金丸信
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金丸 信(かねまる しん、1914年〈大正3年〉9月17日 - 1996年〈平成8年〉3月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(12期)、副総理、民間活力導入担当大臣、防衛庁長官(第35代)、建設大臣(第34代)。
注釈
- ^ 金丸家は子どもの名を『南総里見八犬伝』にちなんだ命名を行っており、3番目に生まれた長男は「信」と名づけられた。なお、兄弟は上から、禮(礼)、悌、信、仁、忠、智義と付けられている。
- ^ 旧制身延中では、父の友人が剣道の師範をしていたことから剣道をはじめるが、試合で頭を叩かれたことから剣道嫌いとなり、柔道に精進するようになったという。東京農大時代には「農大に金丸信あり」として知られ、日本代表の「柔道使節団」として2度満洲に渡っている。
- ^ 桜桃は山梨県の名産であるが、金丸の卒業論文は太平洋戦争による空襲で農大が被災した際に焼失している。
- ^ 柔道をしていたことから、体格がよく、自分のサイズに合う軍服がなかったという。
- ^ 金丸のワイン工場には昭和天皇、香淳皇后の工場視察を迎えている。なお、このワイン工場は現在のサントネージュワインの工場となっている。
- ^ 金丸、竹下、小沢は三重の縁戚関係であり、竹下の弟、亘の妻と小沢の妻は姉妹であった
- ^ 野中広務の著書によると、金丸は野中に「社会党との連立は俺が最初に考えていた。しかし、田辺は何らかの事情があってできなかった」と語っていたという(実際、社会党は左右再統一後も左派が優位に立ち、右派出身の田邊誠がリーダーシップを発揮することはできなかった)。
- ^ 元々経世会と宏池会は自由党吉田茂派の流れを汲む兄弟派閥であり、自民党の派閥では友好関係が深かった。
- ^ この「大物商工人」とは、朝鮮総連の副議長で東海商事という貿易会社の会長をしていた安商宅だと考えられている[33]。
出典
- ^ a b c d e f g h i “柔道・実業家…「政界のドン」金丸信の青年期(政客列伝)”. 日本経済新聞 電子版 (2011年7月31日). 2019年2月12日閲覧。
- ^ 翼賛壮年団については雨宮昭一「翼賛壮年団の結成」『山梨県史』通史編6近現代2
- ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、210頁。NDLJP:1276156。
- ^ a b c “身代わり出馬でトップ当選(政客列伝 金丸信)”. 日本経済新聞 電子版 (2011年8月7日). 2019年2月12日閲覧。
- ^ a b c d e “保利茂に師事、田中内閣実現に奔走(政客列伝 金丸信)”. 日本経済新聞 電子版 (2011年8月14日). 2019年2月12日閲覧。
- ^ 世代交代論を唱える 「政界のドン」金丸信 (4) :日本経済新聞
- ^ 坂本龍彦『風成の人―宇都宮徳馬の歳月』岩波書店、p168
- ^ 衆議院会議録情報 第084回国会 内閣委員会 第22号 1978年6月6日 衆議院内閣委員会議事録
- ^ “岸と金丸、対日政界工作=親台派取り込み-中国建国70年秘史”. 時事通信. (2019年10月6日) 2019年10月6日閲覧。
- ^ 重村智計 (2006). 外交敗北. 講談社. p. 94
- ^ 『平成政治史 1』, p. 102.
- ^ a b c d 芹川洋一著、平成政権史、日経プレミアシリーズ、2018年、43-45頁、日本経済新聞出版社
- ^ 『聞き書 宮澤喜一回顧録』聞き手御厨貴・中村隆英、岩波書店、2005年、308頁
- ^ 城山英巳『中国共産党「天皇工作」秘録』p127、文春新書、平成21年
- ^ 【栃木の戦後70年】「パーン、パーン、パーン」 銃声3発 2000人の聴衆騒然 金丸副総裁狙撃事件 産経新聞(2015年10月26日)
- ^ Sunday世界日報 1992.4.5(世界日報社)
- ^ 『官報』第1022号11ページ「国会事項 衆議院 議員辞職」、1992年(平成4年)10月23日
- ^ “第124回国会 衆議院 議院運営委員会 第3号 平成4年10月21日”. 国会会議録検索システム. 2020年8月23日閲覧。
- ^ 『平成政治史 1』, pp. 152–153.
- ^ 『官報』第1864号9ページ「国会事項 衆議院 弔詞」、1996年(平成8年)4月3日
- ^ 金丸信吾「金丸信 政界のドン晩年の日々」『文藝春秋』2008年2月号、文藝春秋社。
- ^ “[ニュース分析]許宗萬議長・家宅捜索は朝鮮総連没落の劇的な象徴”. japan.hani.co.kr. ハンギョレ新聞 (2015年5月23日). 2019年2月12日閲覧。
- ^ 奥島, p. 20.
- ^ 三反園訓『ニュースステーション政治記者奮闘記』ダイヤモンド社、2003年、pp.76-82。
- ^ 読売新聞、2002年11月12日
- ^ 『週刊新潮』 2011年2月24日号 60頁(新潮社)『金権「金丸信」元副総理遺族が「老人ホーム園長」で「かっぱ寿司」』文中参照
- ^ 吉川美代子『アナウンサーが教える 愛される話し方』朝日新書、2013年、185頁。
- ^ 志岐叡彦『[投稿]護衛艦「しらね」の改名を要望する』軍事研究 1993年6月号 ジャパン・ミリタリー・レビュー
- ^ 事件・犯罪研究会 村野薫「明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典」821頁、東京法経学院出版、2002年 ISBN 4808940035。なお、犯人は無期懲役判決が言い渡されている。
- ^ 原田泰「奇妙な経済学を語る人々」日本経済新聞社、P220
- ^ 岡崎久彦「クーデターの政治学」p.76-78 中公新書
- ^ <16> 政治とカネ 屈指の「集金力」 派閥運営 生きて 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年~) 中国新聞、2020/2/27
- ^ a b c d e f g h i j k “田口八重子さんを救うぞ!」-東京連続集会71報告5(2013/02/07)”. 救う会全国協議会ニュース. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会. 2022年1月3日閲覧。
- ^ 『官報』第9617号187-188頁 昭和34年1月16日号
- ^ 『官報』第10584号39-42頁 昭和37年4月3日号
- ^ 『立ち技寝技 : 私の履歴書』日本経済新聞社
- ^ “甲府商工会議所、新会頭に進藤中・山梨中央銀行会長”. 日本経済新聞 (2019年11月1日). 2021年12月7日閲覧。
- ^ a b c “金丸信氏の没後20年、山梨に残したもの”. 日本経済新聞 (2016年3月26日). 2021年12月7日閲覧。
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