実力者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 05:42 UTC 版)
「ドミトリー・ウスチノフ」の記事における「実力者として」の解説
1982年11月のアンドロポフ、1984年2月のチェルネンコ両書記長の選出に力を貸し、ミハイル・スースロフの死後に「クレムリンのキングメーカー」とその実力を恐れられた。特にチェルネンコ政権時には、チェルネンコが深刻な健康問題を抱え、且つ軍事問題に関して経験不足であったため、国防相としてその埋め合わせをし、影響力を保持した。一方で1979年の米ソ首脳会談に同席した際、アメリカ側にクマのぬいぐるみを贈って「厭な目にあわされない限り、平和で大人しいのがこの動物だ」と語るようなエピソードも持つ。 1992年にロシアのボリス・エリツィン大統領が公開した文書によると、1983年9月の大韓航空機撃墜事件ではウスチノフがKGB議長のヴィクトル・チェブリコフと共に「007便がアメリカのスパイ活動に協力していたという主張を裏付けることができないため、ブラックボックスを公開すべきで無い」とアンドロポフ書記長に進言したとされる。
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