革命評議会の活動
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「イスラーム革命評議会」の記事における「革命評議会の活動」の解説
ホメイニーの帰国当初、革命評議会で審議された重要な案件としては、政府の設立、国会の設立、憲法起草専門家会議の設立などがあった。 政府設立について評議会は、バーザルガーンを暫定政府首相として提案し、ホメイニーもバーザルガーンを任命している。1979年2月11日の革命成就により革命評議会と暫定政府はホメイニーの指導と人々の支持による正当性により政権を握った。 第二に諸都市において革命を防衛し反革命に対処する「イスラーム革命臨時委員会」の設置がある。マフダヴィー・キャニーがイスラーム革命中央委員会の監督として派遣された。 ほかに評議会の承認による重要な案件に、イスラム革命防衛隊規約の承認(1979年4月22日)、反革命に対する裁判・処刑を担当する革命裁判所の設置(1979年4月)、銀行国有化、左派組織への大学からの退出を求める最後通牒(1980年4月)、イスラーム革命体制についての国民投票施行、憲法草案の検討と新聞での同案の発表、地方評議会法の承認、大規模産業の国有化の認可、専門家会議規約の承認、共和国大統領選挙の施行、マジュレス(国会)議員選挙の施行などがある。 以上のように、革命後の体制確立とそれにともなう法の制定、国家機関の整備など統治体制の研究・実施が革命評議会の任務であったが、各議員間に完全な一致があったわけではない。バニーサドル、エブラーヒーム・ヤズディー(英語版)、ゴトブザーデ、ターレガーニーらは民主主義政体を支持したのに対し、ホメイニー、ベヘシュティー、その他のウラマーらはムジュタヒドの解釈するシャリーアに基づく法による民選ではない評議会による政体を望んだ。モタッハリーの暗殺以降、後者のイスラーム主義的展望が優勢となり、1979年9月10日のターレガーニーの死後は圧倒的となった。
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