「東郷」へ統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 07:42 UTC 版)
松崎温泉が誕生してからまもなく、東郷温泉(養生館)と松崎温泉で組合を設立し、「東郷温泉・松崎温泉組合」と名乗った。1939年(昭和14年)の『日本温泉大鑑』によれば、当時の年間宿泊客数は旅館全7軒あわせて約62,000人で、鳥取県内では三朝温泉(20軒、約8万人)に次ぐ2位だった。 松崎駅や松崎温泉がある東郷川右岸の湖畔の狭いエリアは、江戸時代には交通と軍事の要衝として「松崎宿」を形成し、明治になってからも「松崎村」として独立した自治体だった。一方、東郷温泉(養生館)をはじめ周囲は小村が合併して「東郷村」を形成していた。1951年に松崎村と東郷村が合併して「東郷松崎町」となり、さらに2年後(1953年)に近隣の村を合併して「東郷町」となった。これ以来、温泉の名称は「東郷温泉」に一本化されるようになった。 明治から昭和にかけて、温泉を訪れた有名人は多く、政界からは大隈重信、後藤新平、尾崎行雄、下村海南、文壇からは前述の田山花袋、志賀直哉のほか、小泉八雲、生田春月、幸田露伴などが訪れたとされている。
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