テレビの不可抗力等による事故
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「放送事故」の記事における「テレビの不可抗力等による事故」の解説
1957年8月18日 日本テレビ『日本意外史』新宿コマ劇場からの生中継舞台コメディ番組。本番中に舞台上部の照明付近から火災が発生し、上演が中断。放送内容は消火までの様子の実況中継に変更された。なお、従業員がすみやかに屋内消火栓を利用したため、火はほどなくして消し止められ、観客の避難誘導も行われなかった(前列の観客が後方に移動した程度)。また、この火災は、家で放送を見ていた視聴者(非番の消防職員)による通報が第1報であった。 1969年5月5日 CBCテレビ『この街は この風は』など 「中部日本放送#CBC放送会館火災」も参照 同日14時頃、CBC放送会館において、空調工事を起因とした、テレビ主調整室が焼ける火災が発生。14時45分頃には電源焼損などのため放送会館から番組を送出することができなくなり、約1時間17分停波したのち、16時すぎ、名古屋テレビ塔に中継車をつなぎ、キー局からの回線を送る形で放送を再開した。火災は同日23時50分頃に鎮火し、翌日から正常な放送を再開させた。CBCはラジオも兼営しているが、ラジオでは局員避難のために臨時にフィラーを放送した時間帯はあったものの、放送中断はしなかった。 複数例 TBS系列『8時だョ!全員集合』「8時だョ!全員集合の歴史」も参照 1977年5月14日放送の探検隊コントの途中、ピストルの火花が小道具の蛇に着火し炎上。ステージ上の消火器ですぐに消し止められ負傷者もなかったが、会場の取手市民会館の火災報知器が鳴る。加藤茶がとっさにアドリブを使い、いかりや長介もこれに合わせて凌いだが、その時点でコントは打ち切り。その直後のCMを挟んでゲスト歌手による音楽を2曲連続で流すという不規則な番組構成となった。本番直前に油性塗料のスプレーで蛇の塗装を施したため、ピストルの火花がまだ乾燥しきっていない塗料に引火したのが原因であった。 1984年6月16日の公開生放送の開始直前に、会場の入間市民会館が停電し、照明が消えるという事態が起きた。停電となったのは入間市民会館内の電源のみで、カメラやマイクなどの放送機材には会場外の中継用電源車から電力が供給されていたため、完全に放送不能になる事態だけは回避され、画面が真っ暗なまま中継を決行。「しばらくお待ちください」の静止画を出したままのトークや、懐中電灯を用いてのゲスト紹介などで放送を繋いだ。20時9分ごろに停電は一部復旧し、いかりや長介がいつもの「8時だョ!」ではなく「8時9分半だョ!」のかけ声をかけたあと、放送を再開。エンディングでは電源の不備について謝罪する内容の字幕を出した。入間市民会館周辺のほかの世帯は停電とならなかった。原因は事前に行われる観覧の抽選に外れて入場できなかった者が、腹いせにブレーカーを落としたという説もあるが、未だ判明していない。 この一件が公会堂や市民会館からの中継放送の安全面に危惧を及ぼし、以降同番組の収録はTBSのGスタジオ中心に変更される一因になったとされる(その後、番組は同年12月1日に入間市民会館から再度中継を実施している)。 1980年7月27日 兵庫県内の民間放送5局神戸市、明石市、高砂市などで、NHKを除く全チャンネルが突然映らなくなる事態となった。原因は北淡垂水中継局の送電線に大きなヘビが絡みついてショートしたことによるもので、約2時間後に復旧した。翌日の読売新聞の見出しには「ヘビTV画像を飲む」と書かれた。 2007年11月ごろ[いつ?] J:COM 神戸・三木兵庫県のCATV局・J:COM 神戸・三木の回線が切れ、J:COMと契約している神戸市の利用者ほぼ全域で見られなくなるという事態が発生した。西区にあるJ:COMの基幹ケーブルが切られたためで、犯人はのちに逮捕された。約2時間後、一部でサービスが再開されたが、全域の復旧までには約8時間かかった。
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