「東方問題」のバイオリズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 09:20 UTC 版)
「東方問題」の記事における「「東方問題」のバイオリズム」の解説
「東方問題」の中でも、ギリシャ独立戦争(1821~29年)が全ヨーロッパ規模での世論の喚起を促したこと、および、クリミア戦争(1853~56年)がヨーロッパ各国の政治に大きな影響を与えたことは、事実である。ただし「東方問題」がこの時期のヨーロッパ外交においてどこまで中心的な役割を果たしていたかについては一概に決めることができる問題ではない。特に、「東方問題」が比較的安定していた時期には、「東方問題」以外の問題がヨーロッパ外交の中心に語られることが多い。ここでは参考として、「東方問題」が比較的安定し、重要性が相対的に低下していたと思われる時期を挙げる: 「東方問題」の重要性が相対的に低下する時期 1807年~1815年 ナポレオンの時代 1840年~1853年 1848年の諸革命前後のヨーロッパ政治の動揺期 1856年~1871年 クリミア戦争後の安定期 1878年~1890年 ベルリン会議後、ビスマルク体制の終焉までの安定期
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