大阪での人気、東京進出と撤退、NGKで主役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 18:09 UTC 版)
「吉田ヒロ」の記事における「大阪での人気、東京進出と撤退、NGKで主役」の解説
吉本新喜劇入団後もダウンタウンファミリーとして、ダウンタウンの番組に今田耕司、東野幸治、木村祐一、130Rらと共にレギュラーで出演する事が多く、そのメンバーの中でも中高生の女子から圧倒的な人気を得ていた。観覧収録番組においては、1人1人が何かを発表する際、ヒロの順番になると黄色い声援が飛び交い、アイドルのような存在となっていた。ダウンタウンが東京での活動を増やして行く中で、特番時期の「ダウンタウンのごっつええ感じ」に上記のダウンタウンファミリーを総出演させる形で今田らと共に東京に進出し新喜劇から一旦卒業。一発ギャグ(詳しくは後述)を披露する枠を用意されるなどしたが、今田らが若手芸人としてグングンと評価を上げて行く反面、大阪で絶大な人気を誇ったヒロのギャグは東京では理解されず、いつしかダウンタウンファミリーの中から1人だけレギュラーから外されてしまう。降板の理由としてはコント中心の番組の中で自慢の一発ギャグを活かし辛かったこと。その事から東京のフジテレビのプロデューサーやスタッフに気に入られず、たびたび罵声を浴びせられ、コントの出演シーンを大幅にカットされた。またダウンタウンの意向でテレフォンショッキングに出る調整をした際「10年早い」と発せられ却下された。1人だけ東京からの撤退を余儀なくされ、その後は大阪に戻りダウンタウン関連で大阪収録の番組や24時間テレビに出演するが、再び吉本新喜劇を活動の拠点とした。松本人志はヒロが大阪に戻った後「ダウンタウン汁」(TBSテレビ)内のトークで、「私はオスカー・シンドラーのように新喜劇から若い連中を引っ張ってあげた。けど吉田ヒロは自分から戻ってしまった」と語っていた。 吉本新喜劇に戻ってからは今田たちが抜けた穴を内場、辻本、石田らと埋めるようになる。1995年には他の3人と共にニューリーダー就任の話が来ていたが、「大阪ほんわかテレビ」の仕事があるため見送られた。『超!よしもと新喜劇』の放送期間中は内場、辻本が東京での収録のため不在、残った石田靖と交代で新喜劇の主役を担うようになるが、石田はテレビの仕事が多かったため、その結果1997年秋から数年の間はほとんど毎週ヒロがNGKの主役を演じていた。
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