革命者連盟
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「レッド (山本直樹)」の記事における「革命者連盟」の解説
神奈川県を拠点に活動する比較的少数の新左翼グループ(日本共産党(革命左派)神奈川県委員会に相当)。毛沢東思想に基づきゲリラ闘争路線をとるが、警察による1969年末のリーダー筑波らの根こそぎ検挙で壊滅的な打撃を受ける。またあまりにも先鋭的かつエキセントリックなその闘争路線は、大衆からの孤立を懸念する他党派からしばしば顰蹙を買っていた。しかし、1970年末に都内での交番襲撃作戦を敢行し、(結果としては失敗に終わり大きな犠牲を払ったものの)この事件により一躍新左翼内部での注目と支持を集めることとなる。合法組織は「共闘戦線」(「京浜安保共闘」に相当)。機関紙として『革命の鐘』(『解放の旗』に相当)を刊行している。ヘルメットは無地に「革」。「革命者連盟神奈川委員会」が正式名称らしいが、赤城と谷川のアジトは茨城にあり、そのことを宮浦に揶揄されている。毛沢東思想に基づく反米路線をとっており、メンバーはピンポン外交のような米中の歩み寄りを理解できないでいる。 赤城容子(あかぎ ようこ?) モデルは永田洋子。名前の由来は赤城山から。この物語の中心人物の一人の、女性活動家。病院勤務の薬剤師であったが革命運動に専念するため退職。病弱でしばしば立っていられないほど苦しむことがある。組織活動への熱意は人一倍で、ゲリラ闘争が唯一の正しい方針であると信じ、それに自分のすべてを捧げたいと考えており、しばしば他のメンバーに対し感情を爆発させる。保釈中の谷川から突然プロポーズされ、最初は断ったものの結局は受け入れる。谷川との間に子供を宿すも中絶し、それ以降活動を理由に出産を諦めるのはよくないと考えるようになる。1970年9月、精力的な活動が評価され、指導部の選挙で組織のリーダー(獄外)に選ばれる。1970年12月の銃器奪取作戦の直後、谷川、吾妻と共に非合法活動に移る。地味な容姿で、彼女を「鬼ババ」と呼ぶメンバーもいる。 榛名ベースで結成した赤色連盟の指導部では北に次ぐ2番目の地位となり、メンバーたちに厳しい態度をとる。厳しく追及される黒部一郎を見て「自分が同じような境遇になったら総括できる自信がない」と総括への不安を感じる一面もみられたが、1月中旬以降は安達、神山の処刑や白根、宮浦への徹底した総括要求を断行した。2月上旬、カンパ集めのため都内アジトへ潜伏した際に北と共産主義化を追求した末に彼と結婚、同時に谷川への離婚を宣言し、総括要求を突きつけた。その後、北とともに妙義ベースへ向かうがメンバーと合流できず、警官隊に包囲され、抵抗の末に逮捕された。 谷川(たにがわ ひろし) モデルは坂口弘。名前の由来は谷川岳から。赤城の夫。工場で働いていたが、1969年9月の羽田空港での火炎瓶闘争に参加し逮捕、同年末保釈され、翌年2月に東京地裁で懲役7年を求刑される。その過程で赤城にプロポーズし、結婚生活を始める。赤城の真面目さに対しては敬意と愛情を抱いているが、健康上の理由でしばしば活動の足手まといになる彼女に苛立ち、暴力を振るうこともある。当初は組織ぐるみのゲリラ闘争路線に懐疑的だったが、次第に熱烈に支持していくことになる。海洋大学出身で手旗信号に習熟しており、1970年6月、獄中のリーダー・筑波との接見に際し彼からの秘密の指示を読み取る。その後同志達が次々と逮捕され、潜伏生活に疲弊する中、活動拠点を「山」に移すことを提案する。 赤色連盟指導部での序列は3番目。死すら厭わない過酷な総括要求に強い疑問を抱いているが言い出せないでいる。さらに安達の処刑に消極的な態度だったことを北に問題視され、神山を追及する際に足にアイスピックを突き刺し、さらに処刑の際に最初に神山の胸にアイスピックを突き刺した。迦葉山ベース建設中、苗場が消極的な態度を見せ、「神山の処刑に物理的に手を貸しただけ」と発言したため総括要求することを決め、彼を殴打束縛した。その北と赤城がベースを離れてからはリーダーとなり残ったメンバーを指揮。その中で逆エビに縛られていた霧島を「総括は完了した」として縄を解き解放するが、岩木らがふたたび束縛したため彼を助けることができず自責の念に駆られた。その振る舞いが北と赤城に問題視され、赤城から離婚および総括を要求される。妙義ベースに戻ったのち岩木主導で山越えを決行する。 山を越えて軽井沢に迷い込んだ後、警察のヘリコプターの偵察を掻い潜ってさつき山荘へ侵入。ここで身なりを整え休息をとるが、警官隊が迫ったため銃撃してなおも逃走を続け、あさま山荘へたどり着いた。 あさま山荘では人質を解放せず、徹底抗戦を決定。人質の身代わりになると志願しに山荘に近づいた民間人品野康彦を銃撃、その後死に至らしめた。吾妻、志賀、黒部兄弟と共に機動隊に対して抵抗を続けたが、2月28日に機動隊によって制圧、逮捕された。警察に連行される際は最後の抵抗として笑顔を見せつけた。 吾妻正久(あづま まさひさ) モデルは吉野雅邦。名前の由来は吾妻山から。谷川とともに羽田空港での闘争に参加し逮捕。1969年末に釈放され翌年2月東京地裁で懲役5年を求刑される。しばしば組織活動よりも同棲中の恋人・宮浦との関係を優先したことから党員資格停止処分を受けたこともある。しかし、かつて10.8で頭を叩き割られた経験から「デモも集会もいくらやっても何も変わらなかった」と大衆運動やゲバ棒程度の実力闘争に絶望し、武装闘争路線が正しいと考えているため、組織への不満を漏らす宮浦をたしなめる。1971年末に宮浦が妊娠した際には活動を理由に中絶を求めたが、翌年夏に妊娠した際には「革命の子」として生み育ててゆくことに合意する。 赤色連盟指導部での序列は7番目。革命者連盟時代の問題行動を「自己批判すべきこと」として告白し、宮浦に離婚を切り出される。安達の処刑の際には赤城とともに安達の問題点を列挙、一同に彼を批判するよう促した。その後、宮浦への追及が厳しくなると自ら彼女に対して離婚を宣言する。迦葉山ベースで猟師と遭遇したことで岩木とともに殲滅戦の計画を練るも事情を知った北から全否定された。宮浦への追及が苛烈を極め、お腹の赤ちゃんを取り出すことを提案された際には同意するが、宮浦はその後まもなく死亡。苗場夫妻の子をあやしながら宮浦との日々を回想して途方に暮れる。 あさま山荘では説得にやって来た母の「どうしても撃つというのなら私を撃ちなさい!」という絶叫に対し、苦悩の末に彼女が乗る装甲車に向かって発砲した。 宮浦(みやうら)14 モデルは金子みちよ。名前の由来は宮之浦岳から。吾妻の恋人。白根、高妻とはY大の同級生。組織内では救援活動に従事しているが、これはもともとは逮捕された吾妻個人の救援のつもりが組織全体の救援まで背負わされてしまったためである。自身や吾妻を一時権利停止にした赤城や谷川ら指導部には不満があり、大衆運動より非合法のゲリラ闘争を重視する組織にも反対の立場である。吾妻に「組織を辞めて2人で喫茶店でも開きたい」と告げたこともある。その後、指導部と共に北海道に逃れた吾妻とは暫く離ればなれの生活を余儀なくされる。後に、共に「山」での活動に合流する。「山」での活動開始後も大泉と接触をもち、吾妻の消息を伝える。 榛名ベースで吾妻との離婚を宣言をしたが、赤城からは否定され、それまで吾妻に付き合う形で活動してきたことへの総括を要求された。その後赤城からの追及が厳しくなり、1月下旬に榛名ベースで縛られるが「今の私のままじゃダメだということですか?」と発言するなど、総括や追及に抗議する姿勢を崩さなかった。そのため追及は強まり、丸めた針金で顔を殴られ髪を切られるが「私は山にくるべき人間ではなかった」と発言した。迦葉山ベースでは北によってお腹の赤ちゃんを取り出す提案がされるが、実行の前に死亡した。 赤石一郎(あかいし いちろう)1 モデルは柴野春彦。名前の由来は赤石岳から。落語好きの青年で赤城とは比較的親しい。ゲリラ闘争路線を熱烈に支持しており、警察に指名手配されたため都内のアパートに潜伏していた。ほとんど外出できず、同棲中の恋人に生活を依存していたが、ある日逃げられてしまい、その後は白根の世話になる。リーダーに選ばれた赤城に「リーダーとは最初に死刑になる人間」と冗談めかして予言するが、自分は筑波奪還のため都区内の交番で銃器を奪取する作戦に参加、反撃する警官から銃弾を浴び死亡。登場人物中では最初の犠牲者となる。 筑波(つくば) モデルは川島豪。名前の由来は筑波山から。革命者連盟のリーダー。組織のゲリラ闘争を指導するが1969年末に逮捕され、以降は獄中にいる。接見に来た赤城に「俺は闘争を降りる」と弱気な面をのぞかせたかのようだったが、実は巧妙な偽装転向だった(と谷川には信じられている)。また同じ大学の後輩である谷川に対し、手旗信号により自分の奪還作戦を密かに指示する(これが銃器奪取作戦へ組織が踏み出す契機となった)など、獄中から組織を動かそうとしている。 六甲(ろっこう) 名前の由来は六甲山から。女性活動家。ゲリラ闘争に使用するダイナマイトを入手し赤城に手渡す。体の弱い赤城に厳しい言葉で接することもある。赤色軍の武装闘争を第三者的に批評した発言が、新リーダーになった赤城から「ゲリラ闘争に対する理解が足りない」と咎められることになり、突然首都圏の指導部から外れ関西に赴くことを求められる。そして大阪での活動中に(直接関わっていない)銃器奪取事件の容疑で逮捕され、その際、アパートに隠し持っていたダイナマイトを押収されてしまう。 白根(しらね)13 モデルは大槻節子。名前の由来は白根山から。合法部門の女性活動家。大山の恋人でおとなしい性格。宮浦、高妻とはY大の同級生。組織の指示で恋人に去られた後の赤石の生活を世話していた。交番襲撃作戦以前に、赤城から「今回の任務がすんだら大山と結婚したら」と勧められ当惑する。大山の逮捕にショックを受けるが、その後五竜と付き合い始める。しかし後述のとおり組織情報漏洩への危機感から五竜「処刑」に加担する。 榛名ベースでは岩木と恋仲になるが、北と赤城からは女性らしさを捨てきれていないと評価されており、総括するよう指示されている。安達、神山の処刑後、赤城からの追及が厳しくなり「なんで総括を要求されるのかわからない」と涙を流して困惑した。その後、北からの追及で山岳ベースから逃げ出した五竜と会った際に彼と寝たことを告白。大きく問題視され縛られるが、北からは「総括しようとしている」と評価されている。しかし迦葉山ベースでは屋外に束縛され衰弱、さらに赤城に因縁をつけられ、岩木らメンバーが殴打するため集結したが、その時には既に死亡していた。 安達幸一(あだち こういち)10 モデルは寺岡恒一。名前の由来は安達太良山から。1970年5月の米軍基地の敷地内でのダイナマイト爆破や翌年の北関東の銃砲店での銃器奪取などの作戦に参加するなど、実行部隊のリーダー格。いささか軽口らしく、会議中に宮浦の妊娠中絶の噂を口にしたことから、赤城に自己批判を求められる。札幌潜伏後の1971年5月、自身を組織のリーダーとし、半合法の活動家を入軍させる組織の改組案を出すが、赤城に闘争方針の展望の無さを批判され指導部の改組を取り下げる。6月、高妻と結婚。8月、空木と五竜を処刑。 赤色連盟指導部での序列は6番目。薬師の死体を埋める際、被指導部メンバーに死体を殴るよう指示し、問題視される。天城を逆エビに縛るときにも下品な発言をしたため、指導部はさらに問題視し、北は彼がベース調査に出かける際に総括を要求した。ベース調査から戻った後に指導部からの厳しい追及を受け、北から「反革命と言わざるをえず、死刑しかない」とされて処刑される。 谷川達があさま山荘にて立てこもった際、メンバーのなかに安達が含まれていると推測され父親が駆けつけ説得を試みたため、一同は複雑な表情を浮かべた。 稲村一郎(いなむら いちろう) モデルは石井勝。名前の由来は群馬県安中市の稲村山から。手配写真のみの登場。1969年11月、神奈川県内の米軍基地にダイナマイトをしかけ、筑波と共に指名手配になる。その後もダイナマイトをしかけ続けるが、12月に逮捕される。 烏場(からすば) モデルは佐藤保。名前の由来は千葉県南部にある烏場山から。名前のみの登場。神奈川県内の米軍基地に稲村と共にダイナマイトをしかけるが、警備員に見つかり逮捕される。谷川は烏場が非合法活動を行っていたことにショックを受ける。 早池(はやいけ) モデルは有泉健一。名前の由来は早池峰山から。名前のみの登場。1969年11月、稲村と共にアメリカ領事館に爆弾を仕掛ける。未遂。 蒜山(ひるやま) モデルは荒井功。革命者連盟の中心メンバーの一人。名前の由来は蒜山から。1969年12月、ダイナマイトを持っていたところを逮捕される。 岩湧(いわわき) モデルは河北三男。革命者連盟の創始者の一人で、最古参の活動家。最近の爆弾ゲリラ路線に危惧を抱いており、指導部を説得して方針を変えようとするが、支持を得ることができず、1969年12月、組織からの離脱を宣言。その6年後に病死する。 白山秋生(しろやま あきお?) モデルは牧田明三。名前の由来は白山から。合法部門「共闘戦線」の議長で赤色軍との連絡役。1971年4月頃、警察の強引な捜査方針により、合法部門メンバーでありながら逮捕される。前岳とは結婚関係にある。1971年7月に釈放され、活動に復帰。1971年8月、組織を離れていた前岳を連れ戻すが、安達の「(今度前岳が脱走したら)殺ることになる」という言葉に組織の異変を感じ取ったのか、前岳と共に脱走する。 伊吹逸郎(いぶき いつろう?)4 モデルは尾崎充男。名前の由来は伊吹山から。1970年5月、安達、黒部一郎らと共に都内の米軍基地にダイナマイトを仕掛け爆破させる。1971年6月の時点では救対担当。 榛名ベースに合流し、穂高ら救対メンバーを敵視。その一方で交番から銃器を奪取する作戦に参加せず、結果として赤石が死亡したため問題視される。北からは日和見主義的と批判され、それを克服するべく谷川を相手に格闘訓練を行うが、一方的に打ちのめされた。その後、疲れきっていたためか「休ませてほしい」と指導部に懇願するが受け入れられず、逆に総括する態度ではないとして指導部から厳しく批判された。総括を促すためとして縛り付けられたうえで暴力を受け、12月31日の深夜に力尽きた。彼の死は総括できなかったことで「敗北死」したとみなされた。榛名ベース最初の犠牲者。 黒部一郎(くろべ いちろう)7 モデルは加藤能敬。名前の由来は黒部五郎岳から。安達、伊吹らと共に米軍基地にダイナマイトを仕掛ける。もともとは半合法部隊所属だったが、1971年6月、入軍。空木・五竜の処刑が検討された際には、「人民内部の矛盾を暴力で解決するのは間違い」と疑問を持つ。薬師に告白したことがあり、その想いをずっと抱き続けている。 11月下旬に是政アジトで逮捕されるがその後釈放。12月中旬に指導部への批判文書をしたためて榛名ベースに向かったが、批判の内容が赤色連盟の結成を考慮していないものであったため取り下げる。拘留中の言動について総括を要求されているにもかかわらず薬師とキスしたため、メンバー全員から殴られ、縛り付けられた。その後総括に集中する態度を見せたために緊縛が緩められたが、1月4日の午前中、北から厳しい追及を受けた直後に力尽きた。 和歌山公平(わかやま こうへい) モデルは中島衡平。革命者連盟指導部の一人。筑波の偽装転向に、共産主義者としてどうなのかと疑問を持つが、谷川からはそんな問題は瑣末だと言われる。その後、北関東での銃砲店襲撃作戦に参加。銃の奪取には成功するものの、その後東京に向かう途中火打と共に逮捕される。 火打(ひうち) モデルは尾崎康夫。名前の由来は火打岳から。党員資格停止中の吾妻と神戸の調査を行う。後に北関東での銃砲店襲撃作戦に参加。銃の奪取後、東北方面で車を乗り捨てる当初の計画を実行せず、和歌山を送り届けるために東京に向かった。検問に引っかかり懸命に逃走するが、和歌山と共に逮捕。結果として組織を危機に陥れることとなる。 大山(おおやま)・英彦(ひでひこ) モデルは渡辺正則、佐藤隆信。名前の由来は神奈川県の大山および九州の英彦山から。赤石らとともに交番での銃器奪取作戦に参加。警官の銃弾を浴びて負傷し逮捕される。大山は白根の恋人。英彦は高校生。 八幡(やはた) モデルは笠間ヨシ江。名前の由来は佐賀県の八幡岳もしくは北海道の八幡岳から。合法部門の活動家。ボーイッシュな女性。赤石を追悼する「人民葬」集会での暴動方針に強く反対し、ポスター貼りの際に一人だけ検挙されなかったことから、谷川・安達からスパイと疑われる。北関東での銃砲店襲撃作戦を前に、指導部により処刑が検討されるが、埋める場所・執行要員が確保できなかったことから代わりに組織との連絡を断たれることになる。後にスパイ疑惑は晴れるが、組織を離れる。 筑波八重子(つくば やえこ) モデルは川島陽子。筑波の妻。赤石のアジト設定や筑波が収監されている拘置所周囲の下調べなど裏方の仕事に励んでいたが、1970年11月に逮捕される。 黒部次郎(くろべ じろう) モデルは加藤倫教。名前の由来は黒部五郎岳から。高校中退の活動家。米軍基地爆破作戦の実行部隊の一人である黒部一郎(7)の弟。1971年初めの赤色軍合法組織との共同集会に参加。大阪で活動中、爆弾を隠し持っていた六甲のアパートにいたため、次郎も共に逮捕されてしまう。 榛名ベース合流後、兄の一郎が暴力にかけられた際は号泣しながら彼を殴って総括するよう促した。兄の死後、弟の三郎に「我々はおかしいんじゃないか?」と相談するが否定される。安達が問題視されると「安達の態度は官僚的で問題だ」と批判の口火を切った。 黒部三郎(くろべ さぶろう) モデルは加藤能敬、加藤倫教らの末弟。名前の由来は黒部五郎岳から。米軍基地爆破作戦の実行部隊の一人である黒部一郎(7)の弟。1971年初めの赤色軍合法組織との共同集会に参加。その後、二人の兄と共に山岳ベースに入る。 榛名ベース合流後、兄の一郎が暴力にかけられた際は次郎と同じく号泣しながら彼を殴った。一郎が絶命した際「こんなことやったって、今まで誰も助からなかったじゃないか!」と絶叫して小屋を飛び出したが、脱走はしなかった。絶叫したことも指導部からは問題視されていない。 恵那検索(えな けんさく) モデルは雪野建作。名前の由来は恵那山から。北関東での銃砲店襲撃作戦後、赤城らと行動を共にし札幌に潜伏。楽観的で明るく、奪取した銃をお祝いとしてお酒と一緒に置いたりもした。銃を党の中心に置くことを「あやまった物神化」と批判するが、後に赤城に説得され合意する。1971年8月、新宿で逮捕される。 栗駒信一郎(くりこま しんいちろう) モデルは瀬木政児。名前の由来は奥羽山脈の栗駒山から。北関東での銃砲店襲撃作戦後、初めて赤城と会う。その後赤城らと共に札幌に潜伏。指名手配写真が似ておらず、買い物を頼まされることが多い。赤城とは仲が良いらしく、しばしばふざけ合う。白山とも親しいらしい。1971年8月、空木と五竜の処刑にかかわるが、空木の処刑後、組織をやめたいと言うようになる。数度の脱走未遂の末、明星と共に脱走、直後に名古屋で逮捕される。脱走後、彼の残したノートを見た赤城は、彼の革命運動に対する積極的な態度を「欺瞞だ」と批判した。 明星伸子(みょうじょう のぶこ) モデルは松本志信。栗駒の彼女。栗駒が入軍して以来、二人の間の連絡はしばらく途絶えていたが、(空木処刑後の)栗駒と再会し、共に活動するか一緒に逃げようと言われ、共に活動することを選ぶ。「反米愛国路線はよくわからない」と話すが、すぐに変装としてパーマをかけるなど、活動には積極的。脱走しようとする栗駒を引き止めたこともあったが、最終的に栗駒と共に脱走する。 前岳(まえたけ) 名前の由来は赤石山脈の荒川岳の三つのピークのひとつ。機関誌編集を担当。赤城の古い友人。赤色軍の北と面識がある。白山とは結婚関係にあるが、赤色軍の鳥海とも恋愛関係になり、そのことを赤城に批判される。1971年7月、赤城との待ち合わせに現れず、山岳ベースでの不衛生な生活への不満もあり、脱走。 空木(うつぎ)2 モデルは早岐やす子。名前の由来は空木岳から。白山にアジトを提供していた。活動歴は短い。ノンポリの医者の彼氏がいるが、結婚の意志は無い。組織内での痴漢問題の解決を条件に入軍入山。五竜の脱走後、自分も山を降りたいと望むようになるが認められず、脱走未遂を起こす(その際も組織への配慮はしていた)。その後、交番調査中に脱走。バイト先で山に行っていたと話したり、半合法部のメンバーに山での生活の不満をぶつけたりしたことで赤城らの怒りを買い、1971年8月、処刑される。空木自身は合法部で活動を続けることを望んでいた。組織内で殺された最初の人物。 荒島(あらしま) モデルは前澤虎義。名前の由来は福井県にある日本百名山のひとつ荒島岳から。半合法部の活動家。札幌から帰還した赤城・谷川らと都内を転々とする。平に好意を寄せており、性関係も持っているが結婚の意志は無い。そのような平との関係を赤城に批判されるが反発し、赤城と衝突する。脱走しようとした空木を連れ戻した際には、逃げる者を無理にとどめるのはナンセンスだとして赤城らに反発するが、空木・五竜の処刑が検討された際には、その後の二人の行動からこれに賛成した。 榛名ベースではメンバーの暴力に加担。その一方で東京に行き救対メンバーから資金を受け取った後、自宅に帰るなど迷いが見られる。自宅で弟が持っていた大江健三郎の小説の一節「よろしい。僕は地獄へ行かう」が目に入り、山岳ベースへ戻ることを決意した。神山の処刑に加担後、迦葉山ベースの建設に加わるが、苗場や白根、宮浦が次々と命を落とす地獄絵図に絶えられなくなり、榛名ベース解体翌日に一同がバス停でバスを待つ間に逃走した。 一湊(いちみなと) 名前の由来は屋久島の一湊岳から。半合法部の活動家。警察からはマークされていない模様。札幌から帰還した赤城・谷川らと都内を転々とするが、1971年5月、脱走。 高妻(たかつま) モデルは杉崎ミサ子。名前の由来は高妻山から。半合法部の活動家。宮浦、白根とはY大の同級生。1971年6月、安達と結婚。 榛名ベースでは一人前の革命戦士になるため安達との離婚を宣言し、北から高く評価される。安達の処刑では必死の形相で彼の心臓にアイスピックを突き刺した。 五竜(ごりゅう)3 モデルは向山茂徳。名前の由来は五竜岳から。半合法部の活動家。仙丈とは高校の同級生。「いちテロリストとして闘いたい」と活動に加わり、入軍入山。また、白根との交際を始める。しかし、山を降りることを望むようになり、脱走。その後、公安と酒を飲んでスリルを味わっていることや、山のことをネタにした小説を書いていることを尋ねてきた白根に話すが、そのことが白根に五竜処刑の決意をさせることになる。1971年8月、処刑。空木に続いて組織内で殺された二番目の人物となる。 平藍子(たいら あいこ) モデルは中村愛子。半合法部の活動家。1970年11月に府中アジトで逮捕される。その際に居合わせた白根を「関係ない人だ」と庇う。12月の暮れに榛名ベースに合流。赤城に気に入られているらしく、厳しく追及されることなく、他のメンバーと共に問題があるメンバーの殴打に加わっている。神山から求愛された時には照れくさそうにしていたが、彼が1月中旬に厳しく追及された際には殴打に加わっている。迦葉山ベースから榛名へ移動する際、谷川に託された苗場夫妻の赤ん坊を泣きながらあやしていたところを警官に保護された。 苗場(なえば) 12 モデルは山本順一。名前の由来は苗場山から。共闘戦線中京支部の活動家。名古屋での交番調査の車を提供。 1971年12月中旬に突然榛名ベースにやって来た。仕事を辞めて坊主頭になり、妻子も同伴している。1972年1月中旬に北が用事で高崎へ向かう際運転役を務めたが、車を故障させたことで北が用事を果たせなかったため総括を要求される。しかし「北さんの指摘は間違っている」と反論した。 安達の処刑後の全体集会で「スターリン主義がわかった。」と発言し、北から疑問視される。迦葉山ベース建設中に消極的な態度を取ったため谷川から「神山の処刑にどのように関わった?」と問われると「物理的に力を貸しただけ」と発言、一同から問題視される。翌日一日正座するよう命じられ「山にくるべきではなかった」と涙を流して悔やんだ。その晩、ベース建設メンバーから殴打され、逆エビに縛られる。北ら榛名に残っていたメンバーが迦葉山ベースに集結した際「ちくしょう!俺は気が違ったんだ!」と慟哭する。北の追及に対し舌を噛む素振りを示すなど抵抗の姿勢を最後まで崩さず、その晩死亡した。 薬師(やくし) 6 モデルは小嶋和子。名前の由来は北アルプスの薬師岳から。名古屋の半合法部の活動家。指名手配中の筑波八重子を一時匿っていたが、車の運転ができることから入軍入山。空木、五竜の処刑を嫌がるが、運転免許を持っているのが彼女だけだったため、実行メンバーに組み込まれた。栗駒に好意を寄せるも、明星が活動に加わったことによりその想いは破れる。 榛名ベースではそれまでの活動の総括ができていないとして問題視された。さらに夜中に黒部とキスをしたことで、指導部から黒部と一緒にメンバーから殴られた。その後の言動から総括していないと捉えられ、小屋の外に縛り付けられる。1月1日に飢えと寒さに耐え切れず絶命した。 仙丈(せんじょう) モデルは岩田平治。名前の由来は南アルプスの仙丈ヶ岳から。半合法部の活動家。五竜とは高校の同級生。白根の入軍入山の際、彼女の日記を預かる。 榛名ベースでは黒部への暴力に加担。「総括を勝ち取る決意がなければ彼を殴れなかった」と発言したことは北から「僕に似ている」と言われるほど高く評価された。しかし、薬師みどりを榛名ベースに連れて行く任務がうまくいかず、一緒にいた唐松に逃亡を宣言して立ち去った。 矢玉(やだま) 名前のみの登場。1971年6月初旬の拡大党会議への出席を拒否する。これが半合法部隊の反感を買い処刑を検討されるが、赤城の判断で回避された。 唐松(からまつ) モデルは伊藤和子。名前の由来は北アルプスの唐松岳から。半合法部の活動家。 榛名ベースに合流しており、メンバーへの暴力には険しい顔をしながらも加担している。仙丈の離脱後、独りでベースに帰還した際の神山の不用意な一言が、彼への追及を強める決定打となった。 穂高(ほだか) モデルは京谷健司。名前の由来は北アルプスの穂高岳から。救対のリーダー格の活動家。山岳ベースをしばしば訪れる。空木と五竜の処刑後、半合法部隊に対しても強硬な態度を示すようになった非合法メンバーとは距離を置きつつある。 乃木(のぎ) 名前の由来は屋久島の乃木岳から。救対担当の活動家。 薬師みどり(やくし みどり) 薬師(6)の妹で名古屋の高校生活動家。黒部次郎とは高校の学連での知り合い。黒部兄弟らと共に山岳ベースに合流する。 その後、是政アジトにて黒部一郎と共に逮捕される。釈放はされたが、榛名ベースには合流していない。 立山(たてやま) モデルは寺林真喜江。名前の由来は富山県の立山から。名古屋の活動家。黒部兄弟、薬師みどりらと共に山岳ベースに合流。白根が赤城から批判を受けた際にははじめは穏やかにアドバイスを送っていたが、追及が強まると同調して態度を硬化した。霧島の薪集めの際も厳しい態度で岩木とともに彼の振る舞いを監視し、批判的に北に報告した。山越え後の軽井沢駅で切符を買う際、ひどく汚れた姿だったため駅員に怪しまれ、出発を待っていたところを警察隊に囲まれ、逮捕連行された。
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