革命血約書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/14 22:39 UTC 版)
以下は主に朝鮮王朝実録の記録にある被告人らの供述に依る。 1899年に日本の士官学校を卒業した韓国人留学生は、その後、大韓帝国政府より陸軍參尉 (尉官相当)に任命され、留学の訓を受けた。しかし駐日韓国公使が韓国政府に留学費を求めたところ、今度は召還の訓を受けることとなった。帰還のために駐日韓国公使が韓国政府に学徒の帰還費および服裝費を求めたところ、支払いを数ヶ月延期した後、支払われることは無かった。そのため、留学に耐えられない盧伯麟らは先に帰還することとなり、残りの15名は駐日韓国公館に寄留することとなった。しかし、駐日韓国公館は借家であったため手狭となっていた。 駐日韓国公館での寄留中、權浩善は以下のように論じて、革命血約書 (連判狀) を定めた。 我國之危亡、迫在朝夕、終無防禦之策、我等豈可晏然坐視乎? 今當定一盟約、以扶國家。 (日本語訳) 我ガ國ノ危亡ハ朝夕ヲ迫ルルニ在リ。防禦 (ボウギョ) ノ策無キニ終リテ、我等ハ豈 (ア) ニ晏然 (アンゼン) 坐視 (ザシ) スベキヤ? 今当 (マサ) ニ一盟約ヲ定メ、以テ国家ヲ扶スベシ。 革命血約書の内容は以下であったとされる。 一、大皇帝陛下ヲ廃ス一、皇太子殿下ヲ廃ス一、義親王ヲ以テ其位ヲ代ヘル一、國事犯ヲ以テ政府ヲ組織ス一、若シ此事ガ洩ルルバ、白刃ヲ以テ相贈ル事 また、署名を行ったのは以下の15名とされる。 趙宅顯 張浩翼 金鴻鎭 權浩善 姜容九 方泳柱 張寅根 李基鈺 權承祿 金羲善 金亨燮 金敎先 金鳳錫 金鴻南 金寬鉉 盟約の後、趙宅顯は亡命者であった兪吉濬に会い、「大韓政府を組織したい」と言いながらこの血約書を見せ、兪吉濬を引き入れた。
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