相模屋
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「用心棒日月抄の登場人物」の記事における「相模屋」の解説
相模屋吉蔵(さがみや きちぞう) 【第1~3巻】 又八郎が仕事を紹介してもらっている口入れ屋で、神田橋本町に店を構える。50歳くらい。色黒の丸顔で、狸に似ている。無愛想だが、案外親切なたち。しかし、時折怪しい危険な仕事をさりげなく回してくることがあるため、油断がならない。しがない口入れ屋にしか見えないが、大老格の柳沢出羽守や老中の小笠原佐渡守ら幕府要人からの仕事を請け負うことがある。 細谷源太夫(ほそや げんだゆう) 【第1巻】 又八郎の用心棒仲間。30代半ば。髭面で、雲を突くほどの巨漢。5人の子持ち(又八郎と知り合った年の秋には6人目が誕生した)。 又八郎には及ばないものの剣はかなり遣う。人はいいが、がさつで、酒や女にもだらしない面がある。 4年前に美作国津山藩の森家に仕えていたが、藩がつぶれたために浪人になったと、本人は語っている。 【第2巻】 相変わらず用心棒稼業を続けている。年のせいか、骨惜しみをするようになったと又八郎は感じる。米坂が名誉を回復して帰参する際は、それを祝福しながらも、帰参する先のない我が身を思い、うらやましくないと強がりを言った。又八郎は、帰国する前、国元で細谷の仕事を見つけると約束した。 【第3巻】 又八郎が、先の約束に従って水門番の仕事を紹介したが、これを断ってしまう。後に江戸で再会した際、その理由は妻が過労で倒れ、気が滅入ったためだと語った。 7000石の大身旗本、近藤備前守の家に臨時の中間として雇われた折、主人の駕籠が往来の喧嘩騒ぎに巻き込まれ、家士2名が浪人者に斬られて怪我を負う事件が起こった。その際、細谷が浪人や喧嘩相手の男たちを易々と叩きのめしたため、主の信頼を勝ち取り、正式な家士として30石で取り立てられることになった。 塚原左内(つかはら さない) 【第1巻】 40歳過ぎの浪人。相模屋に来て最初の仕事で又八郎と組んだ。敵が襲撃してきた際は刀も抜けず、剣の腕はさっぱりだと思われた。しかし、たびたび見せる行動に不審を感じた又八郎が素性を洗ってみると、身元引請け証文を偽造して相模屋に潜り込んだことが判明する。正体は、赤穂浪士を支援していた備前屋の女将おちせを襲撃した組織の一味であった。実際にはかなりの剣の遣い手だったが、又八郎によって斃される。 米坂八内(よねさか やない) 【第2巻】 小柄でそら豆のような細長い顔を持つ、40歳近い浪人。又八郎の帰国後まもなく相模屋を通じて働くようになった。あごの横に毛が数本はえたほくろがあるため貧相に見えるが、又八郎もほれぼれするような剣の遣い手であり、又八郎、細谷と共に、相模屋お抱え用心棒の金看板を担う。 妻が労咳を患っており、看病のために徹夜仕事は受けられなかったが、妻の病状が快方に向かうにつれ、夜を徹しての仕事も請け負うようになった。それで分かったことだが、細谷以上に大きないびきをかき、同じ部屋で寝ることになった又八郎は眠ることができなかった。 元は丹波国園部藩で小納戸役を勤めていた。先に不行跡で領外追放となった同僚の田村が公金を横領していたが、これを米坂の仕業と疑われて浪人となった。江戸に潜伏していた田村を、又八郎や細谷の協力で捕まえると、名誉と旧禄を回復されて、妻と共に国元に戻っていった。 おいね 【第1巻】 吉蔵の一人娘。又八郎が相模屋を訪問したときにお茶を出してくれることがあるが、無口。母親は早くに亡くしている。 【第3巻】 相変わらず無口だが、顔が吉蔵ではなく死んだ母親に似ているらしく、笑顔がかわいい。そろそろ婿を迎える年頃だと又八郎が発言しているが、どうやら吉蔵はまだ早いと思っているらしい。 細谷の妻 【第1巻】 20代半ばの気性明朗な美女。15歳で嫁に来て以来、6人の子を産んだ。 【第3巻】 これまで、不安定な細谷の稼ぎの中で、内職に精を出し、家計を切り盛りし、子育てに奮闘し、骨惜しみの癖が出てきた細谷の尻を叩いてきたが、又八郎が細谷に水門番の仕事を紹介した頃、ついに過労で倒れてしまった。江戸に戻った又八郎は、谷口にもらった支度金の中から、見舞いとして5両を贈った。
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「用心棒日月抄の登場人物」の記事における「相模屋」の解説
相模屋吉蔵(さがみや きちぞう) 橋本町にある口入れ屋の主人。1~3巻で、又八郎が浪人していた際、仕事(主に用心棒)を紹介してくれた。64歳。江戸に戻ってきた又八郎が挨拶に赴いた際、細谷が浪人し、3年ほど前から相模屋で用心棒の仕事をしていることを告げた。 以前は狸を思わせる丸顔だったが、1度大病を患って死にかけ、2,3年寝込んでいたため、顔が細長くなってしまった。そして、又八郎と再会した年の夏の終わりに、2度目の卒中を起こして死んだ。 おいね 吉蔵の一人娘。30代半ば。婿を取り、最近子どもが1人生まれた。3巻の頃までは色黒で無口な娘だったが、結婚してからは色白になり、かなりおしゃべりになった。 婿に迎えた夫は、富沢町の小さな古手屋「野田屋」で通いの番頭をしている。吉蔵が死んだ後、夫が本所の古手屋に番頭として引き抜かれることになり、近くに引っ越していった。 初村賛之丞(はつむら さんのじょう) 相模屋で仕事を得ている浪人。身なりはこざっぱりとした、細面の美男子で、細谷によれば丹石流の名手。 よく細谷と組んで用心棒仕事を行なっている。これまで、年を取った上に酒毒に冒されて戦力にならない細谷を、何度も助けてきた。細谷の現住所は吉蔵も知らず、又八郎は初村を通じて細谷に再会することになる。 いつも暗い剣気がまとわりついているが、細谷は彼が丹波あたりの出身で、敵持ちであると又八郎に語った。かつて契りを交わした女が別の男と結婚したことに激高し、その男と女を斬ってしまったという。最終的には、斬られた男の親族に発見され、斬られてしまった。又八郎は、たまたまその現場に居合わせ、敵討ちの立ち会い人になった。後に細谷は、もし敵討ちの者に発見された場合には、初村は斬られてやるつもりだったと言った。
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「橋廻り同心・平七郎控」の記事における「相模屋」の解説
清左衛門(せいざえもん) 深川の材木問屋「相模屋」の主であり、秀太の父。その縁で、相模屋は橋の修理が必要な時に材木を調達し、修理も受け持つ。災害や火事の後などに材木の値が高騰しても、通常の値で取引してくれるため、平七郎たちはとても助かっている。 おきの 清左衛門の妻で、秀太の母。50代半ばの年頃。 喜平(きへい) 相模屋の番頭。 勘八(かんぱち) 相模屋抱えの大工の棟梁。
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