海軍パイロット第一号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/24 17:13 UTC 版)
「セオドア・G・エリソン」の記事における「海軍パイロット第一号」の解説
1910年12月、エリソンはサンディエゴのノースアイランドにいたヘリング・カーチス社長グレン・カーチスの下に派遣される。パイロット養成学校で学ぶ傍ら、1911年1月27日または28日には、学校で行われた飛行家クラブのショーにて「カーチス・グラスカッター」機を使い、海軍パイロットとしての初飛行を記録した。しかし、その実態はエリソンの技量が未だ充分でなかったため「飛ぶ」というより「浮く」といったものであり、「グラスカッター」機も若干の「飛行」のあと風で左に流されて地に落ちた。幸いにもエリソンはケガもなく無事だった。このような内容だったが、これがエリソンの初飛行として記録された。このあと、エリソンはカーチスとともに水上飛行機のフロートの改修を行い、2月には水上飛行機の初めての「乗客」としてカーチスとともに飛行した。2月の末には、「ペンシルベニア」からの水上飛行機の運用実験にも参加したが、ノースアイランドに向かう途中で着水した。 その後、エリソンは1913年4月29日まで航空部門の教官を務め、また航空に関する実験研究に多くの時間を割いた。その中には、1911年9月のアナポリス内への航空科の創設や、ジョン・ヘンリー・タワーズ中尉(アナポリス1906年組)とともに行った、アナポリスからバージニア州ミルフォード・ヘヴン(英語版)への水上飛行機による当時の最長距離無着陸記録樹立の飛行が含まれた。
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