佐川官兵衛とは? わかりやすく解説

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佐川官兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/31 14:33 UTC 版)

 
佐川官兵衛 / 佐川直清
(中央)佐川官兵衛
時代 江戸時代末期(幕末) - 明治時代初期
生誕 天保2年9月5日1831年10月10日
死没 明治10年(1877年3月18日 (45歳没)
別名 勝(字)、直清(諱)
鬼の官兵衛、鬼佐川(渾名)
墓所 大分縣護國神社
長福寺(福島県喜多方市
幕府 江戸幕府
主君 松平容保
会津藩
氏族 佐川氏
父母 父:佐川直道
兄弟 官兵衛、又四郎、ほか
前妻:町野主水の姉
後妻:町野伊佐衛門の娘
直諒
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佐川 官兵衛(さがわ かんべえ)は、幕末会津藩士。明治時代の警察官は勝、直清[1]

生涯

幕末

会津藩士・佐川直道(家禄は300)の子として生まれた。文久2年(1862年)には藩主・松平容保に従って上洛し、物頭を務めたのち学校奉行に任じられた。

慶応4年(1868年1月鳥羽・伏見の戦い後は会津に戻って越後戦線へ出陣したが、戦況が不利になると奥羽越列藩同盟諸藩とともに戦線を離れて会津へ帰還し、若年寄、のち家老に進んだ。会津戦争では、8月29日に精鋭約1,000を率いて城外出撃の指揮官を任じられたが、出陣前夜に藩主から賜った酒に酔い、早暁に出撃が遅れて敗北を喫した(長命寺の戦い)。だが、9月5日の材木町(住吉河原)の戦いでは、少数の兵で新政府軍を破り、鶴ヶ城への糧道を確保した。戦後は藩主や家老、若年寄とともに東京謹慎した。

明治

旧会津藩が斗南藩として再興されると、青森県三戸郡五戸町へ移住した。廃藩後は川路利良の懇請により警視庁に出仕し、一等大警部に任命された。明治10年(1877年)の西南戦争では戦役初期より豊後口第一号警視隊一番小隊長[2]として従軍し、豊後から熊本県阿蘇郡に転戦、同地における二重峠の戦いにおいて被弾、戦死した。享年47。墓は大分縣護國神社と福島県喜多方市の長福寺にある。

人物

  • 性格は直情的だが人情に厚く、多くの会津藩士から信頼されていた。武勇に秀で、薩長から「の官兵衛」、「鬼佐川」、「鬼官兵衛」と恐れられた。
  • 西南戦争で進駐した南阿蘇では官軍の略奪行為を厳しく戒め、地元民に慕われたと言う。南阿蘇には十数カ所の佐川官兵衛慰霊碑が存在する[3]

家族

脚注

参考文献

  • 会津史談会『会津戦争のすべて』新人物往来社、1980年

関連作品

小説
テレビドラマ

関連項目


佐川官兵衛(さがわ かんべえ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 18:13 UTC 版)

SIDOOH/士道」の記事における「佐川官兵衛(さがわ かんべえ)」の解説

会津藩家老会津藩藩校日新館講釈所の指導者。剣の腕前超一流で、翔と源は初めて剣を交えた際に格の違い痛感した日々の鍛錬欠かさない性格直情的だが人情厚く生徒からの信頼も厚い。江戸で火消し殺めてしまった為に謹慎となっている。身寄りの無い相馬兄妹面倒を見ている。勝が翔と源に紹介した剣士。剣を構えずとも発せられる威圧感に翔は手も足も出なかった。腕が無いにも関わらず武士切腹という源を徹底的に打ちのめしたその後切腹決意固めた源の命を預かるなど温情ある対処をした。翔に縁談持ちかける断られる謹慎中のため早川の護衛白連隊託す。源からは「官兵兄貴」と呼ばれている。白心郷との最終決戦では活躍を果たす。

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