帝國主義とは? わかりやすく解説

ていこく‐しゅぎ【帝国主義】

読み方:ていこくしゅぎ

imperialism政治・経済軍事などの面で、他国犠牲において自国利益領土拡大しようとする思想政策狭義には、資本主義歴史的高段階として19世紀後半起こった独占資本主義対応する対外膨張政策。「—戦争


帝国主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/12 04:05 UTC 版)

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注釈

  1. ^ "imperialism"はかつては「帝位」とも訳された[15]
  2. ^ 原文:
    帝国主義 … 19世紀後半から使われた用語であるが,歴史的現象としては,古代中国の帝国,シュメール,バビロニアの帝国,エジプト王朝,アレクサンドロス大王の野望,ローマ帝国などにもその傾向がみられる[17]
  3. ^ 原文:
    シーザー精神(帝国主義)を殺すに価するのかどうか,帝政(帝国主義)対共和制(理想的政治思想)つまり,「シーザーの肉体と精神」と「ブルータスの私情と理想的政治思想」という対立関係で以下,筋をおりて考えてみよう[21]
  4. ^ 大澤覚の学術論文によれば、マルクスは「イギリスの憲法」の中で次の通り述べている[13]
    皇帝制度[imperialism]こそは生まれでようとする中間階級社会が封建社会からの自分自身の解放の手段としてつくりあげはじめ、成熟しきったブルジョア社会がついに資本による労働の奴隷化の手段に転化した、あの国家権力のもっともけがれた形態であると同時に、その終局の形態である[13]
  5. ^ 原文:
    Imperialism ... 1. An imperial system of government; the rule of an emperor ... 2. The principle or spirit of empire; advocacy of what are held to be imperial interests[25].
  6. ^ 「凡例」によれば「語義の配列順は, 原則として, 現代の用法として最も一般的なものから順次特殊な語義に及ぶようにした. … 品詞別に123で語義を大別し, 必要に応じてabcと細別した. また, 特に必要な場合にはABCを用いて, より大きな範疇を示した」[26]
  7. ^ 語義は 1 2 3 …の数字で区分し[28]、使用される頻度順に並べた[28]。一つの語義の中で同種の訳語は (,) で並べ[28]、大きな区分を(;)で示した[28]

出典

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  40. ^ 「帝国主義」(ヨーロッパ史入門)p114-115 アンドリュー・ポーター著 福井憲彦訳 岩波書店 2006年3月28日第1刷
  41. ^ 「帝国主義」(ヨーロッパ史入門)p36-37 アンドリュー・ポーター著 福井憲彦訳 岩波書店 2006年3月28日第1刷
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  44. ^ 「南北・南南問題」p11 室井義雄 山川出版社 1997年7月25日1版1刷発行
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  46. ^ 「商業史」p247 石坂昭雄、壽永欣三郎、諸田實、山下幸夫著 有斐閣 1980年11月20日初版第1刷
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  48. ^ 「帝国主義」(ヨーロッパ史入門)p66 アンドリュー・ポーター著 福井憲彦訳 岩波書店 2006年3月28日第1刷
  49. ^ 「帝国主義」(ヨーロッパ史入門)p67 アンドリュー・ポーター著 福井憲彦訳 岩波書店 2006年3月28日第1刷
  50. ^ 「帝国主義」(ヨーロッパ史入門)p73-74 アンドリュー・ポーター著 福井憲彦訳 岩波書店 2006年3月28日第1刷
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  53. ^ 「新版 エジプト近現代史 ムハンマド・アリー朝成立からムバーラク政権崩壊まで」p150 山口直彦 明石書店 2011年10月25日新版第1刷発行
  54. ^ 「新版 エジプト近現代史 ムハンマド・アリー朝成立からムバーラク政権崩壊まで」p151 山口直彦 明石書店 2011年10月25日新版第1刷発行
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  58. ^ 「帝国と帝国主義」p41 木畑洋一(「帝国と帝国主義 21世紀歴史学の創造4」木畑洋一・南塚信吾・加納格著 所収)有志舎 2012年9月30日第1刷
  59. ^ 「人道的帝国主義」書評 論理的な批判、切れ味も鋭く|好書好日
  60. ^ Monthly Review | Humanitarian Imperialism: Using Human Rights to Sell War
  61. ^ 現代の帝国主義 - 新書マップ
  62. ^ なぜプーチン氏は破滅的な決断を下したのか ウクライナ侵攻の背景にある「帝国」の歴史観:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2022年2月27日閲覧。
  63. ^ 「新版 マス・コミュニケーション概論」p207 清水英夫・林伸郎・武市英雄・山田健太著 学陽書房 2009年5月15日新版初版発行
  64. ^ 「世界地理大百科事典1 国際連合」p318 2000年2月1日初版第1刷 朝倉書店
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  66. ^ 「新版 マス・コミュニケーション概論」p208 清水英夫・林伸郎・武市英雄・山田健太著 学陽書房 2009年5月15日新版初版発行



帝国主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 09:02 UTC 版)

アメリカ合衆国の保守主義」の記事における「帝国主義」の解説

19世紀終わり近くなると、アメリカ合衆国世界強国となり、ハワイキューバフィリピンおよびプエルトリコといった海外領土獲得した。2大政党は1896年大統領選挙再編成されウィリアム・マッキンリー率い共和党は、事業健全な金(硬貨)、積極的な外交政策を行う党となり、ウィリアム・ジェニングス・ブライアン率い民主党は、労働者小農、「自由銀」および反帝国主義をうたう党となったブライアン宗教原理主義者白人至上主義者にも人気があった。 1900年の選挙では帝国主義が勝利しアメリカハワイプエルトリコグアムフィリピンおよび一時的だキューバ所有するというマッキンリー政策承認したマッキンリー暗殺された後を継いだセオドア・ルーズベルトは、アメリカの軍事海軍優秀さ促進させ、アメリカ未開人文明化させ近代化させる任務があるというマッキンリーテーマ引き継いだアメリカ帝国主義は、企業宗教および軍事利点があると考えていたことが幻想だと分かった1908年、最も熱心な帝国主義者セオドア・ルーズベルトウィリアム・ハワード・タフトおよびエリフ・ルートがその注意国内陸軍海軍作り上げることに向け、さらにパナマ運河建設することに向けた。彼らはそれ以上拡大という概念取り下げ1920年にはフィリピン独立させることに合意した

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「帝国主義」を含む「アメリカ合衆国の保守主義」の記事については、「アメリカ合衆国の保守主義」の概要を参照ください。


帝国主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:41 UTC 版)

ヴィクトリア (イギリス女王)」の記事における「帝国主義」の解説

ヴィクトリア朝64年の間に大英帝国世界中非白人国家民族集団に対して覇道限りを尽くし、その領土10以上に拡大させ、地球の全陸地面積4分の1世界全人口の4分の1(4億人)を支配する史上最大帝国となるに至った大英帝国維持拡大のためにヴィクトリアとその政府世界各地頻繁に戦争行いヴィクトリア朝全期通じてイギリス戦争をしていない時期は稀であったヴィクトリア朝64年間にイギリス軍が全く戦闘しなかった時期2年けだったといわれる)。 ヴィクトリア非白人国家対する帝国主義には全面的に賛成していた。「帝国主義には二種類あり、一つ皇帝専制などの誤った帝国主義。もう一つは平和を維持し現地民を教化し飢餓から救い世界各地臣民忠誠心によって結び付け世界から尊敬される英国の帝国主義である。英国領土拡張は弱い者イジメではなく英国の諸制度健全な影響を必要とあれば武力をもって世界押し広げるのである。」とするディズレーリ内閣植民カーナーヴォン伯爵見解熱烈に支持していたためである。 イングランド人スコットランド人アイルランド人ボーア人アフリカ人アラブ人インド人中国人ビルマ人アボリジニマオリポリネシア人インディアンエスキモーなど無数の人種、また三大宗教ヒンドゥー教はじめとする様々な宗教版図におさめる大英帝国には統一感はまるでなかったが、その彼らを「女王陛下臣民」として一つ結び付け統合象徴役割果たしたのがヴィクトリア女王であった。 この時期英国君主女性であったことは大英帝国成功の秘訣であった実際ヴィクトリアイギリスの植民地支配揺るがす反乱に対して容赦のない主張をしていたが、被支配民の間では「帝国の母」としてその「子供」たちである世界中臣民たちに慈愛を注ぐヴィクトリアイメージ広まり大英帝国支配への抵抗心を和らげたのであるカナダインディアンスー族クリー族ヴィクトリアを「白い母」と呼んで敬意払っていた。あるインド藩王ヴィクトリアインド女帝即位にあたってデリーでの大謁見式(ヴィクトリア欠席)において「ああ、母上ロンドン宮殿にいます親愛なる陛下。」と呼びかけている。1865年反乱起こしたジャマイカ黒人たちもヴィクトリア女王個人には忠誠誓っており、裁判所襲撃し囚人解放した際に「我々はヴィクトリア女王陛下反乱起こしているわけではないから、陛下所有物略奪してならない」として囚人服置いていかせたという。かのガンジーヴィクトリアインドの自由のために尽く女帝として敬愛していた。 ヴィクトリア自身支配下おさめた非白人国家の王や首長の子供たちを後見したり、教育与えたり自分の名前(男性の場合ヴィクトリア男性名ヴィクターや夫の名前アルバートなど)を与えるなどして「女王人種寛大」というイメージを守ることに努めた

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帝国主義

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ウィンストン・チャーチル」の記事における「帝国主義」の解説

チャーチルロイド・ジョージと並ぶ「急進派リーダー」として知られていたが、1909年頃からロイド・ジョージともども自由帝国主義となったチャーチルの帝国主義はある程度柔軟性があったものの、基本的に絶頂期ヴィクトリア朝大英帝国未だ続いているかのような幻想帝国像を思い描いていた。若い時のキューバでの反乱鎮圧経験から、「イギリス人支配民族としての責任感強くすれば、搾取ではなく、被支配民族慈悲与えるものとなっていく」という考え抱いていた。 チャーチル第二次大戦中1942年11月に「私は大英帝国清算するために首相になったのではない」と宣言した。これはかねてから大英帝国破壊目論んでいたアメリカルーズベルト大統領けん制した演説だった。ルーズベルトはしばしチャーチルの帝国主義精神批判し面と向かって「貴方の血には400年植民地獲得本能流れている」などと発言してきたこともある。一方チャーチルの方もルーズベルトに「貴方は大英帝国無くそうとしているとしか思えないと言い返したことがあるチャーチルが独伊で独裁政治を敷くアドルフ・ヒトラームッソリーニに対して抱いていた共感一つに「優等文明劣等文明支配指導する」という理論があった。 チャーチル常々インド人インド文明を「劣等視」し、「イギリスによって支配されることが必要不可欠」と確信していた。「インド人選挙制度与えるべきか否か聞かれた際にチャーチルは「彼らはあまりにも無知なので誰に投票したらいいか分かるはずもない。彼らは人口45万人4、5人が集まっての共通の問題討論するような簡単な組織さえ作ることができない身分卑しい原始的人種なのだ。」と答えている。 世界中の人たちが、「日露戦争で(イギリス同盟国ではあったものの)有色人種国家の日本人白人種国家ロシア打ち破ったこと」を目のあたりにし、第二次世界大戦が始まる頃には、カナダオーストラリアニュージーランドなど白人自治政府帝国忠実だったものの、インドマレー半島ビルマなどの有色人種植民地住人たちはもはや忠実ではなくなっていた。この頃には有色人たちも情報多く入手するようになっており、「戦争の意味」や「帝国支配され続ける意味」に疑問感じはじめていた。 そして彼らの多く枢軸国連携することで、過酷なイギリスの植民地支配立ち向かった。たとえばイギリス委任統治領パレスチナイスラム教最高指導者大ムフティー)であるアミーン・フサイニードイツへ逃れ、「ムスリム解放軍」を組織してイギリス反旗を翻した英領ビルマ民族主義者アウンサン日本逃れてビルマ防衛軍」を組織したイギリス領インド帝国チャンドラ・ボースドイツで「自由インド部隊ドイツ語版)」、日本日本統治下シンガポールで「インド国民軍」を組織しイギリス戦った1942年日本軍マレー作戦によるシンガポール陥落は、アジアにおけるイギリス威信決定的に崩壊させた。勇気得たインド人たちは、同年から反英闘争インドから出て行け運動を開始した。これに対してチャーチル徹底的弾圧をもって臨みガンジーネルーヒンズー教指導者など1万人以上の者を投獄した。だが、それもむなしく大戦が終わるまでにイギリスの植民地支配体制根底から揺さぶられた。枢軸国協力したチャンドラ・ボースラス・ビハリ・ボースA.M.ナイルそして彼らの指揮にあったインド国民軍兵士たち殉教者としてインド国民の間で英雄視されていくことにイギリス人たちは落胆したチャーチル恐れていた通り戦後労働党政権インドの民族主義者たちに譲歩姿勢見せた時、後は全て時間の問題となり、一気インド独立まで突き進んでいった。イギリスインド放棄した後、マレービルマなど他のアジア植民地なし崩し的独立していった。波及アジアに留まらなかった。第二次世界大戦中イギリス軍アフリカ植民地住民たちを駆りだしてドイツ軍日本軍戦わせていた。この戦い通じてアフリカ人兵士たちは「絶対的支配者」だと思っていたイギリス人無敵存在でもなんでもないことを知った。彼らは復員した後、第二次世界大戦での見聞生かしてイギリス植民地支配との戦い主力となり、ついにアフリカ各国独立実現した戦後アジアアフリカ独立の嵐が過ぎ去ったあと、イギリス残されたものイギリス連邦という加盟国を縛る規則が何もなく、「女王戴くか否か(=君主制維持する共和制移行するか)」までもが自由という奇妙な連邦けだったヒトラー自殺の少し前に大英帝国はすでに滅び運命にある」と予言しチャーチルを「帝国墓掘り人」と呼んで批判していた。ヒトラーによればチャーチルフランス戦後すぐにドイツとの講和に応じていれば、大英帝国引き続き繁栄謳歌していただろう」という。そして「こんな大酒のみユダヤ化したアメリカ人チャーチルではなく小ピットのような人物イギリス差配するきだった」と結論している。

※この「帝国主義」の解説は、「ウィンストン・チャーチル」の解説の一部です。
「帝国主義」を含む「ウィンストン・チャーチル」の記事については、「ウィンストン・チャーチル」の概要を参照ください。

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帝国主義

出典:『Wiktionary』 (2021/08/22 05:45 UTC 版)

名詞

帝国 主義ていこくしゅぎ

  1. 19世紀後半資本主義諸国軍事背景にして、アジアアフリカ原料入手製品輸出求めるだけでなく、資本そのもの投下して経済的自由行動行い相手経済って、植民地勢力範囲広げた運動

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