座談会「近代文學の反省」
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「近代文学 (雑誌)」の記事における「座談会「近代文學の反省」」の解説
伊吹武彦主宰の雑誌『世界文學』1946年10月号に近代文學同人による座談会「近代文學の反省」が掲載された。 平野 近代文學を語る――といふ座談會のテーマは、世界文學の觀點からと、日本の近代文學といふ點からと解釋されるわけですが、まあ身近かな近代日本文學の成立ちその確立といふやうな問題から、世界文學的觀點まで押しひろめて行つたらどうかと思ふのです。ひとつ――プロレタリア文學運動における個人の位置、もつとひろくプロレタリア文學運動といふものが現在の立場から見て、どういふプラスとマイナスとを持つてゐたかといふ點で山室君、何か意見ない?山室 マルキシズムの理論からいへば、だいたい個人の意識といふものは、社會の経済的政治的な發展の上部構造として、獨立な意識といふものをあまり認めないわけだね。さうなると、結果としては現實追随といふ傾きがどうしても出て来ると思ふ。そこで戰争になつたんだから仕方がない、なるべくソツとやりすごさうといふふうにも考へられるわけだがね。一方に……。 埴谷 うん。もつと理想的な形でいへば、戰争になつても戰争に反對しようといふ、もつと積極的な立場も一つの假定としてはとり得たわけなんだね。さういふことをしないで仕方がないんだといふ具合に受け流して來た。そこが非常にマイナスの面ぢやないかと思ふね。 佐々木 仕方がないとは考へてゐなかつたんだらう。やはり内心では戰争に反對してゐたわけだね。戰争は勿論嫌惡してゐたわけだよ。だけど、現實の努力として戰争に反對ができない、反戰運動もできないといふことにたいする痛切な自己批判ね、さういふものはなかつたんぢやないか。 埴谷 さうなんだ。僕が仕方がないといふのは、反對できないといふことにたいして、今度は反對できないならできないで、自分の個人にたいする再認識を明白にしなかつた點をいふのだがね。さういふことの淵源は、プロレタリア文學における個人、もつと具體的にいへば、プロレタリア文學の中における小ブルジヨア、インテリゲンツイアの自主的ないろいろな働き、さういふものにたいして傳統的に非常に輕く考へる、といふやうなことがあつたんぢやないかと思ふのだね。 佐々木 つまりこの戰争は帝國主義戰争である。フアシズムの侵略戰争である。だから理論的にいへば當然その反動に反對するといふ程度のこと、つまりおれは正しい理論を知つとるぞ、といふことだけでひそかに満足してゐなかつたか。 荒 さういふ政治的な割切れぬ反感、それを自分の生身に引寄せた感じ方をするといふところまでゆかなかつた。それはプロレタリア文學が、亞流文學あるひは政治的文學であつたところに原因があるやうに思ふのだね。 平野 とにかくプロレタリア文學運動といふものは、日本の近代文學に一應締括りをつけるわけだね。さういふ近代日本文學の一つの決着點であるプロレタリア文學運動が、昭和九年一應挫折して、さうして戰争になつたわけだが、それが今荒君が言つたみたいに弱點を戰争中露呈したといふことになれば……。 佐々木 つまりね、轉向問題が起つて……。 荒 轉向の初期においてはやはり皆心から良心的に惱んでゐるのだね。それが戰争になると初めからあきらめてしまつてゐる。だから轉向したといつても良心に疚しい思ひをしなくて済むといふふうになつてしまつた。 平野 さういふ自己批判の不徹底といふことね。それは例へば、プロレタリア文學運動が敗北して、その後に轉向文學が出て、一般にいへば不安の文學といふやうなものが發生したわけなんだ。あるひは主體的なリアリズムといふやうな、非常に個體的なものにアクセントを持つてをつたもの、それから行動主義といふふうなもの、浪漫派といふものが出て來た。プロレタリア文學の一應の枠が外づれたときに、混沌としたいろいろな芽が出て來たわけだ。その場合プロレタリア文學運動を擔當した主な人たちが、次に興つて來るいはゞ不安の文學といふふうなものをどういう風に見てゐたかね。………(以下略)
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