実力闘争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 03:21 UTC 版)
「三里塚芝山連合空港反対同盟」の記事における「実力闘争」の解説
反対同盟はあらゆる「民主勢力」と共闘する方針であり、1967年8月より新左翼諸派の支援を受け入れた。同年10月10日、新東京国際空港公団が機動隊を伴って現地に現れ、反対同盟は測量実力阻止を掲げて抵抗したため、機動隊員側、同盟員側双方に重傷者が出ることとなる。同年12月15日、反対同盟は実力闘争および新左翼の支援受入れを批判してきた日本共産党関係者を闘争から排除した。 1971年2月22日の第一次行政代執行の際には、機動隊員側、同盟員側双方に多くの重傷者を出す。同年9月16日の第二次行政代執行の際には、警備に当たっていた機動隊を襲撃し、機動隊員3名を殺害(全身火傷・殴打により死亡)及び、多数の重軽傷者を出す事件を起こす(東峰十字路事件)。この事件で、後に「反対同盟」の青年行動隊員が多数逮捕され55名が起訴され、3名が無罪、他の52名に執行猶予付きの有罪判決が下った。実刑判決が下った者はいなかった。 1971年3月(1月とも)に「三里塚空港から郷土とくらしを守る会」が組織された。同会は過激派集団の実力闘争による反対運動に反対し「反対同盟」から排除された住民らが結成したと主張しているが、実態としては反対同盟と決別した共産党系の団体である。守る会はその後1978年1月22日に現在の名称である「成田空港から郷土とくらしを守る会」に変更し、騒音対策委員会などで騒音問題の発言などを行っている。 1972年3月12日、「反対同盟」が妨害工作として、芝山町岩山に高さ60.6メートルの「岩山鉄塔」を完成させる。 1973年11月には、代表の戸村一作が参議院議員全国区選挙への出馬を表明し、1974年7月7日の第10回参議院議員通常選挙では23万407票を集めながらも落選した。 1976年2月22日には鉄塔撤去道路建設阻止緊急集会が、同年10月3日には鉄塔決戦全国総決起集会が開かれた。後者の参加者数は8350人(主催者発表で警察発表は約半数)に及ぶ大規模な集会となり、デモ行進を行った一部学生らが空港第四ゲート付近で機動隊と衝突して62人の逮捕者を出した。 1977年5月6日、「岩山鉄塔」が仮処分にて日本国政府の手により撤去される。これに「反対同盟」は強く反発し反対派と警察の間で激しい衝突が発生した結果、東山事件や芝山町長宅前臨時派出所襲撃事件で更なる犠牲者を出した。
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