大阪での活動
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子供の頃から劇団に所属し、1979年、9歳の時に当時若手だった明石家さんまとの共演によるチロルチョコのコマーシャルでデビュー。 高校時代に青二塾大阪校に通い、青二プロダクションに所属するためのオーディションに受かるが、興味の方向が変わり青二プロダクションには所属せず、大手前女子大学(現大手前大学)美学美術史学科へ進学。在学中にラジオ大阪の番組のアシスタントとしてデビューし、以後大阪ローカルのMCタレントとして活動した。当初はラジオ番組が縁で立原啓裕の事務所(有限会社りある、後に分裂)に所属、後に「キャラ」、「バオバブ」と移籍。 朝日放送(現:朝日放送テレビ)の『おはよう天気です』にもアシスタントとして出演しており、1995年1月17日5時47分に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)は、スタジオでのコーナー紹介の最中の出来事だった。そのコーナーとはゲームを紹介する「ピコピコ通信」を担当していた。 「大阪日本橋界隈の活性化」を目的とした「日本橋プロジェクト」の公式キャラクター「音々」(ねおん)の声優を担当している。堺筋沿いの商店街アーケードに設置された街頭スピーカーで、「音々」として日本橋の紹介をしている。
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