「東方問題」成立の契機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 09:20 UTC 版)
「東方問題」の成立時期をいつと定義するかは、文献によって異なる。「東方問題」の形成過程には3つの主要な契機があり、このいずれかを起点とする文献が多い: 1699年 カルロヴィッツ条約により、オスマン帝国がヨーロッパ諸国と条約を結ぶ。これ以降オスマン帝国は縮小・解体の時期を迎える。 1736年 露土戦争により、ヨーロッパの勢力均衡を維持するために、紛争の当事者以外が「東方」の問題に介入するという「東方問題」特有の形式が出現する。 1774年 キュチュク・カイナルジ条約により、ロシアがオスマン帝国内の正教徒の保護権を得る。ロシアがオスマン帝国に内政干渉して両国の紛争につながり、列強がそれに介入するという「東方問題」固有の構造が明確となる(同様に、条約締結の要因となった1768年露土戦争の開戦も「東方問題」も契機と捉えられる)。
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