国鉄151系・161系・181系電車とは? わかりやすく解説

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国鉄151系・161系・181系電車

(国鉄クハ26形電車 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/14 17:43 UTC 版)

国鉄151系・161系・181系電車(こくてつ151けい・161けい・181けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した直流特急形電車である。


注釈

  1. ^ 1964年(昭和39年)11月 - 1965年(昭和40年)1月にかけて大井工場(当時)で151系から181系へ改造された17両は暫定的に改番手続きをせず151系のまま落成し、1965年(昭和40年)5月以降に改番を行った。履歴上181系として最初に落成したのは、161系として発注されながら製造途中で181系に変更されて汽車会社が新製したクハ181-44・45 サシ181-43の3両、浜松工場が施工担当した151系から改造車であるモハ181-21+モハ180-59の2両で、計5両の落成日は1965年(昭和40年)1月20日である。
  2. ^ 1955年(昭和30年)10月に東芝が製造。落成時から主電動機を標準車のMT43形から、より強力なSE174形を搭載し、歯車比も通常の21:77 = 1:3.67から高速寄りの25:77 = 1:3.08へ変更させたほか、電磁直通ブレーキも装備し、塗色も量産機の黒からぶどう色2号に変更された。試験終了後の1958年(昭和33年)に歯車比や塗色を量産機と同様に改修、1960年(昭和35年)には電磁直通ブレーキも撤去された。
  3. ^ 列車暖房への対応と異常時のバックアップ用として次位にEF58形を連結された。
  4. ^ 1950 - 1960年代には吹き付け加工で施工できる軽易な遮熱手段として建築物や車両で多用されていたが、後年になって人体への発ガン性の問題が明らかになり使用が禁じられた。
  5. ^ 国鉄では「ヘッドライトは前部標識」という考えから前照灯ではなく前灯と称する。
  6. ^ 交互点滅灯もしくはウインカーランプとも呼称。
  7. ^ これは従前から食堂車が優等旅客を対象としていたことや、さらに上級車両を下級乗客が極力通り抜けないように等級を区分する位置に編成されていた考えが、戦後になっても基本的に踏襲されていた影響もある。
  8. ^ クロ151形およびクハ180-51を除くクロ・クロハ181形からの改造車は塗り分けの傾斜角度が70度。
  9. ^ この塗分け方は後に中での視認性を向上させることを目的として781系電車で採用。
  10. ^ 1957年にサロ85020で試験を実施。好調な結果を残したため正式採用となったが、後期車はAU12形に変更。前期車も後にAU12形に交換されたが、サロ181-6のみが廃車までAU11形のまま残存した。同車は1964年に東海道新幹線開業による向日町運転所への転出ならびに上越特急「とき」転用計画も漏れたことから、田町区でサロ151-6のまま休車となり1968年11月に181系化改造を施工された経歴がある。
  11. ^ 1963年に制作された映画天国と地獄』(黒澤明監督)では、この窓と車内電話がトリックとして利用されストーリー上の重要な役割を果たしているほか、列車内シーンは1編成丸ごとチャーターし実際に東海道本線を走行させた上で撮影が行われた。
  12. ^ 大手私鉄で採用されているHSC-Dブレーキと同等品。
  13. ^ サロ151-6(→サロ181-6)は1968年11月12日付、サロ150-2(→サロ180-2)は1969年6月14日付でそれぞれ改造竣工。
  14. ^ 本グループのみロッドでコントロールする可倒式を採用。
  15. ^ モハ180形50番台への改造後もそのままの状態とされた。
  16. ^ 当初の計画では、コーヒーショップをイメージし、エスプレッソコーヒーマシンやソフトクリームフリーザーを用意する予定であったが、装置が高価でまたアルコール類の提供も考慮しなければならず、最終的には上記の調理設備に変更となった。
  17. ^ 1960年8月20日から供用を開始。通話可能区域は東京23区名古屋市大阪市のみ。
  18. ^ 「つばめ」電車化時点でサロ2形式を含みビジネスデスクと洋式トイレが1両おきの設置にする配慮である。
  19. ^ 同改正で「はと」は一旦「つばめ」に統合され廃止。
  20. ^ 本形式落成と引換に展望車が廃止されることに併せ国鉄では等級を1・2・3等の3等級制から1・2等の2等級制に改めようとしていたが、法案が提出された国会の審議が難航したため落成時は3等級制であったことから1 - 6は結局3等級制の表示である「2」を付けて製造を開始した。しかし製造開始後の1960年4月に法案成立が予見されたことから急遽「1」表示のカバーを作り完成のお披露目を行ったものの6月の運転開始に法案可決が間に合わなかったため7月まで「2」の表示を付け、法案成立後はカバーを付けて「1」と表示した。
  21. ^ 日本交通公社(現・JTB)発行の時刻表表記では従来通り展望車の記号が使用されていた。
  22. ^ 1958年10月ならびに1959年2月に開催された副総裁・技師長・常務理事・関係する各局長を委員とする企画委員会により決定[33]
  23. ^ 企画委員会では以下の3案を比較検討を行った[33][35][36]
    *1案.「こだま」「つばめ」「はと」とも同一の12両編成で本形式は不連結
    *2案.「こだま」「つばめ」「はと」とも同一の12両編成で本形式を連結
    *3案.「つばめ」「はと」のみ本形式を連結 「こだま」は連結しない別編成を組成
    このうち3案は追加製造数が60両まで膨らむことから早期に廃案となった。最終的には製造コストが1案に比較すると4,000万円ほど高くなるものの展望車の代替要素を考慮した結果2案が採用された[37]
  24. ^ 警視庁の射撃場で数種類の拳銃を用いて実弾テストを行っており、VIP乗車の際には運用を変更して本車を充当した。
  25. ^ 昭和天皇皇后・各国の要人・政府高官・国会議員などの乗車実績がある。
  26. ^ マットを踏むことでドアが開く方式はマジックドアとも呼ばれ、鉄道車両に最初に採用されたのが本形式である。本格的な使用は本形式と同じ1960年に落成した東武1720系電車であるが、運用開始は本形式が6月、東武1720系電車が10月からである。
  27. ^ 通行税20%を含む。その後10%に減税され1,650円に値下げ。さらに山陽特急転用後に通行税10%込の500円に大幅値下げを実施。また1969年の等級制度廃止後も残存した区分室は、以後グリーン料金のみでの乗車が可能となった。
  28. ^ 本サービスは「こだま」運転開始時から2等車で行われていた。
  29. ^ その他の1等・2等乗客はモハシ150形ビュッフェの電話室を使用。
  30. ^ 1958年製造車も同仕様への改造を施工されたが、タイフォンは車端側に移設したため2次車以降とは外観が微妙に異なる。
  31. ^ 後に交流電化区間への直通列車用には481・483系電車が新造されたため本系列の交直流化改造は未施工。
  32. ^ 1961年10月のダイヤ改正で設定された大阪 - 広島間のキハ82系気動車特急「へいわ」を廃止させ発展的統合する形での区間延長。このため従来は大阪で同日折り返しから広島で夜間滞留の必要が生じ1編成増備された。
  33. ^ 東海道本線の全線電化開業に間に合わせるべく突貫工事となり、バタヤ電化と呼ばれた静岡県内では架線電圧の変動が大きく、MGの過回転によるフラッシュオーバーが頻発した
  34. ^ この改造で妻面の風道の向きが左右非対称の車両(モハ181-1・2など)が登場している。
  35. ^ 改造工事中には、早期落成したモロ150形・151形のユニットを分離し、サロの代用として既存編成に組み込んで営業運転を行った。
  36. ^ 1960年に製造されたキハ81系気動車にも外幌は採用されたが、後に同様の理由で撤去。
  37. ^ 当時は関門トンネルに対応する交直流両用電気機関車はEF30形、九州島内で運用される交流電気機関車はED72形・ED73形でいずれも電気暖房用EGは未搭載。
  38. ^ 本系列の九州乗入末期となった1965年9月の鹿児島本線熊本電化用として製造されたED75形300番台が電気暖房用EGを搭載して落成した。因みに当時はED74形(電気暖房用EGを搭載)はまだ九州転属前であった。
  39. ^ 電気機関車の電気暖房用EGは、直流1,500 V / 300 kVA程の出力を供給することが可能であり、容量的にもサービス電源供給が可能ではあるが、当時の九州地区では蒸気暖房が使用されておりEGを搭載する機関車がなかったこと[注 37]ならびに新造しても後の転用問題もあるためにこの案は見送られた[注 38]
  40. ^ 対応改造施工車はEF30形がナンバープレートを赤に塗装、ED73形が車番表記を黄色枠で囲み非対応機と区別された。
  41. ^ 1965年8月に特7編成が、9月に特4編成が181系化改造が施工されているが、この2編成は181系化時点では対応設備は残されており乗入運用にも充当。運用終了後に他編成同様に復元。
  42. ^ a b 東静岡駅は当時未開業。
  43. ^ 当時は、固定編成であっても編成単位の検査ではなく検査対象の車両・電動車ユニット毎に編成から抜かれ、予備車や他編成間で頻繁に交換して検査を実施していたため所定編成どおりとは限らず、編成内の一部車両だけが交換されていることは日常的に行われていた上に、この時期の九州乗り入れ改造対象工事の日程上の都合から、予備車を含めて大きな編成組替が行われていたこともあった。このため本来は2・3号車のモロ151・150-12ユニットは予備車、4号車のサロ150-3は特9、5号車のサシ151-4は特4とそれぞれの編成に組成されている車両である
  44. ^ モロ150-12について出典元は当時の国鉄運転局事故報告資料で著者はいずれも福原俊一であるが、[60]では脱線小破。[61]では脱線中破となっており、いずれかが誤記の状態となっている。
  45. ^ 山陽本線転用後には実際にパーラーカーの利用率が低迷し、区分室を除き格下げ改造された。
  46. ^ 阪和線52系電車72系電車70系電車などによる特急電車が運転された例があるが、当該列車は特別料金不要としたことから現在の「特別快速」「新快速」などに相当する。
  47. ^ 当時の田町区運用では、使用11編成中大阪(向日町)で5編成、名古屋・広島でそれぞれ1編成ずつ計7編成の夜間滞留が組み込まれており、下り「おおとり」で出区し名古屋滞留となると翌日から4日連続大阪滞留となるため次に田町区に帰区するのは6日後という運用もあった。
  48. ^ 大阪0700(2M 第1こだま)1330東京1530(5M 第2こだま)2100大阪と前後日は大阪滞留となることから、予備車のない大阪側で車両故障や異常などの事案が発生した場合は以前から原則的に#153系による代走が本運用に充当されていた。
  49. ^ 当時の東海道線急行運用に充当されていたサロ152形・サハシ153形2両組込編成から大阪方サハシ153形1両をカットした編成。
  50. ^ 東京0700(1M 第1こだま)1330大阪1630(8M 第2こだま)2300東京で、当時唯一の同日東京発着運用である。
  51. ^ 事故当該の特7編成を復旧させるとともに廃車になったクロ151-7の代車として、特9編成のクロ151-9に差し換え。玉突きで特8編成のクロ151-8が特9編成に組み込まれた。これは、特7・特9編成が九州乗入対策改造対象編成で復旧工事と急遽捻出されることになったクロ151-8の改造日程都合によるものである。また[60]によると事故当該のクロ151-7・サロ150-3を除いた車両がクハ161形と編成を組成して復旧したという記載がある。編成内容については詳細が書かれていないものの九州乗り入れ対策改造の都合から、一時的な組成が行われた可能性があるとの言及がある。
  52. ^ 当初から混結使用を考慮していたほか、151・153・155・157・159・161の各系列における制御回路はKE57A形ジャンパ連結器2基によるため互換性がある。
  53. ^ 逆に「とき」営業運転開始前における予備車の試運転では、クハ161形が1両だったため反対側にクハ151形を連結して行ったほか、クハ153形を連結した営業開始前の試運転も行われており、他系列との混結実績がある。
  54. ^ 1978年の新製車6両を含む。
  55. ^ モロ151・150-6・8 モハ151-20・27 モハ150-8・12 クハ151-6 サハ150-6・18・20 サシ151-6・8
  56. ^ モハ151-16 モハ150-8 クハ151-8
  57. ^ サロ181-1100番台を除いた181系新製車グループでは唯一の田町区以外への新製配置である。
  58. ^ 0・40番台の耐雪耐寒工事車にも施工。
  59. ^ 台枠に付くカバーの固定用ボルトも省略されているため装着自体が不可能である。50番台車は固定用ボルトが残されている。
  60. ^ 当時の鉄道誌によるとクハ181形はクハ481形と違い両渡り仕様に出来ないことからクハ180形が製造されたとある。また後年にクハ181形・サハ180形共々両渡り改造を施工しているが、床下機器をクハ181形と逆転配置とすることで引き通し線がクロスしない設計にされたことから当初は仕様の共通化・統一化からあくまでも偶数向き固定設計で対応させたとの説もある。
  61. ^ 詳細は近畿車輛#鉄道車両以外の製品の項目を参照。
  62. ^ 102・103はサシ489形へ改造されたが、施工後もレリーフは残された状態とされた。
  63. ^ モハシ→モハ改造工事時にユニットを組成するモハ181形の休車期間を短くする目的から、モハ181-4は1969年に単独製造されたモハ180-115とユニットを組換て長野へ転出。ユニットを解かれたモハシ180-4はビュフェ営業廃止となった1970年10月1日ダイヤ改正直後の同月8日付でモハ180-54として落成し、モハシ180-11とユニットを組成していたモハ181-25と組換られた。しかし同年12月以降の改造工事では、向日町運転所の11両編成が配置7本に対して運用数が定期5本と臨時1本でさらに予備車9両にMM'ユニット1組が含まれていたこと。また組換による車両検修時期のズレが発生する弊害も考慮して本措置を中止したためモハシ180-11のみモハ化改造を施工されず長期休車となった経緯がある。
  64. ^ 但し、車端部にあった1等特別席客向けのサービスコーナーはクロハ化後は使用されなくなった。
  65. ^ 窓の天地寸法が大きく幕板が狭いため、他形式同様の棚が使えなかった。
  66. ^ a b c 向日町転出とならず田町残留となったクロ151-6→クハ181-56ならびに早期施工となったクロ181-11→クハ181-61・クロ181-12→クハ180-51の3両は改造後に田町所属となったが、首都圏特急型車両配置見直しにより、1969年7月1日付でクハ181-56・61は新潟運転所へ、クハ180-51は長野運転所へ転出。
  67. ^ a b 8が組成されていた特8編成は向日町転出の対象外で上越特急増発対応に充当されることが決定していたが、7の事故廃車により9を特7編成に、玉突きで8を特9編成に組成した経緯がある。また特7・特9編成ともに九州乗入対象となっていたことから8は対応改造が急遽追加施工された、なお特8編成には代車として脱線事故からの復旧に併せて緊急にサロ150-3から制御車化改造されたクロ150-3を組成し、東海道運用終了後は特6編成と共に田町所属のまま東京オリンピック臨時急行「オリンピア」に充当。同列車運転終了後に181系化改造を施工した上で上越特急「とき」ならびに中央特急「あずさ」に充当された。
  68. ^ a b 長野運転所は長野運転区北長野運転所への改称を経て、1991年に長野工場を統合し長野総合車両所へ改称。2004年に現名称の長野総合車両センターへ改称。
  69. ^ 2012年4月2日にJR東日本が東京急行電鉄から東急車輛製造の鉄道車両事業を譲受し、さらに車両製造体制を一本化する会社分割により発足した鉄道車両製造会社である。
  70. ^ 国鉄分割民営化で承継した東日本旅客鉄道(JR東日本)により新津車両所へ組織変更。1994年新潟支社所管による新津車両製作所へ改組したのち、2014年4月1日付でJR東日本傘下の総合車両製作所(J-TREC)[注 69][77][78][79]の組織下に組み込まれ、総合車両製作所新津事業所として現在に至る。
  71. ^ 2004年に山手電車区と統合し東京総合車両センターへ改称。
  72. ^ 2005年仙台支社の組織変更で磐越東線営業所を廃止し、同営業所郡山車両派出所を移管統合し郡山総合車両センターへ改称。
  73. ^ 1974年5月に上越新幹線新潟駅工事のため同駅南側から上沼垂信号場付近へ移転し新潟運転所上沼垂支所となったが、車籍は引き続き新潟運転所のままとされた。1986年上沼垂運転区へ独立改称したのち、2004年に新潟車両センターへ改称。
  74. ^ 2001年廃形式→2010年クハ451形の運転台機器使用停止措置で再度採用→2011年2度目の廃形式。
  75. ^ 2010年4月廃形式→同年9月クハ455形の運転台機器使用停止措置で再度採用→2011年2度目の廃形式。
  76. ^ 1980年廃形式→1987年JR西日本で100番台落成→2004年2度目の廃形式。
  77. ^ 1997年アルファコンチネンタルエクスプレスで廃形式→2000年グラシアの普通車化改造で再度採用→2011年2度目の廃形式。
  78. ^ 2016年5月現在で蒸気機関車EF55形など動態保存を目的に車籍復活させた車両を除いて2回廃形式となった国鉄・JRの車両は、本形式以外に電車では457系グループのサハ451形[注 74]ならびにサハ455形[注 75]、気動車ではキハ58系グループのキロハ28形[注 76]ならびにキハ59形[注 77]が該当する。
  79. ^ 改造編入名義ではあるものの、181系で唯一の東急車輛製造製車両となる。
  80. ^ 屋根自体は原設計で充分に低いことからパンタグラフ台高さを詰めることで対応。
  81. ^ 向日町所属時にも前灯は残したままでマーカーランプ・バックミラーを撤去する工事が吹田工場で施工された。
  82. ^ クロハ181形・サハ180形からの改造車を含む。
  83. ^ 電動車ユニットが4組になるためクハ181・180形に力行表示灯増設工事も施工。
  84. ^ 組織変更ならびに改称は2004年4月1日付。
  85. ^ 113系在来車とは車体断面が異なるため鉄道ファンからは化けサロとも呼称された[69]
  86. ^ Bは「ビジネス特急」のイニシャルから取ったものといわれる。
  87. ^ 本系列が伊東線で営業運転を行った唯一の事例であり、当時は伊豆急行開業以前である。
  88. ^ 同様に153系電車で東京 - 大阪駅に臨時夜行急行「ことぶき」が同月9日に下り、同月10日に上りで運転された。「ことぶき」の愛称は1967年 - 1973年に京都・大阪 - 宮崎間で運転されたA寝台車とグリーン車のみで構成された新婚旅行客向け臨時客車急行列車に転用された。宮崎県観光入込客統計調査によると、ピークだった1974年には全国で新婚旅行に出かけた約100万組のうち37万組が宮崎市を訪れた記録がある[87]
  89. ^ なお「ちよだ」が運転された1959年には、新婚旅行向けとした「ことぶき周遊券」が発売された。同周遊券は幾度かの規定改訂により新婚に限らない夫婦旅行向けの「グリーン周遊券」となり、A寝台もしくはグリーン車を201km以上利用する場合は料金が2割引となる特典があった。また「ことぶき周遊券」もしくは新婚旅行で「グリーン周遊券」で使用する場合は、見送り用入場券10枚が添付された[87]
  90. ^ 当時の首都圏での新婚旅行は、伊豆箱根方面へ2泊3泊の旅程で行うのが標準的スタイルとされていたことからの運転設定である[88]
  91. ^ 新編成での営業初列車は、改正前日の下り「第2こだま」。
  92. ^ 12両中11形式で編成。しかもモハ151形は、8号車の0番台と11号車の10番台で設計変更が行われたため事実上すべてが別形式の編成であった。しかし、製造コストや予備車確保の問題をはじめ編成の自由度が下がるなどのデメリット面も大きく、反省点として481系以降の特急形電車では極力車種を減らす設計へと方針転換した。
  93. ^ 1961年当時157系には冷房装置が搭載されておらず、夏期は特急料金割引を行っていた。
  94. ^ 山陽急行で瀬野八を補助機関車付きで通る153系では、自動連結器のEF61形と密着連結器の153系の間に控車のオヤ35形が連結された。
  95. ^ 特4編成のみ8月30日付、他の9編成は9月30日付で転入。
  96. ^ 機関車運用の都合で、瀬野八での補機連結は1966年(昭和41年)10月のダイヤ改正まで続けられた。
  97. ^ 余剰となったサロは田町区に再転出後、横軽対策及び耐寒耐雪工事を施工の上で翌1966年(昭和41年)10月のダイヤ改正で「あさま」に転用された。
  98. ^ モハ181形が常に1両足りないため、実質的には8両。
  99. ^ 当初は1等車を1両にして食堂車連結も考慮されたが、国際的観光地である軽井沢が沿線に控えていることから1等車2両は必須条件でこの案は却下され、代替としてサロ2両をモロ2両に変更しサシ181形・サハ180形の組込みが提案された。これは「とき」「あずさ」用編成と同じ車種構成でMM'ユニット1組を外した状態で運用できることから最後まで検討されたが、そもそもモロユニットとサシ181形が「とき」「あずさ」運用への充当で手一杯だったことと1965年に向日町運転所編成からサロ180形・181形が減車されたことから、余剰車の有効利用や200km程度の短距離運転という観点により食堂車を連結しない決断が下された。
  100. ^ 増発用車両は新造された100番台と1968 - 1969年に181系改造を施工されたサロ2両を除き向日町転入車によって確保されており、今回以降も1972年・1973年にまとまった両数の転属が行われた。
  101. ^ 長野へのモロユニットの転入は1973年10月改正で新潟から1、向日町から4・9・11があり、最終的には5ユニットが所属。
  102. ^ 回送線自体の廃止はそれから10年後の1983年である。
  103. ^ 下り1号・上り10号が該当。当時泥沼化していた労使関係の悪化により深夜早朝の検修や乗務要因確保が困難であったことから季節列車として設定されたものの運転実績は少なく、同改正の時刻表には運休中と記載された[111]。なお、この状態は長野所属車189系化後も1982年11月15日ダイヤ改正まで継続しており、12往復化された同改正後は13号・22号が季節列車設定で幕張電車区所属の183系による運用に移管された[112]
  104. ^ 1973年に発生した豪雪では秋田県に甚大な被害を発生させた昭和48年豪雪が有名であるが、上越線を中心に運休などを多発させた本豪雪も含み気象庁が名称を定めた現象を含む災害をもたらした気象事例に両豪雪は含まれていない[113]
  105. ^ 置き換え直前の1974年5月24日に新潟運転所の一部が上越新幹線の工事区域となるため上沼垂支所が開設され、本系列の基地が移動した。
  106. ^ 1978年10月2日ダイヤ改正までは地上設備の関係から10両編成での運転となった[118]
  107. ^ 189系の配置は同年5月から開始されており、6月22日の時点で置き換えに必要な10両編成x7本と予備のクハ189形2両の配置が完了。一方で181系は5月14日付でモロ181+180-3・サロ181-3・サハ181-1・4が、6月16日付でモハ181+180-5+55・サロ180-11が廃車となったほか、新潟転出車は24中16両が書類上6月中に実施された。
  108. ^ 1976年以降急行格下げのため客車側で増圧圧縮空気供給が必要となったカニ21→カヤ21形改造で、クハ181・180形に搭載されていたC3000形CPが流用された。
  109. ^ a b ユニットを組成していたモハ180-115の新潟転出に伴うもので、1975年6月24日付で長野から転入したものの営業運転へ充当されることなくユニットを解消。モハ180-115はモハ181-23と新たにユニットを組成し、モハ181-4はモハ181-23の相手方だったモハ180-60と同時の同年8月27日付で廃車。
  110. ^ 季節運転の下り「あずさ1号」上り「あずさ10号」は運休期間中。
  111. ^ 100番台グループの中からも1966年製造クハ180-3が1975年11月5日付で、1・2が同月25日付で廃車となった。これは減価償却資産の耐用年数等に関する「昭和40年3月31日大蔵省令第15号」に定められた鉄道用車両における電車の償却年数である13年に満たない実働9年での廃車である。
  112. ^ グリーン車が181系編成では5・6号車、183系編成では6・7号車に組成されていた。本改正ではクロ481形を組込む「ひたち」「あいづ」9両編成と「白根」用7両編成を除いた上野口東北常磐上信越特急のグリーン車連結位置を旅客案内上の観点も含めて6号車単独もしくは6・7号車に統一するため組成変更が実施された。
  113. ^ 新潟にはサハ181-1・4・5が配置されていたが、1・4は1973年9月27日付で長野へ転出。5は1975年8月27日付で廃車になっており、この時点で廃形式となった。
  114. ^ 最大で5編成が組成されたため1編成はMG・CP搭載の1100番台が7号車にも組込まれた。
  115. ^ 鉄道用車両における電車の償却年数である13年を満たしていない。
  116. ^ 101の償却年数である13年を満たした後の廃車。
  117. ^ 前後日が尾久客車区東大宮派出所(現・大宮総合車両センター東大宮センター)で夜間滞留となる上野1049(2009M とき9)1500新潟1548(2022M とき22)2003上野に限定充当。
  118. ^ このため臨時「あさま」として9000番台の列車番号で長野まで延長運転されたケースもある[122]
  119. ^ 正規の9両編成からMM'ユニット1組をカットし、サロ183形1両を増結した8両編成を組成。
  120. ^ 実質的な廃止は、夏期季節運転終了の1997年8月18日である。
  121. ^ 午前は「くろいそ」に、午後は「そよかぜ」に充当で運転された日もある。
  122. ^ 青森車は首都圏側でのダイヤ混乱時や突発的車両故障などの緊急時充当を目的に上野口で丸1日滞留となる運用が存在しており、この編成が「新雪」に充当された。
  123. ^ 初年度は489系本来の充当目的であった「白山」は運転されておらず、向日町運転所所属のまま同所の485系定期運用や波動輸送に対応していた。また「あさま銀嶺」への充当は、横軽区間でEF63形との協調運転の実質的な最終確認を兼ねていた。
  124. ^ 上野発車後は客扱いを行う途中停車駅は長野・黒姫・妙高高原のみであるが、横川・軽井沢はEF63形の連結・開放のため運転停車が行われた。
  125. ^ 後年投入された183系1000番台・189系の方向幕のコマには「あさま銀嶺」「あずさ銀嶺」が確認できるが、両系列とも実際に充当されたことはない。
  126. ^ 田町所属車の折返し運用は不明。
  127. ^ 編成中に車両番号が151系のままの車両も存在するが、これは前年に大井工場で181系化改造が施工されたものの改番手続きが取られる前の車両である。
  128. ^ 営業列車で151系が東京に姿を現した最後の運転でもあった。また、この編成は大阪方4両と東京方クハ151形が九州乗入れ対応改造施工の特11編成、他の7両が未対応の特2編成で組成された。
  129. ^ ダイヤ改正後はサロ1両減車になるため特7編成は特2編成から捻出されるサロ150-1を組込予定で10両編成で落成。しかし試験運転は4M6Tのためほぼ同時期に落成し田町区へ配置された153系2両が組み込まれた。
  130. ^ 例外として1960年夏に1度のみ「つばめ」代走に充当された実績がある[132]
  131. ^ 当時の運用では、下り「おおとり」で田町を出区し名古屋滞留となると翌日から4日連続大阪滞留となるため次に田町区に帰区するのは6日後になることから、当該編成はヒーター投入乾燥後名古屋へ回送し、翌日の上り「おおとり」から通常の運用に充当された。
  132. ^ この当時151系→181系改造工事は完了していない。
  133. ^ 後年増備された183系1000番台のヘッドマークには「朱鷺」の漢字は併記されなかった。
  134. ^ クハ181-41は、クロハ181形の関東地区転用クハ化改造の代車として短期間向日町へ貸し出された実績があるほか、サシ181-102・103はサシ489形改造後に向日町所属経歴がある。
  135. ^ クハ181-109・クハ180-5はクハ481形化改造施工後は九州地区に転出。
  136. ^ 1050番台は種車のサロ481形時代に向日町所属経歴がある。
  137. ^ ミニスカート・スノウプラウ・連結器カバーなしでブレーキホースを装着。
  138. ^ 電車化当時に製造された灰色帯が入ったタイプ。
  139. ^ ヘッドマークは当初「こだま」を装着。塗装を481系仕様へ変更後は「つばめ[注 138]」→「みどり」→「雷鳥」へ変更し、塗装の本系列へ復元後に「こだま」へ再変更[134]
  140. ^ カットボディという趣向で塗装・「こだま」のサボ・実車と同じ冷房吹出口などを使用。

出典

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