「東條幕府」
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1944年(昭和19年)、統帥権の独立によって作戦に容喙(ようかい:口を挟むこと)することができなかった東條英機首相兼陸相が国務・統帥の一元化を図って参謀総長を兼任した。また、嶋田繁太郎海相も軍令部総長を兼任した。このとき、参謀総長の杉山元と軍令部総長の永野修身が「統帥権独立」を盾に抵抗するなど憲法違反の疑いがあったが、東條は押し切った。このため、権力の集中した東條に対して「東條幕府」という陰口がきかれるようになる。
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