相模屋とは? わかりやすく解説

相模屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 04:14 UTC 版)

用心棒日月抄の登場人物」の記事における「相模屋」の解説

相模屋吉蔵(さがみや きちぞう) 【第1~3巻又八郎が仕事紹介してもらっている口入れ屋で、神田橋本町店を構える50歳くらい。色黒丸顔で、似ている無愛想だが、案外親切なたち。しかし、時折怪し危険な仕事さりげなく回してくることがあるため、油断がならないしがない口入れ屋にしか見えないが、大老格の柳沢出羽守老中小笠原佐渡守幕府要人からの仕事請け負うことがある細谷源太夫(ほそや げんだゆう) 【第1巻又八郎の用心棒仲間30代半ば髭面で、を突くほどの巨漢。5人の子持ち又八郎と知り合った年の秋には6人目誕生した)。 又八郎には及ばないものの剣はかなり遣う。人はいいが、がさつで、酒や女にだらしない面がある4年前に美作国津山藩森家仕えていたが、藩がつぶれたために浪人になったと、本人語っている。 【第2巻】 相変わらず用心棒稼業続けている。年のせいか、骨惜しみをするようになった又八郎は感じる。米坂が名誉を回復して帰参する際は、それを祝福しながらも、帰参する先のない我が身思いうらやましくないと強がり言った又八郎は、帰国する前、国元細谷仕事を見つけると約束した。 【第3巻又八郎が、先の約束に従って水門番の仕事紹介したが、これを断ってしまう。後に江戸で再会した際、その理由は妻が過労倒れ、気が滅入ったためだと語った7000石の大身旗本近藤備前守の家に臨時中間として雇われた折、主人駕籠往来喧嘩騒ぎ巻き込まれ家士2名が浪人者に斬られて怪我を負う事件起こったその際細谷浪人喧嘩相手男たち易々と叩きのめしたため、主の信頼勝ち取り正式な家士として30石で取り立てられることになった塚原左内(つかはら さない) 【第1巻40歳過ぎの浪人。相模屋に来て最初の仕事又八郎と組んだ。敵が襲撃してきた際は刀も抜けず、剣の腕はさっぱりだと思われた。しかし、たびたび見せ行動不審感じた又八郎が素性洗ってみると、身元引請け証文偽造して相模屋に潜り込んだことが判明する正体は、赤穂浪士支援していた備前屋女将おちせを襲撃した組織一味であった実際にかなりの剣の遣い手だったが、又八郎によって斃される。 米坂八内(よねさか やない) 【第2巻小柄そら豆のような細長い顔を持つ、40歳近い浪人又八郎の帰国後まもなく相模屋を通じて働くようになった。あごの横に毛が数本はえたほくろがあるため貧相に見えるが、又八郎もほれぼれするような剣の遣い手であり、又八郎、細谷と共に、相模屋お抱え用心棒金看板を担う。 妻が労咳患っており、看病のために徹夜仕事受けられなかったが、妻の病状快方に向かうにつれ、夜を徹して仕事請け負うようになった。それで分かったことだが、細谷以上に大きないびきをかき、同じ部屋で寝ることになった又八郎は眠ることができなかった。 元は丹波国園部藩小納戸役勤めていた。先に不行跡領外追放となった同僚田村公金横領していたが、これを米坂仕業疑われ浪人となった江戸潜伏していた田村を、又八郎や細谷協力捕まえると、名誉と旧禄を回復されて、妻と共に国元戻っていった。 おいね 【第1巻吉蔵一人娘又八郎が相模屋を訪問したときにお茶出してくれることがあるが、無口母親早く亡くしている。 【第3巻】 相変わらず無口だが、顔が吉蔵ではなく死んだ母親似ているらしく、笑顔がかわいい。そろそろ婿を迎え年頃だと又八郎が発言しているが、どうやら吉蔵はまだ早い思っているらしい細谷の妻第1巻20代半ば気性明朗な美女15歳で嫁に来て以来、6人の子産んだ。 【第3巻これまで不安定な細谷稼ぎの中で、内職精を出し家計切り盛りし子育て奮闘し骨惜しみの癖が出てきた細谷尻を叩いてきたが、又八郎が細谷水門番の仕事紹介した頃、ついに過労倒れてしまった。江戸戻った又八郎は、谷口もらった支度金の中から、見舞いとして5両を贈った

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相模屋

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用心棒日月抄の登場人物」の記事における「相模屋」の解説

相模屋吉蔵(さがみや きちぞう橋本町にある口入れ屋主人。1~3巻で、又八郎が浪人していた際、仕事(主に用心棒)を紹介してくれた。64歳江戸に戻ってきた又八郎が挨拶赴いた際、細谷浪人し、3年ほど前から相模屋で用心棒仕事をしていることを告げた以前思わせる丸顔だったが、1度大病患って死にかけ2,3寝込んでいたため、顔が細長くなってしまった。そして、又八郎と再会した年の夏の終わりに2度目卒中起こして死んだ。 おいね 吉蔵一人娘30代半ば。婿を取り最近子どもが1人生まれた3巻の頃までは色黒無口な娘だったが、結婚してからは色白になり、かなりおしゃべりになった。 婿に迎えた夫は、富沢町小さな古手屋野田屋」で通い番頭をしている。吉蔵死んだ後、夫が本所古手屋番頭として引き抜かれることになり、近く引っ越していった。 初村賛之丞(はつむら さんのじょう) 相模屋で仕事得ている浪人身なりこざっぱりとした、細面美男子で、細谷によれば丹石流名手。 よく細谷組んで用心棒仕事行なっている。これまで年を取った上に酒毒冒され戦力ならない細谷を、何度も助けてきた。細谷現住所吉蔵知らず又八郎は初通じて細谷再会することになる。 いつも暗い剣気がまとわりついているが、細谷は彼が丹波あたりの出身で、敵持ちであると又八郎に語った。かつて契り交わした女が別の男と結婚したことに激高しその男と女を斬ってしまったという。最終的には、斬られた男の親族発見され、斬られてしまった。又八郎は、たまたまその現場居合わせ敵討ち立ち会い人になった。後に細谷は、もし敵討ちの者に発見され場合には、初は斬られてやるつもりだったと言った

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相模屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/16 08:01 UTC 版)

橋廻り同心・平七郎控」の記事における「相模屋」の解説

清左衛門(せいざえもん) 深川材木問屋「相模屋」の主であり、秀太の父。その縁で、相模屋は修理必要な時材木調達し修理も受け持つ。災害火事の後などに材木の値が高騰しても、通常の値で取引してくれるため、平七郎たちはとても助かっている。 おきの 清左衛門の妻で、秀太の母。50代半ば年頃喜平(きへい) 相模屋の番頭勘八かんぱち) 相模屋抱え大工の棟梁

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