会津藩 危機管理

会津藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 04:01 UTC 版)

危機管理

保科正之は凶作による飢饉に備えて明暦元年(1655年)に社倉制度を開始した[54]。これは藩で米を7000俵余り買い入れて各代官に預け、翌年から通常よりかなり低率の2割の利子で困った百姓に貸し付け、その利子で年々蓄えるべき米を増やして凶作の備えとしたのである[54]。また実際に飢饉が起こり、病人や工事人足、新田開発者や火災被害者などには無償で提供する例もあった[54]。保科正之は各村に社倉と呼ばれる倉を創設して収納し、備蓄米は最大で5万俵になり、領内の23箇所に社倉が建設された[54]

江戸時代以前の若松城主

蒲生家

91万9千石(1590年 - 1598年)

氏名 よみ 官位・官職 在任期間 備考
1 氏郷 うじさと 正四位下
参議
天正18年 - 文禄4年
1590年 - 1595年
2 秀行 ひでゆき 従三位
飛騨守侍従
文禄4年 - 慶長3年
1595年 - 1598年
先代の次男

上杉家

120万石(1598年 - 1601年)

氏名 よみ 官位・官職 在任期間 備考
1 景勝 かげかつ 従三位
参議
慶長3年 - 慶長6年
1598年 - 1601年

歴代藩主

蒲生家

外様 - 60万石(1601年 - 1627年)

氏名 よみ 官位・官職 在任期間 前藩主との続柄・備考
1 秀行 ひでゆき 従三位
参議
慶長6年 - 慶長17年
1601年 - 1612年
再封
2 忠郷 たださと 従三位
参議
慶長17年 - 寛永4年
1612年 - 1627年
先代の長男

加藤家

外様 - 40万石 (1627年 - 1643年)

氏名 よみ 官位・官職 在任期間 前藩主との続柄・備考
1 嘉明 よしあき 従四位下
左馬頭
寛永4年 - 寛永8年
1627年 - 1631年
2 明成 あきなり 従四位下
式部少輔侍従
寛永8年 - 寛永20年
1631年 - 1643年
先代の長男

会津松平(保科)家

親藩 - 23万石(1643年 - 1868年)

氏名 よみ 官位・官職 在任期間 前藩主との続柄・備考
1 正之 まさゆき 正四位下
肥後守
寛永20年 - 寛文9年
1643年 - 1669年
2 正経 まさつね 従四位下
筑前守
寛文9年 - 天和元年
1669年 - 1681年
先代の四男
3 正容 まさかた 正四位下
肥後守
天和元年 - 享保16年
1681年 - 1731年
先代の弟
初代正之の六男
松平に改姓
4 容貞 かたさだ 従四位下
肥後守
享保16年 - 寛延3年
1731年 - 1750年
先代の三男
5 容頌 かたのぶ 正四位下
肥後守
寛延3年 - 文化2年(享保元年)
1750年 - 1805年
先代の長男
6 容住 かたおき 従四位下
肥後守
文化2年
1805年
松平容詮の長男
7 容衆 かたひろ 従四位下
肥後守
文化3年 - 文政5年
1806年 - 1822年
先代の次男
8 容敬 かたたか 正四位下
肥後守
文政5年 - 嘉永5年
1822年 - 1852年
美濃高須藩主松平義和の三男
9 容保 かたもり 正三位
参議
嘉永5年 - 慶応4年
1852年 - 1868年
先代の甥
美濃高須藩主松平義建の六男
10 喜徳 のぶのり 従四位下
若狭守
慶応4年
1868年
水戸藩主・徳川斉昭の十五男、徳川慶喜の実弟

家老

会津松平家時代

会津藩では家老を出す家柄を三家(北原、内藤、田中)、六家(簗瀬、西郷、高橋、小原、井深、三宅+梶原)と呼称する。

三家

  • 北原家(北原妥女家 2800石) - 北原光次は保科正光、正之に仕えた。一説に正光の庶子といわれる。
  • 内藤家(内藤介右衛門家 2200石) - 内藤昌月[注釈 3]の孫の自卓は、保科正之に仕えた。子孫は武川姓を名乗り、後に本家は内藤姓を名乗る。当主の仮名は源助、介右衛門。
  • 田中家(田中三郎兵衛家 会津藩内2000石)
    田中正玄玄宰…玄良-玄清

六家

  • 簗瀬家(梁瀬三左衛門家 2200石) - 梁瀬正真(柳瀬正真)は元最上家家臣で、最上家改易後に正之に仕えた。
  • 西郷家(西郷頼母家 1700石・藩主一門) - 称:保科姓
    保科正勝(保科正俊の次男)
    -正近-正長=西郷近房(西郷元次の次男・正近の外孫)
    近方-近張-近致=近義-近寧-近光近思保科近悳(西郷頼母)西郷四郎(会津藩士・志田貞二郎の三男)
  • 高橋家(高橋外記家 1300石) - 元鳥居忠政の家臣で、鳥居家改易後に正之に仕える。
  • 小原家(小原五郎右衛門家 1200石) - 小原俊胤は保科正俊の娘を娶り保科家に仕えた。俊胤の曾孫の光俊は正之に仕える。
  • 井深家(井深茂右衛門家 1000石) - 井深重吉は保科家譜代の家臣で、甲州征伐の際に武田勝頼の人質となっていた保科正光を救出した。孫の重光は正之に仕える。
  • 三宅家(三宅孫兵衛家 1400石) - 三宅重直は元鳥居忠政の家臣で、鳥居家改易後に正之に仕える。
  • 梶原家(梶原平馬家 1000石) - 甲斐武田家の浪人だった梶原景信は貧しく親を養えず、弟にキリシタンだと嘘の訴えをさせ報奨金を得ようとした。この評判を聞いた正之に召抱えられる。
  • 神保家(重臣) - 徳川家に仕えた神保氏張の子・長利は、上杉家、最上家、鳥居家に仕えた後に正之に仕えた。幕末の神保利孝(神保内蔵助)は子孫。
    神保内蔵助 - 修理
  • 横山家 - 横山光定は九・六騒動により本多家を浪人し、その子常定は会津藩に仕えた。常定の娘栄光院 が、3代藩主正容の寵愛を受けたため横山家も取り立てられた。
    横山常元=常徳(横山常明の二男・常元の甥)=常守(常徳の養子・常道の遺子)
  • 諏訪家(誠訪大四郎家 1700石) - 諏訪頼忠の孫重光は高遠城主の保科正光に仕えた。父は頼定。

注釈

  1. ^ 氏郷が出世の端緒となった伊勢松ヶ島(松坂)以来、「松」は縁起の良い字として採用された。
  2. ^ 会津若松城は鶴ヶ城ともいわれるが蒲生家の家紋は舞鶴紋であるため名づけられた。
  3. ^ 保科正俊の子で、系譜上は大叔父にあたる。
  4. ^ 現在は練馬区へ移転している。

出典

  1. ^ 野口 2005, p. 10.
  2. ^ 野口 2005, p. 11.
  3. ^ a b 野口 2005, p. 12.
  4. ^ a b c 野口 2005, p. 14.
  5. ^ 野口 2005, p. 13.
  6. ^ a b 野口 2005, p. 15.
  7. ^ 野口 2005, p. 16.
  8. ^ a b c 野口 2005, p. 17.
  9. ^ a b c 坂本 2011, p. 13.
  10. ^ 糠澤 2011, p. 12.
  11. ^ a b c 野口 2005, p. 19.
  12. ^ 糠澤 2011, p. 13.
  13. ^ 野口 2005, p. 20.
  14. ^ a b 野口 2005, p. 21.
  15. ^ a b 野口 2005, p. 22.
  16. ^ a b c d 野口 2005, p. 23.
  17. ^ a b c 野口 2005, p. 24.
  18. ^ a b 野口 2005, p. 25.
  19. ^ a b 野口 2005, p. 26.
  20. ^ a b c d e 野口 2005, p. 27.
  21. ^ 糠澤 2011, p. 14.
  22. ^ 糠澤 2011, p. 15.
  23. ^ a b c 野口 2005, p. 28.
  24. ^ a b 野口 2005, p. 29.
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  26. ^ a b c 野口 2005, p. 31.
  27. ^ a b 糠澤 2011, p. 23.
  28. ^ a b 野口 2005, p. 34.
  29. ^ a b 野口 2005, p. 40.
  30. ^ 野口 2005, p. 41.
  31. ^ 野口 2005, p. 35.
  32. ^ a b 野口 2005, p. 43.
  33. ^ 野口 2005, p. 47.
  34. ^ 野口 2005, p. 57.
  35. ^ a b 野口 2005, p. 56.
  36. ^ 野口 2005, p. 87.
  37. ^ a b 野口 2005, p. 88.
  38. ^ 野口 2005, p. 89.
  39. ^ 野口 2005, p. 91.
  40. ^ 野口 2005, p. 92.
  41. ^ 野口 2005, p. 86.
  42. ^ a b 野口 2005, p. 112.
  43. ^ a b 野口 2005, p. 113.
  44. ^ a b 野口 2005, p. 157.
  45. ^ a b 野口 2005, p. 153.
  46. ^ 野口 2005, p. 159.
  47. ^ 野口 2005, p. 162.
  48. ^ 会津若松市観光公社『えっ!?会津が首都??』。
  49. ^ 2011年2月7日の朝日新聞朝刊10面
  50. ^ 「戊辰戦争中の会津、庄内両藩 蝦夷地所領 プロイセンに提示 資金か軍隊派遣と引き換えに」『読売新聞』朝刊2017年5月17日文化面
  51. ^ 野口 2005, p. 197.
  52. ^ 『「明治150年」を強調』朝日新聞2018年1月23日
  53. ^ a b c d 野口 2005, p. 45.
  54. ^ a b c d 野口 2005, p. 44.
  55. ^ 野口信一著『会津えりすぐりの歴史』平成22年6月歴史春秋社
  56. ^ 『青森県史 第8巻』 161頁
  57. ^ 『野辺地町史 通説編第二巻』 48頁
  58. ^ 葛西富夫著『斗南藩史』昭和46年8月斗南会津会
  59. ^ 『五戸町誌下巻』五戸町誌刊行委員会
  60. ^ 『秩禄処分顛末略』 229頁
  61. ^ 『会津若松史』 240頁






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