新左翼の支援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 10:15 UTC 版)
革新政党に代わって、「暴力革命」を掲げ、羽田事件以降実力をもってして政府と対決していた新左翼諸派が「労農連帯」「国家治安の最前線の三里塚で機動隊を打ち破る」「新空港は日本に新たな軍事基地を作るものだ」「全国住民運動の頂上決戦」などの理由により、反対派農民を支援した。既存政党に不信感を募らせていた地元住民も、「支援団体は党派を問わず受け入れる」という態度を取ったため、これを受け入れた。 滑走路予定地を含む未買収地が残され、国家事業である空港を早期に開港したい政府の強い要請のもと、友納千葉県知事が土地収用法に基づく行政代執行を1971年に2回発動、機動隊や反対派農民・支援の間で激しい衝突が起きた。特に9月の第二次代執行では警察官3名の殉職者を出し(東峰十字路事件)、居住する住民を排除したうえで民家1件が撤去されており、多大な犠牲を出しながら土地収用が行われている。 これにより空港公団はようやく一期工事の用地を取得したが、反対派が1972年に航空妨害を目的とした岩山鉄塔を建てて対抗したうえ、航空燃料パイプライン敷設も沿線住民の反対運動や技術的問題で頓挫しており、政府は当初の「1972年開港」の断念を余儀なくされた。1977年(昭和52年)5月6日にこの鉄塔は撤去されたが、2日後の5月8日に鉄塔の撤去に抗議する反対派と機動隊が衝突し、反対派支援者1名が死亡した(東山事件)。更に翌5月9日には反対派によって芝山町長宅前臨時派出所が襲撃され、警察官1人が殉職している(芝山町長宅前臨時派出所襲撃事件)。
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