「東海遊侠伝」の説明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/01 16:51 UTC 版)
「荒神山の喧嘩」の記事における「「東海遊侠伝」の説明」の解説
吉良の仁吉は大政と諮り寺津(現西尾市)から四日市(四日市市)へ4月6日に海路より上陸した。この日は加佐登神社の高市(祭礼。恒例として賭博場も施設される)であり仁吉、大政は 加佐登神社と高神山観音寺の高市は長吉の縄張りであるためこれを安濃徳は返すこと。 安濃徳側に黒駒党が応援についたためこれを叩くことが目的で遠征したと土地の博徒に説明している。 要するに賭博場を開いた瞬間に殴り込むという脅しであり、喧嘩の勝ち負けに関わらず安濃徳は面子を潰されるということになる。運営準備を放棄した安濃徳側は高神山に上り臨戦態勢に入る。戦争突入に土地の実力者である三好屋、守屋(共に岡っ引)は仲裁に入り穴太徳は山から降り、仁吉たちは加佐登神社の参詣を済ませた。庄野(現鈴鹿市)に安濃徳の舎弟、門之助が駐屯。石薬師(現鈴鹿市)に仁吉らが引き上げると仲裁工作が行なわれるが結論は出ず、8日朝に三好屋たちが仲裁から手を引く。仁吉たちが高神山に向かうと門之助たちはすでに山に上っており喧嘩状を仁吉たちへ届け闘争が開始された。
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