岩山鉄塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 04:12 UTC 版)
詳細は「東山事件#「岩山鉄塔」と反対派」を参照 芝山町岩山字押堀かつて存在した、A滑走路を離着陸する飛行機を阻害することを目的として建てられた妨害鉄塔。「岩山大鉄塔」とも呼ばれる。 高木仁三郎の提案に反対同盟青年行動隊が賛同して建設が始まり、1972年(昭和47年)に鳶職の支援もあって実現した。鉄塔の高さは制限表面を上回る60.6メートルもあった。「われ敢然として開港を阻む」と書かれた大看板が掲げられ、足場には詰所として使われた赤く塗られたバスとバリケードが設置された。 なお、鉄塔周辺の岩山部落の住民らは、鉄塔撤去のための道路敷設に必要な用地提供を切り札にして新東京国際空港公団と交渉を行い、岩山部落は神社や墓地なども含め村の機能をすべて保持したまま集団移転する「全村移転」に成功した。 開港前年の1977年(昭和52年)に撤去が行われるが、これに強く反発した反対派と警察が激しく衝突した。その中で、支援者が殺害された東山事件と警察官が殉職した芝山町長宅前臨時派出所襲撃事件が発生している。 鉄塔の跡地に成田新法の適用を避けるため「岩山闘争記念館」の名称で団結小屋が再建された。航空機妨害用の鉄塔を上部に増築できる構造となっているが、現在は老朽化が進んでいる。 これが障害となって開港時にはA滑走路34Lの進入灯を計画通りに造られておらず、北風運用では着陸は4,000mの滑走路のうち3,250m分しか使用できず滑走路端から使用できるのは離陸のみであった(ディスプレイスド スレッシュホールドによる運用)。その後、進入灯設置基準が900mから720mへ変更されたことを受けて、南側に750mの進入灯が造られ、2012年(平成24年)12月13日より34Lへの着陸でも本来の4,000mの滑走路の運用が行われるようになった。 成田空港 空と大地の歴史館では、岩山大鉄塔共有運動が行われた際に共有者に渡された木札が展示されている。 1983年(昭和58年)以降、共産同蜂起派が共産同戦旗派から借りており、かつては三里塚芝山連合空港反対同盟(北原派)の正月明けの「新年旗開き」も行われていた。 2011年(平成23年)6月20日、鉄塔跡とそこに続く道路を鉄板フェンスで囲む工事が、NAAによって行われた。
※この「岩山鉄塔」の解説は、「団結小屋」の解説の一部です。
「岩山鉄塔」を含む「団結小屋」の記事については、「団結小屋」の概要を参照ください。
- 岩山鉄塔のページへのリンク