CBC放送会館火災
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1969年5月5日昼、CBC会館で火災が発生し、地下1階の機械室、地上1階のテレビ主調整室・放送機器室、2階のテレビ送出用電算機室が焼けた。このとき真っ黒に焼け焦げたテレビマスターの写真が社史に掲載されている。 この影響でテレビは約1時間17分停波したが、ラジオは奇跡的に停波せずに放送を継続した。CBCは車庫から中継車を出してテレビ塔に横付けして短いニュースなどのミニ番組スタジオ兼臨時マスターとし、東京や大阪からの回線の番組をそのまま放送波に乗せることで放送を再開した。このため、関東・関西ローカルのCMがそのまま流れる事態も起きた。 その後テレビは復旧作業を急ぐため、同日の深夜放送を23時35分で打ち切りとした。休止の旨と放送終了時の局名告知のアナウンスは生放送で行われた。 火災の時系列 同日は会館の空調設備の入れ替え工事が行われていた。 午後2時頃 - テレビ主調整室から異臭が見られ、ダクトから白煙が出ていたことが分かる。この頃地下の空調室で溶接が行われていた中、埃に引火し火災が発生したものと見られている。ワイドショー『この街は この風は』の放送が中断。 午後2時45分頃 - テレビ主調整室から黒煙、本格的に炎上。テレビの映像部分が停止。 午後2時50分頃 - 名古屋市消防本部から消防隊出動。 午後3時05分頃 - テレビの音声部分が停止。 午後3時10分頃 - 放水が始まるが、出火場所はまだ特定できなかった。この間、スタッフはテレビ塔近くに中継車を横付けし、テレビ放送の特設放送会場を設置。 午後4時過ぎ - テレビ放送再開。火災の詳細を伝え、「視聴者・市民にご迷惑をかけました」と謝罪。 午後5時頃 - 地下を破壊しての放水活動を開始。 午後5時30分頃 - 必要最低限の人員を除き、その場を退去するよう命令(全員退去命令)。そのため、放送を継続していたラジオは、暫定的に1階のラジオ準備室に特設会場を設けて放送を続ける。 午後8時前 - ラジオ放送を鳴海送信所に暫定移転するために一時中断し、フィラーとしてレコード音楽を放送。 午後8時30分過ぎ - ラジオ放送、鳴海送信所の特設スタジオでの放送開始。 午後9時過ぎ - 出火場所が2階にあるテレビ調整室であったことが判明。 午後11時35分 - テレビ放送を臨時に打ち切り。5月6日6時55分から再開する旨をアナウンスする。 午後11時50分過ぎ - 鎮火。 5月6日 - 復旧工事が終わり、通常のスタジオからの放送を再開。
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