テレビの仕事
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2005年6月、マドーは、MSNBCのタッカー・カールソンの番組でレギュラーパネリストになる。 2006年の上院議員選挙のあとは、CNNの番組『ポーラ・ザーン・ナウ』に頻繁にゲスト出演するようになる。2008年1月にはMSNBCと政治アナリストとして契約を結び、予備選挙特番や『Race for the White House』のパネリスト、キース・オルバーマンの人気番組『カウントダウン』のゲストとしてしばしば出演することとなった。 2008年4月、マドーは、『カウントダウン』でオルバーマンの代理として初めてテレビ番組の司会を務めた。オルバーマン自身、マドーの仕事が気に入り、マドーはその後何回も代打司会者として登場。高視聴率を記録した。オルバーマンは、マドーをコーナー名にかけて「世界最高のピンチヒッター」と評した。その後もオルバーマンの休暇中にマドーは登場し、また、『Race for -』においてデビッド・グレゴリーの代わりも務めた。 これらの実績を受け、MSNBCは、2008年8月に『Verdict with Dan Abrams』の後がまとして、東部時間夜9時に『レイチェル・マドー・ショー』をスタートすることを発表。9月に番組はスタートした。番組は高視聴率を記録し、番組開始後一ヶ月でMSNBCの夜9時の視聴者を倍増したといわれる。MSNBCがCNNの長寿番組『ラリー・キング・ライブ』を初めて上回り、同時にこれ以降のMSNBCがリベラル派の人物を起用してゆく方針の決定打となった。 AP通信のメディア担当コラムニスト、デイビット・バウワーは、マドーを「キースオルバーマンの政治的な親友」と称し、キース・オルバーマンとレイチェル・マドーの番組を「リベラルの2時間ブロック」と呼んだ。
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