a清澄丸
  289. ^ 駆逐艦戦隊 1994, p. 212.
  290. ^ 重本ほか、陽炎型 2014, p. 292時雨(しぐれ)
  291. ^ 野分物語 2004, pp. 173–174.
  292. ^ 吉村(1987年)、152頁。
  293. ^ 『特務艦「宗谷」の昭和史(2011年改訂)』181-185頁。



海軍丁事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 18:57 UTC 版)

トラック島空襲」の記事における「海軍丁事件」の解説

日本側はトラック島におけるこの失態を、2月16日-17日警戒緩めさせた指揮官判断ミスとした。これを海軍丁事件として処理している。資料によっては海軍事件表記するものもある。トラック島Truk Island )の頭文字Tをとったものである大本営海軍部(軍令部)は各種利害検討した結果連合艦隊賛否かかわらず中央から調査員派遣することにした。調査団長大仙太郎少将当時海軍水雷学校長)、調査員直井俊夫大佐海軍大学校教官)、調査員池上二男大佐航空本部部員から成る調査団編成される調査団3月トラック泊地調査実施したが、すでに第四艦隊司令長官原忠一中将、四艦隊参謀長有馬馨少将交代していた。「大局的に見て、この少な兵力をもってあの攻撃対処するには、誰が作戦指導をしても大同小異結果であったろう」との結論出している。戦後回想では「飛行機指揮系統若干不備の点あり。トラック空襲はやむを得なかった。トラックサイパン至急防備充実の要ある」であった日本側では調査団結果待たず一定の処分実施された。まず、現地指揮官である第四艦隊司令長官小林仁中将2月19日原忠一中将交代し31日には予備役編入された。トラック管理する第4根拠地隊司令官若林作中将も、同日付で有馬馨少将交代した。ただし、小林中将は持病によりすでに転勤予定されており、更迭空襲無関係という意見もある。最終的に3月4日第四艦隊第十四航空艦隊をもって中部太平洋方面艦隊司令長官南雲忠一海軍中将)が新編され、日本陸軍第三十一軍をも麾下において中部太平洋方面全般作戦指導を行うことになった。また第一航空艦隊マリアナに、第二十二航空戦隊と第二十五航空戦隊をトラック方面に、第二十六航空戦隊をペリュリューに配備し3月4日二十二航戦と二十六航戦で第十四航空艦隊司令長官南雲忠一海軍中将中部太平洋方面艦隊司令長官兼務)が新編された。 トラック島空襲(海軍丁事件)が大本営与えた衝撃甚大であった大本営海軍部(軍令部)は空襲報告受けて大本営陸軍部参謀本部)に「第一航空艦隊直ちマリアナ配備する南東南西方面航空機大部分を東(トラック)に転用する海軍ウェーク南鳥島マリアナ固めるので、陸軍マリアナ南鳥島小笠原戦備優先してほしい。また第十四軍フィリピン)と第二方面軍(豪北)の戦備急いでもらいたい」と連絡した2月20日トラック空襲体験した陸海軍両統帥部次長東京に戻る。大本営陸海軍部は絶対国防圏強化について検討をおこなうが、ここでトラック泊地前衛拠点として見るか(マリアナ強化優先陸軍主張)、絶対国防圏一部として従来どおり戦力増強するか(トラック防備優先海軍主張)、陸海軍主張対立した陸軍側は「海軍トラック方面防備増強優先したいというが、マリアナ方面防備が遅れ、敵に突破される恐れはないか」として、マリアナ諸島パラオ諸島強化主張する海軍側は「マリアナカロリンの線さえ確保していれば、それ以西敵機部隊行動許さぬつもりだ。海軍としてはマリアナトラックでやれば勝ち目があるが、後に下がれば勝ち目はない。もしトラック失えば戦局フィリピンに移る。トラック敵機部隊潜水艦基地になれば、日本側の損害三倍になる。またトラック日本側が保持していれば、メジュロクェゼリン対す奇襲も可能である」として、ひきつづきトラック泊地確保強調した結局トラック地区マリアナ地区も「是非とも確保する必要がある」との結論至った陸軍省側では、トラックどころかマリアナ強化怪しいと判断し陸軍だけでも本防衛強化はじめようという機運生まれたマリアナ放棄論)。さらに陸軍軍務局長佐藤賢了少将のように、マリアナ・カロリンを放棄してフィリピン最終決戦行おうという意見出たまた、海軍丁事件は軍と政治中枢にまで大きな影響与えた2月19日内閣改造一部として運輸通信大臣船舶担当)は八田嘉明から五島慶太交代した2月21日参謀総長杉山元軍令部総長永野修身が共に更迭される。陸軍大臣兼務していた内閣総理大臣東条英機海軍大臣嶋田繁太郎それぞれ兼務するものとされた。これにより、統帥権独立観点から分離されていた軍令系統参謀総長軍令部長)と軍政系統陸軍大臣海軍大臣)が、慣例破って兼務される異例の状態が生じた首相兼ねていた東條英機権力がさらに集中したため、「東條幕府」揶揄された。

※この「海軍丁事件」の解説は、「トラック島空襲」の解説の一部です。
「海軍丁事件」を含む「トラック島空襲」の記事については、「トラック島空襲」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「海軍丁事件」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「海軍丁事件」の関連用語

海軍丁事件のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



海軍丁事件のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのトラック島空襲 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのトラック島空襲 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS