2010年 - 2015年
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「ソニック・スクリュードライバー」の記事における「2010年 - 2015年」の解説
10代目ドクターが使用していたソニック・ドライバーは11代目ドクターがアトラクシの船へ信号を送ろうとした際に破損し、彼は生まれ変わったターディスの制御盤から新たなソニック・ドライバーを受け取っている。11代目ドクターのソニック・ドライバーは以前のものよりも大型であり、光は緑色で、手首を振ると先端部が展開する。 ドクターは幼少期のカズラン・サーディックのために飛翔性の魚類を呼び寄せようとソニック・ドライバーを使い、その半分は呼び寄せられたサメに捕食された。残された片方はカズランが老年期まで保管しており、自己修復能力でサメを再び呼び寄せ、大気に留まっている雲を霧散させることに貢献した。サメに飲み込まれなかった断片はカズランがそのまま所持し、ドクターは今後オリジナルのソニック・ドライバーの複製品を使って旅をすることとなった。 エイミー・ポンドがテッセレクタの中でソニック・ドライバーを使用する際、このバージョンはセッティングをする代わりにサイキックインターフェースを介して動作し、使用者は基本的にボタンを押すだけで考えている操作が可能と説明されている。同エピソードではソニック・ケーンと呼ばれる類似の道具が登場した。 50周年記念スペシャルに先駆けたミニエピソード『ドクターの夜』では、8代目ドクターが二度ソニック・ドライバーを使用している。これは Big Finish のオーディオドラマで数多く使用されたアップデートされたスチームパンクなものではなく、以前に伸縮性のドライバーをテレビ映画で使用したものであった。 50周年記念スペシャル『ドクターの日』では、ウォードクターがもう一つのバージョンのソニック・ドライバーを使用している。デザインはかつて4代目ドクターが使用したものに類似し、リングと先端部の突起は取り除かれ、赤い光と基部の大きな赤いダイヤルに置き換えられている。エクセル展覧会センターで2013年11月23日にこのソニック・ドライバーのバージョンが公開され、"The Other Doctor's Sonic" としてラベルが貼られていた。このソニック・ドライバーは同エピソードにおいて、それぞれのドクターが使うソニック・ドライバーは全て同じソフトウェアであり、ウォードクターが数百年に及ぶ計算を開始して11代目ドクターが完了させるという描写をもたらした。これは劇中でダーレクの攻撃から故郷ガリフレイを救う作戦の根拠の1つにもなっている。 地雷原に囚われた少年を目撃した12代目ドクターは音響通路を作り上げて彼とコミュニケーションを取るが、少年の正体が幼少期のダヴロスであることが発覚する。彼は少年を見捨ててソニック・ドライバーを置き去りにし、後にダーレクの光線銃で地雷を処理してダヴロスを救出した。これ以来ダヴロスがソニック・ドライバーを所持し、ドクターはもうドライバーを持っていないことをクララ・オズワルドに伝えている。この時にソニック・ドライバーは経年劣化していた。
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2010年 - 2015年
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「週刊文春」の記事における「2010年 - 2015年」の解説
2010年5月発売の号において、ユニクロを展開するファーストリテイリングについて、ユニクロが中華人民共和国に出した工場では「中国人労働者は午前0時や午前3時まで働かされる」などとした記事を掲載した。また、この記事執筆を担当した横田増生は、2011年3月に文春から「ユニクロ帝国の光と影」と題した本を出版。ファーストリテイリング側は、記事の内容が真実と異なるとして、横田に対して2億2000万円の損害賠償請求訴訟を東京地方裁判所に提訴したが、2013年10月18日に同地裁(土田昭彦裁判長)は訴えを退ける判決を言い渡した(スラップ)。その後も東京高裁・最高裁でも、ファーストリテイリングが敗訴し確定判決となった。 2010年5月6日・13日ゴールデンウィーク特大号「総追跡33本 この女のナゾを解く!」で、眞鍋かをりの年齢詐称を報じた。記事には所属芸能事務所との民事訴訟が東京地方裁判所にて争われた中で、原告(眞鍋かをり)の生年月日が「昭和55年5月31日生」となっていた。しかし、2010年当時の眞鍋の芸能プロフィールには「昭和56年3月31日生まれ」と、丁度10か月の鯖読みとなっていた。『週刊文春』の記者が生年月日の件を眞鍋かをりに直接取材したところ、「ごめんなさい、今はタイミング的にお話出来ないんです」と避けられたが、結果として眞鍋かをりは事実を認め、2012年時点では「1980年(昭和55年)5月31日」の生年月日をプロフィールに使用している。 2010年6月10日号で、「柏崎原発に送り込まれた『北のスパイ』」と題する記事が掲載される。東京電力は「外国のスパイやら工作員やらが事業所内にいるなどということはない」と公式にコメントした。 2012年5月31日号で、「ドタキャン、突然のハイテンション、現場での奇行……沢尻エリカは大麻中毒だった」と題する記事を掲載。同年における沢尻エリカの大麻使用について詳しく報じた。沢尻は2019年11月16日、合成麻薬MDMAを所持していたとして麻薬取り締まり法違反の容疑で逮捕された。 2012年7月19日号で、日本経済新聞社社長(当時)・喜多恒雄が住む東京都内のマンションから、同社経済部の女性デスクが出勤していると報じた。これについて、日本経済新聞側は同日付朝刊社会面で「事実無根の見出し・記事で名誉が傷つけられた」として発行元の文藝春秋などを近く提訴する方針を示した。一審の東京地裁は日経側の主張を認め、文藝春秋側に対し、謝罪広告の日経および文春への掲載、1210万円の賠償、ウェブサイト上に掲載している記事・写真の削除を命じた。文藝春秋側は控訴し、記事の信用性についての新たな証拠を提出したが、二審の東京高裁は「信用性は極めて弱い」として却下。「全証拠によっても記事を真実と認めることはできない」として、一審判決を支持した。文藝春秋側は判決を不服として上告したが、最高裁は2015年6月5日付で文藝春秋側の上告を棄却し敗訴が確定。文藝春秋側は上告棄却について当初は遺憾としていたが、一転して週刊文春2015年6月25日号にて「記事すべてが事実に反する誤報」だったとして謝罪広告を掲載。日本経済新聞紙上にも同様の謝罪広告を掲載した。 2012年9月20日号で、当時宮崎県知事だった東国原英夫が、興味を持った女性職員を宮崎県庁の知事室に呼び出していたとの記事を掲載。東国原は名誉を傷つけられたとして、発行元の文藝春秋に2200万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めて提訴。2014年6月30日、東京地裁は「内容が真実だと信じる証拠はない」として名誉毀損を認定し、220万円の支払いを命じた。謝罪広告については「東国原氏は知名度が高く、自ら記事に反論することである程度名誉を回復できる」として退けた。 2013年5月16日号ワイド特集「表の顔と裏の顔」の『この記事で参院選公認取り消し 自民党美人候補は元暴力団組長の愛人だった!』 で槍玉に挙げられた麻生真宮子(本名:田島美和)から、政治活動に支障が出たとして名誉毀損で提訴される。2015年5月、損害賠償と、本文のすぐ前に1ページ使用・判決確定から一年間連続での謝罪声明掲載命令。 2013年7月5日、公式ウェブサイト上で「緊急アンケート! 安藤美姫選手の出産を支持しますか?」と題したアンケートを実施し、これに対して多数の抗議が寄せられ当日中にアンケートは閉鎖され、編集長新谷学名義で「アンケートに関して不快な思いを抱かれた方へ」として謝罪文がアップロードされた。 2013年8月8日号で、「シャブ&ASKAの衝撃」との見出しで、ASKA(CHAGE and ASKA)の覚醒剤使用が実名で報じられる。2ヶ月後にASKAが週刊文春に“独占告白”をし、これを受けて所属事務所「ロックダムアーティスツ」は本人の休業を発表。この記事は『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』を受賞した。2014年5月17日、ASKAは覚醒剤取締法違反(使用)容疑で知人と伴に、警視庁に逮捕された。 2013年10月17日号で、「胸モミ&ほっぺにチュー… 週刊朝日新編集長が“セクハラ常習”で更迭」を掲載。なお、『週刊朝日』を発行する朝日新聞出版は「重大な就業規則違反があった」として同誌編集長の小境郁也を解任、出向元の朝日新聞社は小境を懲戒解雇処分としたが、就業規則違反の内容については公表していない。また同号の「『中国猛毒米』偽装 イオンの大罪を暴く」に対し、流通大手のイオンが“内容は事実に反する部分も多々あり、お客様から無用の信用疑惑を招くものである”として発売中止・回収を求め るとともに、日本全国のイオンモールで当該号を撤去、また16日には1億6千万余円の賠償と謝罪広告掲載を求めて提訴。2016年12月16日、東京地裁は文春に約2500万円の賠償を命じ、文春は即日控訴した。 2013年11月21日号(同11月14日発売)で、内閣総理大臣・安倍晋三が「中国はとんでもない国だが、まだ理性的に外交ゲームができる。一方、韓国はただの愚かな国だ」と語っていたとの記事を掲載。韓国の与野党やメディアが安倍を非難した。11月15日、官房長官・菅義偉は記者会見で「その記事は今、初めて知ったが、そんなことを言うわけがない。あり得るわけがないというのが私どもの正式な見解だ」と述べ、文春の記事内容を否定した。 2014年2月13日号で、「全聾の作曲家はペテン師だった!」と題して、神山典士と週刊文春取材班のインタビューにより、佐村河内守別人作曲問題を採り上げた。佐村河内はあくまでも補作曲にしかすぎず、実際の作曲は新垣隆が行っていた。この影響で、やらせ発覚以前に放送したNHK(NHKスペシャル「魂の旋律 音を失った作曲家」)とTBS(中居正広の金曜日のスマたちへ)が謝罪する事態となり、CDは実質廃盤の措置が執られた。神山はこの記事により大宅壮一ノンフィクション賞を受ける。 2014年3月13日号で、「清原和博緊急入院 薬物でボロボロ 病院入り口で本誌記者が直撃すると呂律が回らず…」という見出しの記事を掲載。清原の覚醒剤使用疑惑について報じた。所属事務所「オフィスキヨハラ」は、病院で糖尿病の治療のため入院していたものであり、弁護士を通して訴訟をも含め、あらゆる法的手段を通じて徹底的に抗議することを検討している旨のFAXを、報道各社に送付した。清原はのち2016年2月2日に、覚せい剤取締法違反(所持)の現行犯で、警視庁組織犯罪対策第五課に逮捕された。また清原は実際には“法的措置”など講じていなかったという。 2014年7月17日号で、ビートたけしが49歳美女にのめり込んで離婚すると報じた。相手は熊本で県会議員を務めたこともある地元の名士の娘で、全財産を放棄して美女の懐に飛び込む決意を固めたという。たけしの所属事務所オフィス北野は文春の取材に対し、「仕事の相談に乗ってもらっている関係で、決して男女の仲ではない」と否定。たけしも7月12日に放送された『情報7daysニュースキャスター』の中で報道内容を否定した。たけしはその後離婚した。 2015年3月18日号で、NHK『クローズアップ現代』の2014年5月14日放送の「追跡“出家詐欺”〜狙われる宗教法人〜」でやらせがあったことが判明した。やらせが疑われているのは、宗教法人を紹介するブローカーと多重債務者のインタビュー。インタビューを受けた人物が、取材した記者の依頼で、ブローカーを演じたと告白。さらに放送後、抗議を受けた記者が、口止め料を払うと提案したとも報じている。NHK上層部はこれを問題として、番組リニューアルと15年度限りでの国谷裕子キャスターの解任を決定。 2015年8月18日、週刊文春電子版で、衆議院議員の武藤貴也が知人に「値上がり確実な新規公開株を国会議員枠で買える」などと持ちかけたとして、金銭トラブルとなっていたことが報じられた。これを受け、武藤は8月19日、自由民主党を離党した。 2015年9月3日号で、上記の武藤貴也が未成年の男性を買春していたことが報じられた。武藤は2017年10月の衆院選には出馬せず、同年の衆議院解散をもって失職した。 2015年10月8日号で、永青文庫の企画展である春画を、記事として採り上げるだけでなくグラビアにまで掲載。「家族持ちが家に持ち帰れる」週刊誌という信頼性を破ったとして、編集長・新谷が休養3ヶ月を文藝春秋社長・松井清人に言い渡される。
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2010年 - 2015年
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「GLAY」の記事における「2010年 - 2015年」の解説
2010年 2月にiTunes Store限定の配信シングル「LET ME BE Live Ver. 2009-2010 at makuhari messe」をリリースしたほか、3月には「Apologize」の着うたフルを期間限定で無料配信した。また、YouTubeにはオフィシャルチャンネルを開設した。6月9日に自主レーベル「loversoul music & associates」設立を発表し(2016年に「LSG」と改名)、同月15日からはホール&アリーナツアー『GLAY LIVE TOUR 2010-2011 ROCK AROUND THE WORLD』を開催。ホール公演とアリーナ公演の間には42ndシングル「Precious」と10thアルバム『GLAY』をリリースし、『GLAY』は2010年代では初のオリコン1位を記録。これにより、1990年代・2000年代・2010年代と、3つの年代にわたって1位を獲得したことになった。アルバムの初回CD+DVD盤には「Satellite of love」のプロモーション映像として制作した押井守監督による短編アニメーション映画『Je t'aime』などを収録している。 2011年 3月9日にコンピレーション・アルバム『rare collectives vol.3』『rare collectives vol.4』を同時リリース。同月11日の東日本大震災発生に伴い、TERUがTwitterでストリーミング配信した「Thank you for your love」をバンドでアレンジして配信し、すべての収益を日本赤十字社を通じて義援金として寄付することを発表した。また、JIROがラジオパーソナリティを務めるFM802『BUGGY CRASH NIGHT』が協力し、公開録音『fm802×GLAY Presents「BUGGY CRASH NIGHT」』と題した復興支援イベントを行ったほか、TAKUROパーソナリティを務める「GLAY mobile」内のコンテンツ『TAKURO MOBILE MEETING』とTERUがラジオパーソナリティを務めるbayfm『TERU ME NIGHT GLAY』がコラボレーションした夕張での公開録音とアコースティックライブ、東京での復興支援ライブ『GLAY LIVE in "AX" JAPAN × Thank you for your love』などを行った。その後、GLAY初の台湾公演『ROCK AROUND THE WORLD FOREVER in TAIPEI』を台北市のLagacy Taipei、氣志團とのスペシャル・ギグ『極東ロックンロール・ハイスクール×Thank you for your love』をZepp Sendai、公式ファンクラブ「HAPPY SWING」設立15周年記念ライブを幕張メッセでそれぞれ開催した。また、函館にオフィシャルショップ「G4 Space」がオープンしたほか(2013年移転)、「直接ユーザーに作品を届けたい」想いを推し進めたオフィシャルストア「G-DIRECT」がオープンし、43rdシングル「G4・II -THE RED MOON-」はG-DIRECTのみでの発売となった。ツアー『GLAY HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2011-2012 "RED MOON & SILVER SUN"』を開催し、ツアー中に44thシングル「My Private "Jealousy"」(一般発売)とクリスマス・ミニ・アルバム『Hope and The Silver Sunrise』(G-DIRECTのみ)を発売した。なお、ミニ・アルバム収録曲「Time for Christmas」にはJUJUが参加している。 2012年 "HOTEL GLAY"を再びコンセプトとしたライブを7月30日・31日に長居スタジアムで開催することを発表し、「グリコ」とコラボレーションしたほか、ライブ当日には「ホテルトラスティ心斎橋」がGLAY仕様となった。5月には同ライブのテーマソング「Bible」を45thシングルとして発売した。『GLAY STADIUM LIVE 2012 THE SUITE ROOM in OSAKA NAGAI STADIUM』では1日目を「Super Welcome Party」、2日目を「Big Surprise Party」として開催し、アンコール前の映像でこれからの活動を「7 BIG SURPRISES」として発表した。46thシングル「JUSTICE from GUILTY」と47thシングル「運命論」を同時発売し、岩手と福島で行ったライブは地元優先で観てほしいというメンバーの想いから特別価格でチケットを販売した。 2013年 初のセルフプロデュースとなる11thアルバム『JUSTCE』と佐久間正英プロデュースによる12thアルバム『GUILTY』を同時発売し、オリコン1位・2位を独占した。アリーナツアー『GLAY ARENA TOUR 2013 "JUSTICE & GUILTY"』を開催後、アジアツアー『GLAY ASIA TOUR 2013 "JUSTICE & GUILTY"』を香港と台北で開催した。函館野外ライブのテーマソングとして配信開始していた「Eternally」を含む48thシングル「DARK RIVER/Eternally/時計」発売後、函館・緑の島で『GLAY Special Live 2013 in HAKODATE GLORIOUS MILLION DOLLAR NIGHT Vol.1』を開催した。函館市内一部のローソン店舗は、期間限定でGLAY仕様の「GLAY LAWSON」となった。2年ぶりとなる『テレビ朝日ドリームフェスティバル2013』には追加公演となった「プレミアムナイト」にEXILEとともに出演し、ACE OF SPADESの「WILD TRIBE」やGLAY×EXILEの「SCREAM」なども披露した。49thシングル「DIAMOND SKIN/虹のポケット/CRAZY DANCE」発売し、年末にはアコースティックライブを開催した。 2014年 デビュー20周年を迎えた5月25日に「東北六魂祭」とコラボレーションしたライブ『六魂Fes!×GLAY Special Live』を開催し、東北在住の約6,000人を招待した。50thシングル「BLEEZE」は『GLAY EXPO 2014』のテーマソングになった。東北6県でツアー『GLAY LIVE TOUR 2014 TOHOKU』を開催後、ひとめぼれスタジアム宮城で『GLAY EXPO 2014 TOHOKU 20th Anniversary』を開催し、セキスイハイムスーパーアリーナを「EXPO館」として使用した。 51stシングル「百花繚乱/疾走れ!ミライ」発売後、亀田誠治プロデュースによる13thアルバム『MUSIC LIFE』を発売。アルバムのディスクジャケットはビートルズ(The Beatles)のアルバム『リボルバー』(Revolver)のジャケット写真などをデザインしたクラウス・フォアマン(Klaus Voormann)が手掛けた。2CD盤は特典としてバラッド・ベスト・アルバムが付いており、公式ウェブサイトで収録曲を募集した『BALLADE BEST☆MELODIES』とメンバー選曲による『BALLADE BEST☆MEMORIES』(G-DIRECT限定商品)の2種類がある。ファン投票1位となった「つづれ織り 〜so far and yet so close〜」は『USENリクエスト J-POPランキング』で1位を獲得した。また、アリーナツアー『GLAY ARENA TOUR 2014-2015 Miracle Music Hunt』開催し、並行してホールツアー『Miracle Music Hunt+』も開催した。 2015年 5月25日に52ndシングル「HEROES/微熱(A)girlサマー/つづれ織り〜so far and yet so close〜」発売し、同月30日と31日には10年ぶりの東京ドーム公演『20th Anniversary Final GLAY in TOKYO DOME 2015 Miracle Music Hunt Forever』を開催。31日公演のアンコールではYOSHIKIがサプライズゲストとして登場し、YOSHIKIがプロデュースを手掛けたメジャーデビューシングル「RAIN」を披露した。その後、6月28日にLUNA SEA主催のロック・フェスティバル『LUNATIC FEST.』、7月1日にチャットモンチーの対バン・ツアー『チャットモンチーの求愛ツアー♡2015』に出演した。7月25日・26日には函館アリーナのこけら落し公演となる『GLAY Special Live at HAKODATE ARENA GLORIOUS MILLION DOLLAR NIGHT Vol.2』を開催し、シングル曲のみでライブを構成した。函館市内には期間限定で再び「GLAY LAWSON」がオープンしたほか、タカラッシュ!の企画・監修による「リアル宝探し」などのイベントが行われた。
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2010年 - 2015年
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「henrytennis」の記事における「2010年 - 2015年」の解説
セカンド・アルバム・リリース直後のツアーからライブ活動を頻繁にしていくが、堀越と岸田の脱退を機に一旦活動を停止する。奥村は主宰の1人として2012年から2016年まで続いたアンダーグラウンドの都市型フェスティバル『みんなの戦艦』を開催。第一回は2012年に歌舞伎町のキャバレー跡地風林会館で開催。以後同イベントは様々な場所で開催され、斬新な出演者とコンセプトから話題となる。『みんなの戦艦2013』、『みんなの戦艦2014』に一時的に復活したhenrytennisで出演。
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2010年 - 2015年
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「レイ・ミステリオ・ジュニア」の記事における「2010年 - 2015年」の解説
2010年になってからもバティスタとの抗争は続いていたが、3月ごろからはCMパンクと抗争を開始する。そしてWrestle Mania XXVIでは負ければストレート・エッジ・ソサエティ入りとなる一戦でCMパンクに勝利する。続くエクストリーム・ルールズでもCMパンクと勝負するが試合終盤にリング下から現れた何者かに襲撃され、それによりパンクに敗れる。CMパンクとの抗争を続け、オーバー・ザ・リミットで負ければストレート・エッジ・ソサエティ入りとなる一戦で勝利し、CMパンクを丸坊主にした。翌週にはジャック・スワガーの保有している世界ヘビー級王座のフェイタル4ウェイ予選に出場し、ジ・アンダーテイカーと対戦するが敗れてしまう。しかしその翌週にテイカーが休場したため、急遽行われたバトル・ロイヤルで勝利し、フェイタル・4ウェイに出場することとなった。そして4ウェイ戦に勝利し、2度目の世界ヘビー級王座を獲得した。その後はスワガーと抗争し、マネー・イン・ザ・バンクで王座をかけて再戦する。試合には勝利したが、その直後に同日に行われたマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチに勝利したケインにマネーの権利を行使され、王座から陥落する。8月にはアルベルト・デル・リオのデビュー戦の相手を務めるが敗北。その翌週にデル・リオに負傷させられるアングルで欠場に入ったが、10月1日の放送局移籍記念のSmackDown!にて復帰しデル・リオとの抗争を始める。 2011年、ナルシストキャラのコーディ・ローデスがひざ当てを奪おうとしたことが原因で、ひざ当ての金具がむき出しになってしまう。それによって、ローデスの顔面を金具で直撃するという事故(アングル上)を起こしてしまい、ローデスを暴走させて抗争に入る。レッスルマニア27では敗れたが、続くエクストリーム・ルールズでは勝利。4月のドラフトにてRAWに移籍、再びデル・リオと抗争した。7月終わりにはCMパンクが一時的にWWE王座を持ったまま退団したために組まれた暫定的なWWE王座戦トーナメントに優勝。しかし直後ジョン・シナに王座を奪われてしまう。サマースラム明けのRAWでデル・リオに敗れ、負傷欠場。12月にスラミー賞のプレゼンターとしてのみ登場した。 2012年7月、RAW999回目にて、ザック・ライダーを執拗に攻め立てるデル・リオを攻撃し、復帰を表明。8月ごろから、同じマスクマンであるシン・カラと組んで戦うことが多くなった。日本公演にも参加。12月、シン・カラ対ダミアン・サンドウにてシン・カラのセコンドに着くはずが会場に現れず、乱入してきたザ・シールドによってマスクだけが届けられ、後に(ギミック上)シールドに襲われ首を負傷したことが明らかにされた。 2013年、ロイヤルランブルで復帰、元世界王者だけが出られるエリミネーション・チェンバー世界王座第一挑戦者決定戦の予選にて、シン・カラとのタッグでヘル・ノーを破り参加決定したが、続くブライアン戦で敗れた後、突然復帰したマーク・ヘンリーに襲われ叩きのめされ、欠場。11月のサバイバー・シリーズ直前に復帰し、イリミネーション戦を戦うも惜敗した。 2014年1月、ロイヤルランブルで30番目の選手として登場するも落脱。 2015年2月26日、WWEとの契約終了に伴い退団する事が発表された。
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