革命評議会政権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 21:58 UTC 版)
「イスラーム革命評議会」の記事における「革命評議会政権」の解説
1979年11月4日、イランアメリカ大使館人質事件が発生。翌日、バーザルガーン暫定政権はホメイニーに辞表を提出した。革命評議会は国民に向けて重大声明を発し、憲法に関する住民投票および国会選挙、大統領選挙の施行までの限られた期間、施政担当を決定したと述べている。この声明に続いて政府が評議会に統合されるとともに評議会の構成を更新、新メンバーが選出された。行政は以下のように分掌された。 教育省(英語版) - バーホナル 逓信省(英語版) - ? 情報省(英語版) - 未設置 財務省(英語版) - アルダラーン(ペルシア語版)、バニーサドル 外務省(英語版) - バニーサドル、ゴトブザーデ 商務省(英語版) - レザー・サドル 保健省(英語版) - ? 鉱業省(英語版) - ? 農業省(英語版) - アッバース・シェイバーニー 法務省(英語版) - マフダヴィー・キャニー 国防省(英語版) - ハーメネイー 交通省(英語版) - モハンマド・ユースフ・ターヘル・ガズヴィーニー 厚生社会保障省(英語版) - 未設置 産業省(英語版) - モハンマド・アフマドザーデ・ハレヴィー 文化高等教育省(英語版) - ハサン・ハビービー イスラーム指導省(英語版) - ナーセル・ミーナーチー 労動省(英語版) - ダーリユーシュ・フォロウハル 内務省(英語版) - ラフサンジャーニー 住宅省(英語版) - モスタファー・キャティーラーイー 石油省(英語版) - アリーアクバル・モイーンファル エネルギー省(英語版) - アッバース・タージ 建設ジハード省(ペルシア語版) - ? この構成で自身の活動をはじめ、比較的短期間で政治的空白の存在を克服することに成功した。評議会は1979年12月3日の憲法国民投票、続いて1980年1月-2月の共和国大統領選挙を実施、さらに1980年5月28日の議会選挙の開始にもあたっている。
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